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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    岩上安身のIWJ特報 第91号「自民党憲法改正草案についての鼎談・第5弾」(1) 

    第91号
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
                 岩上安身のIWJ特報!
       「1人1票」を実現するために本当に必要な選挙制度とは何か?
          ~自民党憲法改正草案についての鼎談・第5弾(1)
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    (IWJより転載許可済み)


     第5弾では、第23条の「学問の自由」や、第24条の「家族、婚姻等に関する基本原則」、第26条の「教育を受ける権利」などを取り上げている。

     5月28日、政府の教育再生実効会議は、「大学教育等のあり方」に関する提言をまとめた。

     提言では、今後10年で世界の大学トップ100に日本から10校以上を目指し、「国際化」を進める大学を重点的に支援することや、小学校の正式教科として英語を取り入れることなどを求めている。「愛国心」を強調しながら、日本語教育よりも英語教育に力を入れるちぐはぐさ。こうした教育の問題は、当然、憲法23条とつながっている。

     24条に関して言えば、5月29日、東京地裁において、婚姻時に夫婦が一方の姓を選ぶことを規定した民法750条は違憲であるとして国を訴えた裁判の判決が下され、原告側の請求が棄却された。夫婦別姓を求める声が近年高まっているが、自民党改憲案が実現すれば、こうした別姓論議はかなり後退するだろう。

     日々、目にするニュースが、いずれも憲法につながっていることが改めてよく分かる。


     鼎談・第5弾で最初に議題として上げたのは、選挙制度の問題である。

     昨年12月に行われた衆院選について、1票の格差が是正されていないことを理由に選挙結果の無効を求めて争われた裁判の判決が、3月に連続して出された。この問題に関わるのが、憲法47条の「選挙に関する事項」である。

     「1人1票」の問題について改めて問い直す鼎談・第5弾、お読みいただきたい。


    ===================================
    ◆ 裁判官は自分の出世を考えた上で判決を出す
    ===================================

    岩上安身「3月25日、26日と連続して、各地の高裁で『昨年12月の衆院選は憲法違反である』、そして『一部は無効である』という判決が出ました(※1)。これは、日本国憲法14条の『法の下の平等』と15条の『公務員の選定及び罷免に関する権利等』に関わる話だと思います」

    (※1)「一票の格差」が是正されないまま行われた2012年12月の衆院選は「憲法違反」として、2つの弁護士グループが選挙無効を求めて全国14の高裁・支部に、計16の訴訟を起こしていた。

     3月25日、広島高裁は、広島1区と2区で行われた選挙に対して、「違憲」かつ「選挙無効」の判決を言い渡した。「選挙無効」の判決は戦後初。

     翌26日、広島高裁岡山支部でも「違憲、選挙無効」の判決が下り、最終的には16の訴訟において、2件が「違憲、選挙無効」、12件が「違憲」、残る2件は「違憲状態」という判決が出た。


    澤藤統一郎弁護士「47条にも関わってきます」

    岩上「47条──『選挙に関する事項』ですね。現行憲法には、選挙に関する事項は法律で定めるものだと書いてあります。これに対して、自民党案は少し変更を加えており、このまま読むと、人口比例選挙を認めているかのようにも見えます。

     昨日、一昨日の一連の判決は憲法に関わる話でもあり、非常に重要な判決だったと思います。本日は、この話から進めていきたいと思います。先生方は、昨日の判決をどのようにお聞きになりましたか?」

    梓澤和幸弁護士「各地の裁判所及び最高裁判所は、今まで『違憲状態』と言いながらも、『選挙無効』は出してきませんでした。こうした状況の中で、『憲法に違反する以上、それは無効だ』という判断を下した勇気と、判断のあり方について非常に関心を持ちました。


     裁判所には、『そのように影響の大きい判決はしない』という伝統が牢固としてあります。今回の判決は、この伝統を作り出してきた司法官僚体制に風穴を開けたという評価をすべきだと思います。

     千葉大学名誉教授で、評論家でもある新藤宗幸さんの著書『司法官僚(※2)』の中で、今の司法官僚の制度の問題点が書かれています。例えば、司法は原発を一度も止めたことがありませんし、そればかりか、止めた判決をひっくり返しています。

     そのせいで、現在の福島の塗炭の苦しみがつくられてきているとも言えます。ですから、私は裁判所や裁判官の良心は一体どこにあるんだ、と思っていました。その意味で、各地の裁判官は、今回の判決を『以て瞑すべし(※3)』だと思います。

     裁判の判決においては、この判決が政治的にどのように転がっていくのか、を考えてはいけないとされています。つまり、判断に直面したときに、その結果がどうなるかを考えて判断をしてはいけない、ということです。

