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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    岩上安身のIWJ特報 第73号「自民党の憲法改正草案についての鼎談・第2弾〜澤藤統一郎弁護士、梓澤和幸弁護士インタビュー(前編)」 

    第73号
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
                 岩上安身のIWJ特報
            自民党の憲法改正草案についての鼎談・第2弾
         ~澤藤統一郎弁護士、梓澤和幸弁護士インタビュー(前編)
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    (IWJ転載許可済)

    憲法は決して不磨の大典ではない。未来永劫変えてはならない神聖不可侵の聖典ではないという見解に、私も同意する。しかしそれは、日本が独立した主権国家であり、主権者が国民であり、民主主義が十全に機能し、そのためにも基本的人権や思想・表現の自由が守られることが大前提となる。基本的人権に制約を課すような憲法では、それは近代的な立憲主義にもとづく憲法とは呼べなくなる。

     国民の側から支配層に対して制約を課し、国民の権利を保障するのが近代立憲主義にもとづく憲法である。この点において、自民党の憲法改正案は、近代立憲主義にもとづく憲法の資格を欠いていると言わざるを得ない。憲法9条改正の真の狙いが、米国との集団的自衛権行使容認にあるならば、なおのことである。日米安保のくびきのもと、ただでさえ怪しい独立主権国家としての地位が、ますます怪しくなる。

     立憲主義や天賦人権説を否定する議員も党内に抱えているのだから、自民党は「無知」ゆえにこのような改憲案を掲げているのではなく、「確信犯」として掲げているのであろう。しかし、こんな改憲案が通るようであれば、日本は近代民主主義国家の隊列から落伍することになる。自ら、自分たちは先進国ではない、と宣言するようなものである。

     2012年12月12日、IWJは、自民党の憲法改正草案がはらむ問題点について、NPJ(http://www.news-pj.net/index.html)の澤藤統一郎弁護士と梓澤和幸弁護士にインタビューを行い、その模様をメルマガ第63号でお伝えした(当日、私は体調不良のため、IWJの若手スタッフ平山茂樹君が司会を務めた)。

     インタビューでは、現行の日本国憲法と自民党改正案との根本的な考え方の違いや、新たに自民党案に加えられた国防軍や緊急事態宣言などについての話をうかがった。

     ところがそのインタビューの4日後、12月16日に投開票が行われた衆院選では、自民党が294議席、日本維新の会が54議席を獲得。憲法改正を求めているこの2政党だけで、改憲発議に必要な衆議院3分の2となる320議席を楽々超える結果となった。

     こうした現状に対して、海外からは、日本の右傾化に強い懸念を示す声が上がっている。2012年12月17日号の「TIME」(アジア版)は、表紙に「Japan Moves Right(日本の右傾化)」という見出しを付け、日本維新の会や自民党が求めている国防軍などについて論及している。また、12月17日付の「中央日報」も、「過去に戻る日本」と題する記事を掲載し、「憲法改正」を掲げる安倍政権に対して強い警戒心を示した。

     今年1月11日付のロサンゼルス・タイムス紙は、「軍事国家日本」と題し、自民党の新憲法案を条ごとに詳細に分析しながら、「自民党は全体主義的、軍事主義的な日本を作ろうとしている」と断じている。そして、「1つだけはっきりしていることがある。世界中の人権団体は、自民党の憲法改正に反対する世論を形成するために動くべきである」とまで言いきっているのだ。

     年明け以降の安倍政権は、改憲の真の目的である集団的自衛権行使容認の下地作りに忙しい。安倍総理は、1月16日から18日にかけての東南アジアへの外遊中、第1次安倍内閣で設置した集団的自衛権行使の4類型について、再検討の意向を示した。近く、当時の有識者を再び集めて、意見聴取会が開かれる予定であるという。

     こうした中、1月21日付の産経新聞は、「早急に集団的自衛権の行使容認を求める」と主張し、22日付の読売新聞も「集団的自衛権の行使を可能にすることが急務」などと述べている。何度もお伝えしてきた通り、米国との間での集団的自衛権の行使容認とは、自衛隊を米国に従属させ、下請け化させることにほかならず、国家の主権の段階的放棄がさらに進むことになる。言うまでもなく、日本政府のこうした動きの背景には、米国からの強い要求がある。

     2012年12月28日、私は、澤藤弁護士と梓澤弁護士へ再度インタビューを行った。このインタビューでは、自民党の憲法改正草案について、憲法前文から第20条までを取り上げ、逐条で詳しい解説を行い、ゼミナールのようなかたちで議論を進めた。今回のメルマガでは、この模様をお伝えする。

     そして今日、私は、両先生とともに第2回目の逐条解説ゼミナールを開催する。読者の皆さまには、このメルマガを読んでいただき、是非、本日のゼミナールもご覧いただきたい。

    2013年1月25日(金)11時~【Ch1】
    「澤藤統一郎弁護士、梓澤和幸弁護士インタビュー 第3弾」
    http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=1


    ===================================
    ◆ 現行憲法の前文には、人類普遍の権利が示されている
    ===================================

    岩上安身「本日は、昨年の12月12日に、IWJ若手の平山茂樹君がインタビューを行った、梓澤和幸先生と澤藤統一郎先生の両弁護士に再度お越しいただきまして、自民党の改憲草案、新憲法案の中身について、吟味していきたいと思います。

    梓澤先生、澤藤先生、よろしくお願いいたします」

    澤藤統一郎弁護士・梓澤和幸弁護士(以下、敬称略)「よろしくお願いします」

    岩上「早速、自民党の憲法改正案(http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf)です。最初に、有名な前文がありますが、その前文が書き直されています。まず、現行憲法を読んでみます。