     例えば、これまで表現の自由を守って、ビラを撒いた人を守った判決は一度も出ていません。自衛隊の官舎にビラを入れた人が逮捕され拘留された事件がありましたが、このような表現の自由を守る判決は、一度も出ていないのです」

    (※2)新藤宗幸著「司法官僚 裁判所の権力者たち」(岩波新書、2009年8月20日)

    (※3)以って瞑すべし(もってめいすべし):(宿願を果たして)それで安心して死ぬ
    ことができる。(三省堂「大辞林」より)


    岩上「一度もですか?」

    梓澤「はい。また、靖国の公式参拝について、これを『違憲』とする判決も一度も出ていません。(※4)しかし本来なら、憲法という規範に基づいて裁判官が判決を出すときに、『こういう判決を出したら私の将来はどうなるのか?』と考えてはいけないんです」

    (※4)これまで、首相の靖国神社参拝を巡って起きた訴訟として、1985年の中曽根康弘首相(当時)による公式参拝と、2005年の小泉純一郎首相(当時)による参拝が上げられる。

     中曽根首相の参拝に対しては、損害賠償を求めて3件の訴訟が起こされたが、いずれも請求は退けられた。しかし、92年2月の福岡高裁判決では、参拝をこのまま継続すると違憲になる、と指摘。同年7月の大阪高裁判決は、「憲法に違反する疑いがある」と述べている。

     小泉首相の参拝では、計7件の訴訟が起こされた。2004年4月の福岡地裁は、小泉首相の参拝を「職務の執行」であり、「憲法に禁止されている宗教的活動に当たる」として違憲とする判決を下した。さらに、2005年9月の大阪高裁も、小泉首相の参拝は職務としてなされたとみるのが妥当で、「憲法20条3項が禁止する宗教的活動にあたる」として違憲判決を下した。しかし、賠償請求は退けられ、原告敗訴となった。


    岩上「それはつまり、もし違憲という判決を出すと、裁判所の中での自分の出世がおぼつかなくなるかも、ということでしょうか?」

    梓澤「そういうことです。本庁を歩めず、県庁所在地にある裁判所にも行けず、支部にやられるということです」

    岩上「左遷されるということですね。『裁判官は独立して判決を下すべき』、『法律に則って公正な判断を下すべき』という意識で仕事をしているのではなく、実際には、組織の中での自分の出世や処世術にとらわれて判決を出すことが多いということでしょうか?」


    梓澤「はい」


    ===================================
    ◆ 「0増5減」では一人一票にならない
    ===================================

    澤藤「今、梓澤弁護士がおっしゃったことは、今までは司法消極主義が過ぎた、ということだと思います。本来の裁判所の役割は、立法や行政に憲法違反があるときに、躊躇なく是正をしなければならない、というものです。しかし実際は、そうしたことについて裁判官らが非常に臆病になっている。このような状態が、司法消極主義です。

     最高裁判所は、一票の格差を巡る問題について、これまで長い年月にわたって『違憲状態』、あるいは『違憲』と言ってきました。事情判決(※5)の法理を使って、無効にはしませんでしたが、『裁判所から見て見過ごすことはできない』と言ってきました。

     それにもかかわらず、立法がきちんとした対応をしてこなかった。裁判所としては、『面子をつぶされておもしろくない』ということで、この判決を出したという側面もあると思います。しかし、司法消極主義に風穴を開ける判決だったことについては評価したいと思います。

     しかし、先ほど梓澤弁護士がおっしゃったように、例えば、20条や21条の問題でこの判決が出たのなら私は飛び上がって喜ぶのですが、そういうことではありません。

     20条は、政教分離を含む信教の自由の問題です。そして、21条は表現の自由の問題です。それから、19条は精神の自由、思想・良心の自由です。こういう問題で素晴らしい判決が出たのなら、諸手を上げて喜ぶところなのですが、それほどではない。ですから、『めでたさも中ぐらいなり』という感じです。

     私は、立法府の議席配分というのは、可能な限り、鏡のように民意を正確に反映したものではなければいけない、と思っていますし、選挙区制度を考える際には、それ以外の考慮要素はないと思っています。

     ただ、最高裁の大法廷判決などを見ると、『それはひとつの重要なファクターである』と言う一方で、『民意の集約もやはり考慮してもよいのだ』ということも言っています。私に言わせれば、『民意の集約』とは、『民意の反映』の反対語です。強い政党に下駄を履かせ、弱い政党は切り捨てる。これを『民意の集約』と言っているわけです。つまり、これで政権の安定が保たれる。だから、これも一つの考え方なんだ、と言っているわけです。

     そういう意味で、私は現行の小選挙区制度は、憲法の精神からするとまことにおかしな制度だと思っています。たくさんの人の民意を切り捨てる『死に票』をたくさん作る制度だと思っています。今回の判決がそこまで切り込んだ判決であれば『素晴らしい判決だ』と思うのですが、そこまでは切り込んでいません。0増5減(※6)で問題はクリアできるとも言っています」

    (※5)事情判決:行政事件訴訟で、行政上の処分・裁決などが違法であることを確認しながら、それを取り消すことが公共の福祉に適合しない場合に、裁判所が取り消し請求を棄却する判決を下すこと(三省堂『大辞林』)。

    (※6)0増5減:「1票の格差」を是正するために、小選挙区の議席数を全国で計5つ減らし、それに対する定数の増加を行わないという選挙区制改正制度。2012年11月16日に参院本会議で可決、成立した。


    岩上「そうですね。それはおかしいですよね」

    澤藤「ええ。本来なら、民意を正確に反映すべき選挙制度を作らなければならないのに、そこに切り込んでいないので非常に不満です。一票の格差を巡る一連の訴訟は、国民一人一人の投票の権利に格差があることについて『おかしい』と言ったわけです。

     しかし、小選挙区制の問題とは、例えば、共産党や社民党などの少数党に投票した人たちが、自分たちが推薦した人を国会に送り込むことができないということです。

     自民党に投票した人は、約10万人に1人ですから、10万人が集まれば、その人たちが推薦した1人を国会に送り込むことができる。しかし、小選挙区制度では、共産党の支持者や社民党の支持者が何十万人集まっても、小選挙区からは議員を送りこむことができない。


     この差別を問題にした訴訟で最高裁は、国会でどういう制度を作るか、という裁量の範囲の問題だということであっさり切り捨てています。こういう裁判所が、今の地域の格差を助長していると思います.」

    岩上「それはどの判決のことでしょうか?」

    澤藤「15年ぐらい前の裁判で、大法廷判決でそういうふうになっています(※7)。これは、上告側がいろいろなことを言った中に、小選挙区制の違憲・無効も入っていたのですが、それはあっさり蹴られています。

     憲法41条は、『国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である』としており、47条では、『選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める』となっています。

     つまり、国会とは、国権の最高機関であり、民意によって選ばれている立法府ですから、国会が自分たちである程度のものを作る裁量は当然あります。しかも、ルールを作るための裁量はかなり広い。選挙制度という基本ルールを作るためのルールは、形式的な平等が保たれている限り、よほどおかしなルールでなければ違憲にはならない、というわけです。


     昨日の判決では、『2.43倍になると裁量の範囲を逸脱して違憲だ』と言っています。このことについて、もちろん評価はするのですが、小選挙区制の問題にまでは切り込んでいない。立法府の作り方の根源にまで最高裁が踏み込んでこなかったことについては、やはり批判せざるを得ないと思います。

     ですから、重要なのは昨日の判決の射程距離がどこまでなのか、ということだと思います。0増5減で糊塗(※8)され、これで問題がないということになれば、私はさほど評価すべきところはないと思います。

     司法消極主義を払拭した側面は評価しますが、それに留まるものだということになると思います。本当の意味で、民主的な立法府を作るところに踏み込んだもの、と言えるかどうかについては、評価を躊躇せざるをえないと思います」

    (※7)1997年10月20日に行われた衆院総選挙の東京第5区を巡る選挙無効請求事件で、最高裁大法廷は「小選挙区制は、選挙を通じて国民の総意を議席に反映させる一つの合理的方法ということができ、これによって選出された議員が全国民の代表であるという性格と矛盾抵触するものではないと考えられるから、小選挙区制を採用したことが国会の裁量の限界を超えるということはできず、所論の憲法の要請や各規定に違反するとは認められない」と述べている。
    (引用:「裁判所HP」http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=52269&hanreiKbn=02

    (※8)糊塗(こと):一時しのぎにごまかすこと。その場を取り繕うこと(三省堂「大辞林」より)。


    岩上「今回の一連の訴訟のリーダーになっていらっしゃる山口邦明弁護士に、昨日インタビューしました(※9)。山口弁護士は40年間、この一票の格差問題に取り組み続けており、東京の比例区などの提訴を担当されています。

     山口弁護士が主張されているのは、『人口比例』です。昨年末、0増5減で三党合意をしましたが(※10)、これではまったく人口比例になりません。その理由のひとつは、三党合意では一人別枠方式(※11)という、都道府県すべてに1人あてがうということを止めないと人口比例はできない、ということについては切り込んでいないからです。