    『政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する』

     『詔勅を排除する』とある。要するに、国民に主権があるということと、平和主義ということが最初に書かれているのですが、自民党案は『我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する』となっており、
     そして最後に、『日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する』とあります。

     現行憲法では『われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する』となっています。

     全部、読み上げていると時間がなくなるので、このように一部抜粋して読み上げましたが、現行憲法には平和主義ということ、なによりも国民に主権があって、それ以外の法令、および詔勅も排除するということが強く謳われている。そういうものが、自民党の改正案では消えているのです。

     そして改正案では、『国と郷土に誇りを持って』や、『気概を持って守る』、また『良き伝統』や、『家族』などの言葉が出てくるのが特徴です。これだけ見て、『この国が平和で、家族を守り、国と郷土に誇りを持って守りましょう』という一般的な文章だったら悪くはないのでしょうけども、これが置き換わることで、憲法がどう変わってしまうのかお聞きしたいと思います」

    澤藤「そうですね。私は、ここでは、2つのことが重要ではないかと思います。

     1つは、現行憲法の前文の中には、人類普遍の権利というものが強調されているわけです。それで、私たちの憲法は、人類普遍の原理を踏まえて、つまり、人類の英知が到達した共通のものとして、『これが正しい』、『これが国際基準だ』、『これが18世紀後半から形成されてきたグローバルスタンダードだ』、『世界の英知、世界の歴史、人類の歴史が到達した良心の英知に基づいて、この憲法を作ります』という宣言がなされている。しかし、自民党の改正案では、それがみごとに落とされている」

    岩上「なるほど。普遍性から特殊性へ、ということが1つあるわけですね」

    澤藤「特殊性というか、『普遍的なものを顧みない』という宣言がされているような印象を受けざるを得ない。わざわざ、普遍的なものに基づいて、1945年に敗戦とし、それまでの76年間、我が国の天皇制権力がやっていたことは、実は世界のスタンダードではなく、大変特殊な独りよがりの政体・国体を持ち続けてきたが、憲法によって、『これは変えるんだ』という宣言をしたわけです。それを今ひっくり返す意味を考えなければならないということ。これが1つあります。

     それからもう1つは、確かに国内のことは書いてあるわけですけれども、それは非常に特異な考え方に基づいている。つまり、『日本国は天皇を戴く国家であって』というのが、前文の冒頭に出てくる文言です。この『天皇を戴く国家』という言葉が、日本国憲法の冒頭にあるべき言葉なのかというふうに言われると、私は大変違和感を持ちます。

     つまり、天皇制というのは、今までの伝統・歴史であったかもしれませんが、本来こういうものは、歴史的にはフェードアウトすべき存在だと考えるのが、普通の人ではないでしょうか。

     それは、文化的な産物としては否定しないまでも、だんだんと権限をなくして、天皇の権威に頼らず、一人ひとりが自立した精神構造を持たなければいけない。こういうことは、多くの人に常識として捉えられていることです。

     しかし、前文の冒頭にこういう規定をするというのは、特定のイデオロギー、つまり『国に誇りと気概を持ち、和を尊び、規律を重んじ、国を成長させ、良き伝統、国家を子孫に継承する』という、いわば国家主義です。自民党は、その国家主義の天皇を中心とした国家という、昔の国体思想とほとんど変わらないことを考えているのではないか。私は、なんと古めかしい、現在の憲法に相応しからぬものを持ってきたのか、という違和感をぬぐえません」

    梓澤「ここに『人権宣言集』(※1)という文庫本を持ってきました。この中には、フランス人権宣言をはじめ、各国の人権宣言が出ています。そのなかに、『世界人権宣言』というものが載っております。

     日本国憲法が制定に至るのは1946年で、世界人権宣言が1948年です。これが何を意味しているかというと、『人権を大切にするということ』、『個人を大切にするということ』を徹底することが、2つの大戦で過ちを犯した人類の教訓としてあるんだということです。そういう流れが、2つの戦争の後に世界中に広まって、その1つとして日本国憲法も高く理想を掲げたわけです。

     今、澤藤さんが話した前文の改変は、そういう世界的な流れの中の1つとして理想を高く謳った、この日本国憲法の腰骨を折るという感じがします」

    (※1)『人権宣言集』:高木八尺、末延三次、宮沢俊義編集。1957年、岩波文庫。

    岩上「世界史の流れといえば、2つの大戦を経ています。日本も罪を犯したけれども、多くの国々も愚かなことをしたという反省が全世界的にあり、それまでにすでに存在していた『人権が大事だ』という考え方を徹底しようとする流れがあった。

     その流れの中に日本国憲法も位置づけられているのであって、『マッカーサー(※2)から押し付けられた憲法』という言い方がよくされますけれども、そんな単純なものではないということですね。日本の側にも受け止めよう、積極的に受け入れようとする姿勢があった、そして現実にその憲法を受容し、育んできた。その結果、日本は平和主義で、かつ人権を大事にする国だという認識が、世界中に共有されてきたわけですね」

    (※2)ダグラス・マッカーサー:第二次世界大戦後に日本を占領した連合国軍の最高司令官。1946年2月に、松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会起草の憲法改正要綱がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に提出されたが、マッカーサーはこれを拒否。代わりに、GHQによる憲法草案(マッカーサー草案と呼ばれる)を提示し、日本政府はこれに沿って案を練り直した。