     また、かつて民主党が『21増21減案』を出していました。この案なら、全体をシャッフルして、人口比例、格差是正ということが可能でしたが、民主党は参議院で負けていたために、ねじれ国会になり、そのため、自民党に次々と妥協や譲歩せざるを得なくなり、自民党の『0増5減案』を呑んでしまいました。

     そして今、新聞では『0増5減にすればよい』という意見がほとんどを占めています。しかし、これでは人口比例にはならず、違憲の状態は解消されません。この点が気になります」

    (※9)2013/03/26 岩上安身による山口邦明弁護士インタビュー
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/70028

    (※10)2012年11月16日、自民・民主・公明3党が、国会対策委員長会談に臨み、自民党が第180通常国会に提出していた衆院小選挙区「0増5減」法案を衆院解散前に成立させることで合意した。合意書では、「衆議院議員の定数削減については、選挙制度の抜本的な見直しについて検討を行い、次期通常国会終了までに結論を得た上で必要な法改正を行う」としている。

     2011年3月23日、最高裁大法廷は、09年8月に行われた総選挙に対する選挙無効訴訟の上告審で、定数配分は違憲状態にあるとし、一人別枠方式の見直しを求めた。

     民主党は当初、より抜本的な選挙制度の改革を検討していた。最高裁の判決後まもなく、民主党は「一人別枠方式」の廃止など、早期に意見集約を図る方針を固め、岡田幹事長(当時)は、「一人別枠方式」の廃止と「21増21減案」の採用、又は選挙制度それ自体の抜本的見直し、のどちらかになるとの見通しを示していた。

     「21増21減案」は、判決要旨に純粋に従った内容で、一人別枠方式を廃止し、定数300を都道府県の人口比例で配分するしくみのこと。選挙区の数は単純割り算で決まり、党利党略が介入する余地がないとされ、格差は2.3倍から1.6倍に縮減すると推計されていた。


     ところが、地方選挙区が多く減ることで激変緩和を求める地方選出議員の意見が相次いだため、複数の議員から対案が提示され、「21増21減」案は放逐された。

     「21増21減案」を断念したあとも、「5増9減」や「6増6減」などを検討していた。しかし自民党は、あくまでも「0増5減」を提示し続け、結局、民主党は根負けをして、自民党の軍門に下り、2012年1月、3党合意を優先するために自民党案を丸呑みした。

     2013年4月19日、「0増5減」を含めた公職選挙法改正案を自民党が強行採決し、23日の本会議で自公の賛成多数により可決された。民主党、みんなの党、国民の生活が第一などの野党は反対し、日本維新の会は欠席した。

    (※11)「一人別枠方式」:衆議院の小選挙区300議席のうち、まず47都道府県それぞれに1議席ずつを「別枠」として割り当て、残り253議席を人口に比例して配分する方式。


    ===================================
    ◆ 「一人別枠方式」の廃止は地方の切り捨てというジレンマ
    ===================================

    【現行憲法】

    第47条 選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。


    【自民党憲法改正案】

    第47条 選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律で定める。この場合においては、各選挙区は、人口を基本とし、行政区画、地勢等を総合的に勘案して定めなければならない。

    ──────────────────────────────────

    岩上「せっかくですから、この部分も、自民党の改憲案に触れたいと思います。改憲案の47条には、『この場合においては、各選挙区は、人口を基本とし、行政区画、地勢等を総合的に勘案して定めなければならない』と書かれています。これをどのように解釈すべきでしょうか」

    澤藤「『人口を基本とし』というところに注目するのは間違いだと思います。『行政区画、地勢等を総合的に勘案して』というところがミソです」

    岩上「つまり、純粋な人口比例を実現しなくてはならない、1人1票に近づけなくてはならない、という意味ではないということなのでしょうか?」

    澤藤「はい。一人別枠方式の問題がありました。2009年8月の衆議院議員総選挙に対する選挙無効訴訟で、2011年3月に最高裁判所大法廷判決が出ました。そこでは、定数配分は違憲状態にあるとして、一人別枠方式の見直しを求めています。

     こうした判決が出ているにも関わらず、自民党案では、『いや、これでやるんだ』ということです。つまり、『最高裁判例を変える』、あるいは『最高裁判例に従うより、憲法を変えてしまった方が早い』とも読めます。

     しかし、『行政区画、地勢等』については、まったく馬鹿げたことを言っているわけではないと思います。つまり、『行政区画、地勢』とは『地方のコミュニティから立法府に議員を送り込むことがあってもよいだろう』ということで、そこを単位にして、それなりの区割りをして選挙制度を作るということです。それは、そんなに馬鹿げたことではないと思います」