    澤藤「細かくいえば、現行の前文の中には、良いことがたくさん書いてあるわけです。しかし、1つだけ漏らしてはならないことは、9条と対になる形で、平和についていろいろ書いてあるわけです。

     その中に『われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する』という文言があります。これは普通、平和的生存権というふうに言われていますけれども、これが前文のなかに明記されているわけですね。

     私たちのような、憲法訴訟の中で取り扱う者にとっては、行政のシステムがどういうふうに出来ているのかということと、それから、そのシステムを通じて、一人一人の国民にどういう権利が与えられているのか。どういう権利として行使をすることができるのかということが、裁判の場では非常に問題になるわけですけれども、9条だけでは政府に対する命令なのですね。

     こういう軍隊をもってはいけない。交戦権は認めない。しかし、一人一人の国民が、それによってどういう権利を持つのか。それは『平和のうちに生存する権利を有することを確認する』──これを使って、訴訟ができる。この権利を使って、色々なことができるという試みがなされているわけです」

    岩上「平和生存権というのは、ここに『全世界の国民が』ということがあるように、自分たち、日本国民の平和生存権だけではなく、他国民、他者の平和生存権もお互いに認めると。こういうことですね」

    澤藤「おっしゃるとおりです。しかも、それは単に文言で、絵にかいた餅のように書いてあるのではなくて、これを裁判で使えなければおかしい。つまり、9条の実質が、政府の行為によって失われたときには、一人一人の国民が、『自分の平和的生存権を侵害された』ということで、しかるべき訴訟を提起することができなければならない。あるいは、訴訟でなくても、『私の平和的生存権が侵害された』ということで、異議の申し立てができなければならない。

     こういうことを下級審のレベルでは、いくつか認める判決も出ているわけですね。それが、そういう貴重な権利根拠規定が、今回の自民党改正案では全くなくなってしまう。これは一言、どうしても言っておきたいと思います」


    ===================================
    ◆ 今回の改憲案が「完成形」とは限らない
    ===================================

    岩上「分かりました。次は、第1条です。

    『第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』

     これが現行憲法です。それに対して、自民党案は『天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』となっています。

     『主権の存する国民の総意に基づく』は同じですが、象徴から元首に変わっています。これは、前文のところで、先ほど澤藤弁護士からご指摘のあった『日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家である』という箇所と呼応し合っているような気がします。この『元首になる』ということは、どういう意味があると思いますか?」

    澤藤「元首というのは、国を代表する地位にあるものというのが、普通の考え方ですから、日本では、それは内閣総理大臣です。国民主権国家において、『国民の総意に基づいて』というのは、具体的な選挙のことです。2段階の過程を踏みますけれども、それで国民に一番近いところにいる代表者というのは、内閣総理大臣がふさわしい。

     これは当然のことですけれども、そうではなく、代表者が天皇だとわざわざ言うのは、一度押し下げられた天皇の立場、つまり、かつては元首であり、あるいは統治権の総攬者、かつ総司令官でも大元帥でもあった。さらには、天子として、宗教的権威まで兼ね備えていた。この天皇を、なんでもない、何の権限も権威も持たなくするにはどうしたらいいのか。

     しかし、歴史的には存在をしてきており、どう扱ったらいいのか大変難しいところを、『象徴』という言葉で表した。それ以上のなにものでもない、何の権限もなければ、権威もないということを『象徴』という言葉で表していたものを、今度は、復権の第一歩として、『元首』にしているわけですから、私は、これは明らかに……」

    岩上「第一歩なのだと? この改憲案が、完成形ではない可能性もあるということですか?」

    澤藤「ええ、もちろんそうです。

     天皇とは、一体何でしょうか。それは、かつてはもちろん統治権の総攬者で、主権者であったわけです。つまり、日本国民という主権者に対して、主権を競う相手です。国民にとって、主権者としての地位を競う危険なライバルというと、天皇しかいないのです。この天皇の地位を、本当にもう1センチでも上げるようなことをしてはならない。私は、新しい憲法を作るのなら、第1章は当然、国民主権から始まるべきだと思います。それが、当たり前のことです。あるいは、基本的人権から始めるのが当たり前のこと」

    岩上「澤藤先生のお考えでは、現行憲法でも不十分ですね。現行憲法の第1条には、国民主権が書かれておらず、天皇の地位から入っていますから。それを、むしろ変えて、国民主権から入る、そういう改憲案を作ったらどうか、というお考えですね」

    澤藤「個人的には、そっちのほうがずっと整合性のとれた良い憲法だと思います。しかし今、わざわざそういうことを私が発案して、運動を起こそうという、そんな考えは毛頭ありません。現行憲法の中の精神を十分に活かすような司法、立法、行政ができれば、それで十分だと考えています。しかし、それをあえて、天皇の地位を1センチでも上げるような改正には、絶対に反対。そういう立場です」

    梓澤「国民主権というのは、君主主権に対する反対語なのですね。天皇が元首であると謳うことは、君主主権に近づくことです。だから、さっき岩上さんがおっしゃったように、『天皇』という言葉は変えていませんけれども、そこが解禁されることによって、つまり『元首』という言葉が使われることによって、限りなく君主主権に接近できる。そのイデオロギーというか、考え方を採択したのが元首制です」

    岩上「なるほど。現行憲法も、君主権といいますか、君主に対する名残のようなものがあり、それに対して、国民主権の考え方を持ってきていて、そこは折衷されている感じがあると思うのです」

    澤藤「おっしゃる通りです」

    岩上「これが、改正案もやはり折衷案なのですけれど、若干、天皇の君主制といいますか、その強調が強くなっている。一応、そこに『日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』と書かれているのだけども、より強まっている。