    岩上「小さなコミュニティからも議員を出すべきだ、と」

    澤藤「例えば、今までは、島根や鳥取などの小さな県から、一人別枠方式で1人を出すことが確保できた。しかし、必ずしもそれは憲法に適合しない、そういう考慮は正しくない、などと言われた場合、それならば参院から1人とか、参院をもう少し広くして山口県まで含めて2、3人にとか、そういう行政区割を壊した形で選挙区割を作らなければならなくなる。今までは、それは無理だよね、ということで通っていたわけです。

     つまり、私は岩手出身なのですが、そうした地方から『自分たちの代表を出したい』と思っていても、純粋な人口比例にしてしまうと、『都会が圧倒的に強くなり、中央の意見が通り、地方はますます過疎化してしまう』という危機感があるわけです。

     それに対して、やはり地方にもそれなりの厚い議席の配慮をするということが、『一人別枠方式』だったのです。しかし、それはダメだ、と言われる時代になってきたということです。

     大雑把に言えば、野党も与党も『地方は切り捨ててもいいんだ』という風潮があり、最高裁もそれに乗って、『人口比が正しい』と言うようになった。そういう風潮の中で、このような判決が出てきたんだと考えています。

     とはいえ、私は、この47条はやはりおかしいと言いたい。

     繰り返しますが、民意を鏡のように反映する選挙制度、民意と相似形の立法府を作ること以外に、選挙制度に関する理念はない、と私は昔から信じています。しかし、それは小選挙区ではできません。けれど、全国1区の比例代表制にすれば純粋にできます」

    岩上「全国1区にして、その後、議員の選出をブロック別にするということでしょうか? そうでなく、全国一律の比例ということになりますと、それこそ本当に地域ごと、地方ごとに代表を出すことができなくなる恐れもあるのではないですか?」

    澤藤「そういう恐れもあると思います。ですから、立法府の裁量で、全国を『8つのブロックに分ける』『9つのブロックに分ける』『11のブロックに分ける』などということぐらいは許されるのではないか、と考えています。

     少なくとも、小選挙区のような形では、人口が同じように推移するわけではありませんから、区割りを毎回しなければなりません。『正確な人口比による議員の選出』というものに最も馴染まない制度が小選挙区制だと思っています」

    岩上「今、澤藤弁護士がおっしゃった『比例代表制で全国1区にして、それを地方ブロック別に配分する』という案は、みんなの党の案に一番近いと思います(※12)。この案はご存知でしょうか?」

    (※12)みんなの党案「一人一票比例代表制(ブロック単位)」:定数を300とする新たな比例代表制度。政党名か、現行衆議院地域ブロック毎に政党が示す非拘束名簿記載の候補者名のいずれかを投票する枠組み。

     政党票・候補者票を政党得票として、全国で合算集計した得票に基づき、政党ごとの議席配分を確定し、各政党内でブロック投票に応じ、各ブロックへ議席配分。各政党内の各ブロック内で候補者票が多い順に議席を確定する。無所属も1人政党などとして立候補可能になる。「一人一票」で真の民主主義国家を実現する。
    (「みんなの党HP」より引用 http://www.your-party.jp/file/press/111021-01a.pdf


    澤藤「いえ、それについては詳しくは知りません。理念的なこととして自分の考えを話しています。現行制度だと、少数の政党に不利になり、多数政党に有利になる。今回も、自民党は4割以下の得票しかありませんでした。2009年の選挙と今回の選挙を比べても、自民党の得票数は増えていません(※13)。

     それにも関わらず、294議席も取れたというのは、完全に小選挙区制のマジックです。つまり、大政党に下駄を履かせるという現象が起こった。小選挙区制ならば、第一党と、第二党にしか票が行かないんです。第一党に票が行くのは当然ですが、第一党の批判票はすべて第二党に流れる。これを、『小選挙区効果』と言います。

     『どうせ投票しても当選しないのなら、少し似た第二党にかけてみよう』ということになり、そういうことが繰り返されていれば、第三党以下の政党は、何回選挙しても『どうせ駄目だ』ということになる。その積み重ねが、まさに、今の自民党と民主党の二大政党制であると思います」

    (※13)2012年の衆院選で、自民党が獲得した比例区の絶対得票率は、16.4%。有効投票に占める得票率も27.7%に過ぎなかった。ちなみに、2009年の衆院選では、それぞれ18.51%と26.7%。