     これ、96条のところで出ると思いますけれども、まず改正を先にしやすくしていますよね。改正がしやすくなるということは、これは1回の改正にとどまらないのかなって、澤藤先生の御指摘を受けて、今ふと思いましたね。つまり、もう少し時間をかけて、教育やメディアが、『天皇は元首である』という刷り込みを国民に対して行って、国民主権に対する国民の思いが希薄化したら、どんどん変わっていく可能性がありますね」

    澤藤「ええ。君主主権がいまさら復活するとは、それは思いません。しかし、戦前だって、天皇というのは飾りものです。飾りものといっても、非常に使える飾りものなのです。為政者にとっては、いわば魔法の杖。こんな便利なものはない。つまり、国民の痛みを伴うような政策であろうとも、これは天皇の思し召しだと言うことができる。

     極端な話が、戦争も『天皇の意志』と言って行なうことができる。天皇は神様であり、神の子だから、神風が吹いてかならず勝つ。だから、戦争をやっていい、やれるんだ。神の、天皇のご意志だと。こんなふうにして、民心をリードする事ができる。極めて便利な魔法の杖だったわけです。

     為政者にとっては、これは欲しいわけです。だから、そういうふうに、『天皇』を使える道具として、もっともっとやってくるでしょう。今だって、色々と使っているわけです。その意味では、そういう天皇の政治利用は、断固として拒否をしなければならない。しかし、この自民党の改正案には、そういった姿勢は毛頭ない」

    岩上「分かりました。続いて(自民党案の)『第3条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする』。そして『第3条2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない』『第4条 元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があった時に制定する』。(自民党案には)これらが加えられているわけです。

     これまでも、皇位継承のときに元号が定められてきたことを憲法に書き込むということだと思います。前回、この国旗と国歌のお話はしていただいているので、今日は簡単にお願いします」

    澤藤「そうですか。ここは、本当は重要で、長くしゃべりたいところなのですけども。

     私は、国旗と国歌と元号、この3つを、今の天皇制の道具だと考えています。天皇制強化のための小道具3つ。もう1つ付け加えれば、いわゆる休日・祭日と言われるものです。宮中の宗教行事の日を国民にも押し付けて、一緒に祝えというのが、これが祭日です。今は『祭日』と言わないで、『国民の休日』ですけれども、実はこれも色濃く、国民生活の中に天皇制をすりこませる役割をしている。とりわけ、日の丸と君が代です。

     それから、元号というのは、天皇が即位した日を第一年として、国民すべてに、自分の歴史をそれと重ねて数えさせるという、これも国民生活の精神的な部分に影響の大きいもので、私は、ほとんど元号は使わないことにしています。なぜなら、私は、天皇制から、国民一人一人が独立しなければならないという、そういう考え方を持っているからです。

     とりわけ、国旗国歌については、1999年に国旗国歌法ができました。このときにも、尊重義務というようなものを法律の中に入れるかどうかということで、大変議論があったわけですけれども、結果として、これは入れられなかったわけです。最終的には、『そんなことをして法律ができるはずがない』という判断だったわけですが、なぜ、そういう判断に至ったかといえば、それは、国民のイデオロギー統制をしてしまうから、憲法19条に違反するからなのです。

     それを、あえて国旗国歌を尊重しなければならないと変更する。しかしこれには、『尊重したっていいんじゃないの』と考える方が、おそらくいらっしゃると思うのですね」

    岩上「大変たくさんいると思います」

    澤藤「そこでひとこと言いたいのです。この『尊重義務』というのは、法律になるとき、あるいは現場に行けば、『尊重しなければならない』になってくるのです。これは、必ずそうなのです。

     実際、東京や大阪では、石原慎太郎さんや橋下徹さんのような、人権を知らない、あるいはわきまえない都知事や市長が出てくると、これは強制になるわけです。そういうことを助長するのです。私は、日の丸や君が代が好きな人がいても、一向に差し支えないと思います。『素晴らしい歌だ』『素晴らしいメロディだ』、あるいは『素晴らしいデザインだ』と思う感性を否定するつもりはありません。

     しかし、例えばサッカー場の中で、みんなが日の丸を打ち振るときや、君が代を斉唱する時に、『私は嫌だ』と言うことに対しては、大変大きな社会的同調圧力がかかるわけです。権力の目から見て、この社会的同調圧力というのが、多数派の意見であって、『これを強制したほうが都合がいいという時には、権力はこれを強制する』という法律を作ることになるわけなのですよ。

     それは結局、国家主義のほうに、ナショナリズムのほうに日本全体を引っ張っていくことになる。『そういう同調圧力に私は従いません』という少数の人が存在するということは、実は民主主義にとっては大変貴重なことなのです。そういう人を圧殺してはいけない。

     私は、今そういう意味では、大きな危機感を持っています。もっともっと寛容な、少数者に寛容な社会でなければ、たいへん生きにくい。『少数者の意見を圧殺して、大きな多数者の側に同調せよ』という圧力を正当化する社会は、ファシズムの社会です。これは大変危険なことで、生きづらい社会になります。私は、その一歩手前にまで来ているのではないかという危機感を持っておりますので、これは是非、ご理解をいただきたい」

    岩上「なるほど。国民は、それぞれ基本的人権と主権を持っている。そして、そこには思想信条の自由があると。だから、これが少数者の思想であっても、そうした思いを持っている人、その人を圧殺するようなことがあってはならない。その人の思想信条というものを踏みにじってはならないという、これが一番重要な大前提であるからこそ、その上に特定の信条を押しつけるようなものを持ってきて、振りかざして、憲法に書き込むようなことがあってはならないと。こういうことになるわけですね」

    澤藤「はい。おっしゃる通りです」

    梓澤「オリンピックの時だったと思うのですが、アメリカの公民権運動──黒人差別に反対する運動が非常に高揚しているときに、陸上選手の1人が、『星条旗よ永遠なれ』が歌われるときに、黒い手袋をはめて、こうグッと拳を突き上げたのです(※3)。

     それは、我々の世代には、非常に鮮烈な印象を与えました。今、日本の国歌が流れるときに、カメラがそこをずっと映していくのだけれど、選手の中には、口を開けて歌わない人がいますよね。もちろん『お前、日本国民だったら歌えよ』という人も確かにいらっしゃるでしょう。しかし、どうしても歌えない人がいるのです。

     たとえば、沖縄の人の中には、戦争の陸上戦で20万人以上が亡くなり、日の丸の下に自分たちは犠牲になったと伝承されていて、やはり(君が代を)歌えない人がいるのです。

     それから、被差別部落で生きてきた人の中にも、どうしても歌えない、あるいは、日の丸を掲げられないという人がいる。それは、なにか決まった理論とかイデオロギーとかによるものじゃなくて、人間そのものとして、人間の存在そのものとして歌えないのです。それはやっぱり、自由というか、尊厳というのは、僕はとっておきたい。そこは是非、『お前、歌えよ』という人にも、そういう寛容性というのを持っていただきたいと思います」

    (※3)1968年に開催されたメキシコオリンピックにおいて、陸上男子200m走で金メダルを獲得したトミー・スミス(Tommie Smith)選手と、同じく銅メダルを獲得したジョン・カルロス(John Carlos)選手が、表彰式で国家が演奏される中、「ブラックパワー」への敬意を表して、黒い手袋をはめた拳を掲げ、公民権運動への連帯を示した。この行為は、アメリカオリンピック委員会の怒りを買い、両者は選手団から除名され、オリンピックからも永久に追放された。

    岩上「少数者を尊重するというと、正確な言い方ではなかったですね。多数であろうが少数であろうが、日々の生活や、生きていく上で、とにかく個々の基本的人権が尊重されるべきである。なので、その人が少数だろうと多数だろうと、個々が尊重されなくてはならない。そこが原理原則だということですよね」

    澤藤「まだ、少し違います。多数者は権力を握れます。だから、どんな人権が大切かといえば、多数者に疎まれる思想や言論、つまり、権力者に憎まれる言論です。少数者の言論こそが、実質的に重要なのです。

     形式的には、今岩上さんがおっしゃったように、誰の人権も同じです。しかし、多数者の人権なんて、本当はわざわざ法的な擁護の対象にしなくたっていいわけです。だから、少数者の人権が大切なのです。戦前であれば、共産党員の人権というのは、非常に大切だったわけです。しかしこれは、弾圧する側にとってみれば、『不忠な人間に人権なんかあるものか』となる。それが、その時代の倫理だったわけです。

     今、例えばオウムの信者に人権があるか。あるんです。暴力団員に人権があるか。あるんですよ。それは、ちゃんと人権があるものとして扱わなければならない。ましてや、日の丸や君が代に従えないという人に、そういう人権があるかといえば、それは確実にあるわけです。だから、私はむしろ少数者であるということ、少数者の人権を大切にするという視点が、民主主義社会では大切だと思います」

    岩上「分かりました。人権の話は、この後の条項でまた出てくると思います。今度は、9条の話にいきましょう」


    ===================================
    ◆ 米国の言いなりで、『自衛隊』から『国防軍』へ
    ===================================

    【現行憲法】

    第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

    2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


    【自民党憲法改正案】

    第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。

    2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

    (国防軍)
    第9条の2 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

    2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

    3 国防軍は、第1項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

    4 前2項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。

    5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

    (領土等の保全等)
    第9条の3 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

    ──────────────────────────────────

    岩上「9条については、前回もお話しいただいているので、今回は補足でお話しいただければと思います。まず、9条の1項について、現行憲法にある『国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』という文章が、自民党の改正案では『用いない』に変わっている。『永久に放棄する』ではなくなっているということです。少し弱められている。ただ、『戦争の放棄』は書いてある。

     次に、(現行憲法)2項の『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』という箇所。ここは、一番議論の分かれているところで、憲法全体の平和主義、基本的人権、立憲主義に賛成する人の中にも、『この2項は言いすぎではないか』『自衛権は認めてもいいのではないか』と思っている人が多いと思います。

     そしてこれが、(自民党案では)『前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない』と書き換えられている。そしてそのあとに、新設の第9条の2として、ここから国防軍についての規定がでてきます。

     この中の注目する箇所として、5項に『国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない』と書いてあります。つまり、裁判所が、通常の司法権の外に置かれるといいますか、別に置かれると。かつての軍法会議のようになるのだろうと思います。

     9条について、前回のお話を踏まえて、補足しなければならないこと、またこの『国防軍』の規定について、お話しいただけますか?」

    澤藤「わかりました。現在、自衛隊がありますが、これは明らかに国内治安を担う警察組織とは違う。軍隊の実質を持つ自衛隊がある。しかし、(自民党は)自衛隊では足りなくて、国防軍にするのだという。私は現在の自衛隊についても、憲法違反だと思っておりますけれども、『専守防衛の軍事組織が必要だ』と思っている方を敵だとは思っていません。