    岩上「民主党はもう崩壊していますから、二大政党制ではないと思います。はっきり言いますと、第二党が内部から分裂し、外部からの圧力で解体され、第一党の圧勝になっています。

     ここで、選挙無効の話に戻したいと思います。全国で提訴をしたグループは2つあります。さきほどの広島高裁での無効判決は、山口邦明弁護士のグループ。そして、広島高裁岡山支部での無効判決を出させたグループのリーダーは、升永英俊弁護士という方です。


     升永弁護士には、以前インタビューをさせていただきました(※14)。『人口比例原理主義者』と言うと叱られてしまうかもしれませんが、升永弁護士にはかなりそういった要素が感じられました。『とにかく1人1票を実現すればよい』、『そういう区割りをすればよい』とおっしゃっています。

     さらに、『まずはそういう国会を作る』とも言われています。そうでないと違憲ですから。違憲状態の議員が法律を作るのはよくないことなので、人口比例選挙をして、その後、区割りや制度──例えば、小選挙区制にするのか、中選挙区制にするのか、全国一括の比例代表制にしてブロック別に配分するなど──については、何十年かけても議論すればよい、ということです。とにかく、1人1票という法の下の平等を実現するべきだ、と。この
    点についてはどう思われますか?」

    (※14)2012/12/21 岩上安身による升永英俊弁護士インタビュー
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/46152


    澤藤「私は、彼と一緒に司法試験を勉強した仲なのですが、彼が言いそうなことだなと感じます。彼が言っていることは、非常に筋が通っています。『憲法の原則はこうだ。それに明確に反している。違憲は明らかだ』ということなのですが、こういう意見が今までなかなか通って来なかったんです。

     選挙制度というルールを作る場合、皆に同じように適用されるものですから、ルールの作り方について、国会にはある程度の裁量が与えられます。その裁量の中に、例えば、地方に対する配慮をして一人別枠方式でもいいじゃないかというものがある。

     それはそれなりに、過疎地、あるいはコミュニティからまず1人は議員を出すというやり方を、合憲や違憲という問題を超えた国会の裁量としてそれを認め、特に違憲ではない、ということで今までずっと認められてきたのです。

     しかし、2011年3月に『一人別枠は駄目だ』という判決が出た。そういうことをしている限り違憲状態である。一票の格差の是正はできないのだ、とかなりはっきり言われたわけです。

     今、それに切り込まざるを得ないところまで来ているわけです。しかし、そこに切り込めば、地方を切り捨てることにもなる。そうでなくても、地方の過疎化が進んでいるときに、地方の発言力がまた落ちていく。

     しかし、最高裁が、それが憲法の要請しているところだ、と言ったということは、今はそういうところまできたのだと私は理解しています」

    岩上「これは難しいですね。『1人1票を実現するべきだ』という考え方は、現在の憲法の理念を守れば、当然出てくる結論だと思います。しかし一方で、地方と都市の格差が広がることにもなるわけですね」

    澤藤「日本国憲法の理念から考えると、人口割で、それぞれの人が平等な1票を持っていますから、地方も都市もないんです。それらを一緒にして、同じ人口から同じ数の議員を選ぶ区割りは、少なくとも2以内に抑えるようにする。

     必然的に、今までよりは都会に厚く、それから地方に薄くなる。しかし、これは仕方がないと思います。もともとそういうものだ、という割り切りをせざるを得ない。そこで一昨年の最高裁の判断となった。けれど、それに従ってきちんと国会が区割りの是正をしなかったために、今回の一連の判決になった、ということだと思います。

     憲法の問題として言うならば、立法・司法・行政というサイクルの最初にあるのが選挙ですから、選挙制度をどうするのか、ということは非常に重要な問題です。私は、どういう立法府を作るのかという理念を考えるとき、民意を正確に反映すること以外にはない、と考えていますから、小選挙区制はまことにふさわしからぬ制度だと思っています。

     もう一つ、『国会の裁量権はどこまであるのか』ということです。特に、41条は『国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である』と定めています。それから、47条には『選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める』と書いてある。この『法律でこれを定める』というのは、41条だけではなく、もう少し広範な裁量権を国会に与えたということなのか。つまり、憲法がそういう知恵を与えたと読むのかどうか。以上の2点が憲法上の問題であることを指摘させていただいて、次に進みたいと思います」

    岩上「次に行きますが、その前に、梓澤さんからも一言お願いします。今回の決定で、もしかすると、本当に解散をしなければならない状況になるかもしれません。そして、一部で囁かれていたことですが、『衆参ダブル選挙が行われる』という可能性がにわかに浮上してきました。