     しかし、なぜこれを国防軍に変えなければならないのか。これは、現行のものでは足りないとして、国防軍にするわけで、なぜ、そうしなければならないのか。この意図は、きちんと確認をしておく必要がありますし、多くの国民は、『納得できない』ということになると思います。

     現在の自衛隊がなぜ、9条の2項があるのに、法的に存在しうるか。自衛隊──最初は警察予備隊でしたから、警察予備隊ができた1950年には、これは治安部隊であって、決して軍隊ではないということだったわけです。

     1952年に保安隊ができたときには、『9条には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と書かれているが、戦力とは、近代戦を有効に遂行する組織、編成を持った能力のことであって、この保安隊はそこまでいかない。近代戦を遂行する能力なんかないから、これは憲法違反ではない』といわれた。

     1954年に、今の現行自衛隊法ができたわけですが、そのときにはなんといわれたか。これは、『自衛隊』であるといわれた。国には固有の自衛権があり、この固有の自衛権を行使する範囲であれば、つまり、自衛のための実力であれば、これは決して憲法違反ではないと。その自衛のための必要最小限度実力説ということで、現在もずっと引き継がれているわけです。

     これが、相当なまやかしで、どんどん自衛隊の装備も近代化され、実力も大きくなってきたわけですけども、それでもやはり、『自衛のため』という枠があるわけです。少なくとも、外に行って、武器を行使する状態になれば、これは自衛の範囲内であるということは到底できない。そういう制約が、ずっとかかり続けてきた。

     これに対して、今、アメリカが非常な不満を言っているわけです。去年の夏のアーミテージレポートも、非常に露骨に、それはアメリカの意図として、ちゃんと一緒に戦えるようにしろよと言っている」

    岩上「そうですね。9条の改正を求め、そして集団的自衛権の行使容認を強く求め、同時に、ホルムズ海峡へ行けと言っている。イランは本来、日本の防衛と直接関係ありませんね。米国は『イランとこれから戦争をやるので、それにいわば下請けとして加われ』ということを具体的に言っています。

     これはもう、『自衛隊』から『国防軍』へ名前が変わるというのは、国を守るというよりも、軍にしてしまえということです。軍であれば、自衛のための専守防衛という組織ではなく、軍事組織として、ある程度自由度を持って外の世界へ出ていくということも可能になる」

    澤藤「おっしゃる通りです。だから自衛隊は、あくまで専守防衛、自衛のための必要最小限の組織でなければならない。この原則では、アメリカと一緒にドンパチやることはできない。しかし、アメリカは、『そういう制約は取っ払え』という要望を強く持っている。もちろん、日本の為政者にとっても、それは望むところです。

     突然、戦争をやろうと考えているかどうか、それはわかりませんけども、いざという時には、戦争もできる体制を作っておきたい。防衛産業も、それは大歓迎。

     そういう点からいけば、今までの自衛隊から国防軍に変えるというのは、憲法9条、とりわけ2項に制約された、『普通の軍隊』ではない自衛の組織、専守防衛の組織から、『普通の軍隊』として軍事行動ができる組織へと変わることです。海外の作戦もできる。こういう組織にしたいことは、見え透いたことですが、私は、これに反対という方──専守防衛なら認めるけども、そこまではやり過ぎだと思っている方──が、日本国民の過半数の意見だと考えています」

    梓澤「こうなると一番大変なのは、アメリカが戦争を起こそうとしたときです。イラク戦争のときは、自衛隊は水の補給などしかできず、戦争行為は一切できなかった。しかしもし、(戦争行為が)できるようになったら、アメリカが(日本に対して)『おまえ、(戦争に)行けよ。国防軍を持っているだろ。それを派遣しなさいよ』と言うようになってくる可能性がある。

    池上(彰)さんが、週刊文春の中で言っていたのですが、『そういうふうになったら大変でしょ。国防軍になんて』と(安倍総理に対して)言ったら、安倍総理は『いえ、自衛隊員が国のために命を捧げて入ってくることに、自分は誇りに思っております』と答えたというのです。自衛隊の隊員や家族の人たちにとって、『誇りに思っている人たち、そこ(戦場)に行ったらどうですか』とアメリカに言われたら、たまったものじゃないですよ」

    岩上「今出ている話で、先ほど澤藤先生が『普通の軍隊』とおっしゃったのですけど、僕は、国防軍が普通の軍隊だとは思わないですね。『普通の国』の軍隊は、軍隊があることの善し悪し、それから、戦争することの善し悪しはさておき……」

    澤藤「なるほど。自分で考える」

    岩上「そうです、自分で考える。主権があるのです。独立した主権国家が、その体制が民主主義国家であろうが、君主制であろうが、国家として独立した主権をもって戦争行為を行なうわけです。けれども、そうではなくて、全然独立していない国が、アメリカに強く言われて、そして憲法改正させられて、(国防軍は)そのまま米軍の下部組織になっていくわけですよ。装備もそうならば、演習もそうです。子会社のようにくっついていくわけです。

     その状態で、独立国家としての行為といえるのか。主権行為といえるのか。もう、まったくハチャメチャな話ですね。

     これまでの議論は、自衛か戦争かという話で、戦争をするということも、独立国家としての戦争、大日本帝国の戦争の仕方を前提としていたのですが、これからやろうとしていることは、完全な属国としての戦争行為です。属国として、アメリカと動きながら、国内外に『独立国です』と言って偽装し、その挙句、どこかの国で誰かと撃ち合いをして、その恨み辛みや責任というのを自国で引き受けなければいけないという、かつてない愚かな状況が生まれると思うのです」

    澤藤「私が高校2年のときに、安保闘争といわれるものがありました。60年安保です。そのとき、津々浦々に『安保反対』という声が響いた。それはやっぱり、みんながまだ戦争の記憶から、それほど覚めやらぬときですので、『この安保条約がある限り、あの好戦的なアメリカに巻き込まれる』と、『あんな好戦的な国と一緒になって、戦争に参加させられるのは、とんでもない』という雰囲気がずっとあったわけです。そして今も、事態は変わっていないはずなのです」

    岩上「もっと悪化していますよね」

    澤藤「そうですね。アメリカの好戦性というのは際立ってきていると思いますけれども。それを、もう一度考えて、もう一度、安保反対──この安保反対というのは、結局は憲法改悪反対ということです──9条を守れという運動になってしかるべきだと思っています。なかなかそうならないことに歯痒さを感じているところです」

    梓澤「1つ加えておきたいのですが、ベトナム戦争のときに、まさに(アメリカの)属国である韓国は、アメリカに兵隊を出させられて、確か僕の記憶では5000人が亡くなっているのです(※4)。アメリカの軍隊の死亡率よりもきっと高いと思いますね。だから、国防軍になった場合、大変な役目を担わされるんです。

     もう1つ、ちょっと別の条項にいってしまいますが、9条の5項に『国防軍に審判所を置く』というのがあります。こう書くことで、日本がどう変わってしまうかというと、現在の自衛隊法では、自衛隊の秘密を漏らした者は、懲役5年に処するというふうになっています(※5)。それで、独立教唆罪というものがあって、新聞記者が、自衛隊の秘密、国防軍の秘密を洩らさせようと取材に入った場合、それも処罰されるのです。取材しただけでも。

     そうすると、国防軍審判所というのは、1つは、『危ないところに行け』という上官の命令に反したり、脱走したり、あるいは召集に応じて行かなかったりと、そういう人を処罰します。つまり、軍人を処罰します。そのほかには、その刑法、いわゆる国防軍刑法に違反する秘密を洩らさせた者を処罰します。市民にもその審判が及んでくるのです。

     前に、仙台の裁判所で、自衛隊員が市民運動家の中に入っていって、昔の憲兵みたいなことをやったということが国家賠償請求裁判となり、問題になりました(※6)。そのように、この国防軍が国民をも監視するようになっていき、ある新聞記者は、この国防軍審判所で裁かれ、またある市民は、基地が入った写真を丘の上から撮ったということで、戦前は引っ張られています。つまり……」

    (※4)室岡鉄夫『韓国軍の国際平和協力活動──湾岸戦争から国連PKO参加法の成立まで──』によると、ベトナム戦争での韓国軍の死者は5099名。(http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j13-2_2.pdf

    (※5)自衛隊法第122条『防衛秘密を取り扱うことを業務とする者がその業務により知得した防衛秘密を漏らしたときは、五年以下の懲役に処する。防衛秘密を取り扱うことを業務としなくなつた後においても、同様とする』

    (※6)イラク戦争での自衛隊派遣に反対する市民集会などの参加者らの写真や発言などを、自衛隊の情報保全隊が情報収集し、「表現の自由やプライバシー権を侵害された」として、107名の原告が、提訴していた問題。2012年3月26日、仙台地裁は、原告5人について「違法な情報収集で人格権を侵害された」と認め、1人5万~10万円、計30万円の支払いを国に命じた。(『日本経済新聞』http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2603L_W2A320C1000000/

    岩上「自民党案の、第9条の2の5にはっきり書いてありますね。『国防軍に属する軍人その他の公務がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため』と。これを読む限りは、軍人及び公務員だけが、国防軍審判所で裁かれるのかと思いきや、もし連座させられるようなことがあったら、その秘密を共有した、あるいは、漏えいに何か関わったとか、その他、運用等々の面で、『職務の実施』を妨げるようなことをした場合、軍人だけではなく、一般市民も、また引っ張って……」

    梓澤「監視の対象になる。少なくとも、日常的な軍の監視下に置かれ、そしてあるときは、審判所へ引っ張られる」

    岩上「この軍の審判所と、通常の刑法で裁かれる裁判所(司法裁判所)とは、何がどう違ってきますか? 例えば、そこで被告の利益が守られない、守られにくい、何かそういうことはあり得るのですか?」

    澤藤「これはおそらく、またそういう法律を作ることになるのでしょう。最終的には、司法裁判所、最高裁判所にいかなきゃならんということになっています。けれども、少なくとも一審は軍事裁判所です。裁判というからには、それは裁判の形式は取らなければいけませんけれども、これは、普通の裁判にあるような被告人の利益を守る配慮というものが薄いことを覚悟しなければならない。

     例えば、軍事機密を取り扱う裁判において、軍事機密が何であるか、本当にそれが軍事機密として重要な実質秘にあたるかどうかということを、被告人のほうで争うようなことは、ちょっと考えられない。そういう意味では、今の裁判と違う裁判所をつくるというのは、『迅速に、軍事目的に資する裁判をやるんだ』という意思のあらわれとしか考えられないですね。つまり、軍隊なのだから、軍事裁判をやる、軍法会議をやるのは当たり前でしょという、そういうことですよ」

    岩上「もう1つ、9条改正のところで新設されている9条の3という項目があります。『(領土等の保全等)第9条の3 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない』とあります。