     『予想を超えて厳しい判決が出た』ということで、最高裁もかなり早い段階で結論を出すと思います。それに対する応答として、国会は解散を選び、安倍総理も解散を選ぶことになるかもしれません。これは、少し憲法論議からずれるかもしれませんが、『違憲状態で選ばれた政府が憲法論議をやるとはいかがなものか?』ということを、我々は言ってきました。しかしここで、新しい政権が生まれるかもしれない』いうことについて、一言お願いします」

    梓澤「今、澤藤弁護士が言われた『本当に根本的な選挙制度のあり方』を考えないまま、弥縫策(※15)として選挙制度をいじっただけの状態で、衆議院と参議院の同時選挙を仮にするならば、特に現行憲法を非常に大事なものだと考え、基本的人権を大事なものだと考え、平和主義を大事なものだと考える少数勢力が、一挙に少数に追い込まれる可能性があると思います。ですから、私はその点について喜ばしいとは思わず、むしろ危機感を持っています。

     なぜかと言いますと、これで衆議院の3分の2を改憲勢力がはるかに超え、あるいは、参議院選挙の方もそうなると、一挙に改憲発議に雪崩れ込みかねないからです。そうなった場合、そのことについて危機感を持って『今の自民党改憲草案がどのような性格を持っているのか』ということをきちんと研究して、これを聞いてくれている方々が発信者にならなければならないと思います」

    (※15)弥縫策(びぼうさく):一時的にとりつくろう策。一時の間に合わせの策(三省堂「大辞林」)。


    岩上「そうですね。その可能性も出てきました。だからこそ、我々も急いで憲法の勉強をして、それを発信していきたいと思っています。また、聞いてくださった方々がご自身で考え、発信していくことがとても重要になってくるということですね」


    ===================================
    ◆ 学問の自由で保障される「大学の自治」
    ===================================

    【現行憲法】

    第23条 学問の自由は、これを保障する。


    【自民党憲法改正案】

    第23条 学問の自由は、保障する。

    ──────────────────────────────────

    岩上「では、今回の本題に戻ります。23条ですが、自民党案の方では、『これを』という言葉がなくなっています。そして、26条の『教育に関する権利及び義務等』では、現行憲法と自民党案とはほとんど同じです。ただ、自民党案には第3項が新設されています。ここを説明していただきたいと思います」

    澤藤「まず23条ですが、中身は変わっていません。現行の憲法23条は、104条ある条文のうち、ただひとつ、五・七・五でできている条文です。私たちがこの憲法を習ったときのリーディングケースは、『ポポロ事件判決(※16)』でした。ポポロ事件とは、『松川事件(※17)』を題材にした演劇を、東京大学の中教室を借りて学生らが上演したものです」

    (※16)東大ポポロ事件:1952年2月20日、東京大学構内の法学部教室において、同大学公認の学生団体「劇団ポポロ」が松川事件を素材とした演劇を上演した。その際、本富士警察署警備係の警察官ら複数名が私服で潜入していることを学生が発見。そのうち3名が捉えられた。

     学生らは、同大学厚生部長立ち会いの下に再度学内に侵入しない旨の始末書を書かせてこれらの警察官を解放したが、逃げようとする警察官を捕まえる際に暴行を加えたとして、学生が暴力行為等処罰法違反の罪で起訴された事件。警官らは、以前から無断で大学当局に立ち入り、学生や教職員の調査を行っていた。

     第1審では、学生らの行為は「官憲の違法行為をいたずらに黙認することなく、将来再び違法な警察活動が学内で繰り返されることを防止するものである」として、学生らを無罪とし、第2審もこれに則った。検察側は上告したが、最高裁は原審を破棄、東京地方裁判所に審理を差し戻した。差し戻し後の第1審では、被告人を有罪とし、その後の控訴・上告は棄却された。

     最高裁判決では、「憲法23条の学問の自由は『学問的研究の自由とその研究結果の発表の自由』を含み、(略)特に大学におけるそれらの自由を保障することを趣旨としたもの」であり、「大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められている」としながらも、「本件集会は、(略)実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準じるものであって、大学の学問の自由と自治は、これを享有しない。(略)したがって、本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を侵すものではない」と結論付けている。

    (参考、一部引用:高橋和之、長谷部恭男、石川健治編『別冊ジュリスト186号 憲法判例百選1[第5版]』2007年2月28日発行)


    (※17)松川事件:1949年8月17日、福島県松川町を通過中の東北本線上り列車が突如脱線転覆し、乗務員3名が死亡した事件。事件が起きたのは、東北本線松川駅-金谷川駅間のカーブで 検証の結果、事故地点付近の線路継目部のボルトが緩められ、継ぎ目板が外されているのが確認された。さらにレールを枕木上に固定する犬釘も多数抜かれていた。