     何かこれだけ読めば、『当たり前の話じゃないの』と思ったりするのですが、『領空を保全し』と書いていますが、ちょっと苦笑してしまうのは、現時点でも、例えば首都圏の上空は米軍に官制されてしまっている。沖縄もそうですけれども、この国は、沖縄だけが米軍の占領下にあるわけではなく、国土のいたるところを外国軍に占領されていて、その管制下にあるのです。

     この憲法の中では、そのことに関して鈍感であり、どうして米軍による管制が存在しないかのように書かれ得るのか。ここまで書くのであれば、いっそのこと「基本的に、外国軍は同盟国・友好国であり、アメリカとも仲良くしましょう。しかし、駐在武官などは別として、一兵たりとも我が国に入ってはならない」と書けばいい。外国の軍艦や軍人、戦車や飛行機がわが国にあるということ自体、主権の侵害ですから。

     しかし、そういう観念がまったくないまま、こういうことを書かれるのは、非常に気持ちが悪い。これはもう、『属国であることは良い。アメリカだけは良い。しかし、他は許せない。中国や韓国や北朝鮮は許せない』と言っているようにしか思えない」

    澤藤「まったくおっしゃる通りです。9条関係をここで終わるので、一言だけ申し上げておきたいのですけれども、9条の精神というのは「武力で平和を守るのではない。武力をなくすことで平和を達成する」という思想です。持ってはならない武力というのは、自国の武力だけではなく、外国の武力も含むわけで、これが砂川事件(※7)で非常に鮮明に表れたところです。

     砂川事件では、23人が突然捕まった。立川基地拡張工事のための測量を阻止したことを理由に、現行犯逮捕ではなく、測量から1カ月ほど経ったある日突然、23人の労働者や学生が捕まり、そのうち7人が起訴された。起訴は、刑特法(刑事特別法)違反でされましたが、これは地位協定に基づくものです。

     まず安保条約があって、それに基づく地位協定──当時は行政協定といいました──がある。さらに地位協定に基づいて刑事特別法が作られ、つまり占領目的を妨げる事で、日本人がやられたわけですけれども、結局、一審の伊達判決(※8)といわれるものは『憲法9条というのは、自国の軍隊であろうと、アメリカ軍であろうと、これは憲法違反なんだ』ということを非常にはっきり言ったわけです。

     これに対して国は『いや、憲法9条で禁止されている軍隊というのは、自国の統制下にある軍隊だけで、外国のものを含まない』という奇妙な論理をいった。そして、『刑特法は憲法違反ではない』という論陣を張ったわけです。

     これは色々エピソードがありますけれども、結局、跳躍上告(※9)という高裁を抜きにして、最高裁へ行って、しかも1959年、安保改定の前年ですから、早く決着をつけなければいけないということで、その年のうちに判決が出るわけですけれども、最高裁の長官であった田中耕太郎氏が、ライシャワー大使と話をして、事前に『こうしますから』と説明していたというのが最近明らかになっています(※10)。

     結局、最高裁は、こういう問題については、いわゆる統治行為論(裁判所が口を挟むべきものでなく、現行の法体系をそのまま尊重すべき)だと、『あえて憲法違反というべきではない』ということにして、一審判決を覆してしまった。

     ここで争われたのは、憲法9条に謳っている軍隊、戦力というものに、アメリカを『含む』のか、『含まない』のかということだったわけですけども、伊達判決は『含む』ということを明確にしたわけです。だから今でも、それは裁判で決着がついていない。しかし、9条の精神からいえば、それはまことに奇妙な憲法違反の状態がずっと続いている。沖縄返還後も続いているというのが現状だと私は認識しています」

    (※7)砂川事件:1957年7月8日、立川基地滑走路の中にある農地の測量が行われた際、これに抗議して地元反対同盟を支援する労働者・学生が柵を押し倒して基地の中に立ち入った。この行動に対し、警視庁は日米安保条約に基づく刑事特別法違反の容疑で23名を逮捕し、うち7名が起訴された。

    (※8)伊達判決:1959年3月30日、東京地方裁判所の伊達秋雄裁判長は、駐留米軍を特別に保護する刑事特別法は憲法違反であり、米軍基地に立入ったことは罪にならないとして、被告全員に無罪判決を言い渡した。この判決を伊達判決と呼ぶ。

    (※9)跳躍上告:第一審判決に対し、控訴を経ずに最高裁判所に申し立てを行うこと。

    (※10)2008年に、国際問題研究家の新原昭治氏が、米国立公文書館で発見した資料によると、伊達判決を受けて、当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って外務大臣の藤山愛一郎に最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官・田中と密談したりするなどの介入を行なっていた。インタビューの中で、澤藤弁護士は「ライシャワー大使と話した」と述べているが、ライシャワー氏は、61年から大使を務めており、記憶違い。

    岩上「そうですね。そう考えると、この『領土の保全等』の一項目というのは、ものすごく重要で、ちょっと今まで注目されてないと思うのです。これを定める限りにおいて、ここに『主権』『独立』と書いてあるわけですから、主権国家に外国軍が駐留しているというのは異常な状態であるわけです。したがって、『地位協定というのが憲法違反だから止めてもらう』『駐留は完全に止めてもらう』ということがセットでなければ、『独立国家』などと言うのは、ちゃんちゃらおかしいわけです。ものすごい矛盾ですよ」

    澤藤「そうですね。この9条の3を立案した方は、北方四島と竹島と尖閣だけが頭にあったと思います」

    岩上「本土のことも、沖縄のことも、この首都圏の上空の防衛も全然頭にない。そんな馬鹿な話は、あってはならないと思います」

    (前編・了)

    (文責・岩上安身、協力・大西雅明)


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