     捜査当局は、当時解雇反対および工場閉鎖反対等の闘争中であった国労福島支部幹部、及び東芝松川労組幹部ら(いずれもほとんどが共産党員)に目をつけ、それぞれから10名ずつ合計20名が逮捕・起訴された。逮捕に際しては、科学的捜査ではなく連日のきびしい取り調べ、自白強要が行われた。

     51年の第1審福島地裁は、5人を死刑、5人を無期懲役にするなど全員有罪の判決を下した。2審の仙台高裁では、死刑4人を含む有罪が17人、3人が無罪。続く最高裁は2審判決を破棄し、仙台高裁に差し戻した。差し戻し後の高裁判決では、被告人全員に無罪が言い渡され、63年の最高裁は再上告を棄却、無罪が確定した。

    (参考:「松川資料室HP」http://www.matsukawajiken.com/
    (参考:「狭山事件HP」http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/sayama/index.html


    岩上「2つの事件を説明していただけますか?」

    澤藤「松川事件というのは、1949年8月17日に、東北本線松川駅の近くで貨物列車が転覆し、3人が亡くなった事件です。夜中の事故でしたが、翌朝には、与党と官房長官が『あれは共産党と労働組合の仕業だ』ということで、十何人が起訴されました。そして、1審は死刑を含め全員有罪でした。それが、最終的には全員無罪になった事件です。いわば、大冤罪事件ですね。

     しかも、裁判批判がこれだけ国民的に大掛かりになった事件はありません。私が弁護士になったのも、この松川の支援運動の中で『弁護士になろう』と志したからです。

     この松川事件を題材にした演劇を、ポポロ劇団が東大本郷のキャンバスの中で上演したのですが、そこに本富士警察の公安刑事がまぎれこんでいた。学生が彼らを見つけ、警察手帳を取り上げ、謝罪文を書かせた。

     傷害ではなかったのですが、このことを、『暴力法(※18)』で、つまり、『多人数で、暴行、有形力を行使した』ということで起訴されたんです。『暴力法』は、本来は『暴力団対策立法』のはずなのですが、実際には、弾圧立法として使われていました。そういうことは今でもあります。

     憲法23条には、『大学の自治』が含まれています。学問の自由というのは『学問を研究する自由』、『発表する自由』、『享受の自由』そして『大学の自治まで含む』というのが普通の考え方です。そして『大学の自治を侵した警察の方が悪い。その警察官に対して、そのぐらいのことをするのが正当な行為であって、違法性を阻却する』という判決が1審でも2審でも出て、無罪になりました。これは天下の大問題になりました。

     しかし、最高裁は、これを逆転有罪にしました。これが『ポポロ事件』の最高裁判決です」

    (※18)暴力行為等処罰に関する法律:集団的・常習的な暴行・脅迫・器物損壊・面会強請、銃砲・刀剣による加重傷害などの犯罪の処罰について定めた法律。1926年施行。「暴力行為法」「暴力法」などと略される(ジャパンナレッジ「大辞泉」より)。


    岩上「これは何年に出たのでしょうか?」

    梓澤「1963年5月22日の最高裁大法廷判決です」

    澤藤「事件発生から11年後に最高裁判決が出たんです。事件当時、23条の『学問の自由』とは、大学、あるいは大学構成員である教授の自由であり、大学の自治というのは、いわば教授会の自治である、という考え方が普通でした。

     学生たちの自治や自由ではなく、『高等教育機関の自由』だと。つまり、新しい学問や研究、最先端の学問をする人には特別な自由が与えられなければならない。国民全体の自由ではなく、特別な地位にある人の特別な権利・自由である、という考え方が伝統的だったわけです」

    梓澤「なぜ『大学の自治』が『学問の自由』として当然に保障されるものであるか。それは、学問というものは、中世の時代から、その時代の最も先端的な思想、すなわち公権力の思想を超えて、ときには宗教が絶対的な権力を持っているときに宗教をも批判することができるものなのです。かつて、『それでも地球は動く』と言ったガリレオがいました
    (※19)」

    (※19)「それでも地球は動く」:天動説が信じられていた時代に、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイが、地動説を唱えたために裁判にかけられ、有罪判決を受けた際につぶやいたとされている言葉。


    岩上「ガリレオが、天動説と対立する地動説を考え出したことで、教会の権威をぐらつかせました」

    梓澤「そうです。権威をぶち破って新しい時代を切り開いていくことに学問の自由があるのであり、その点できわめて大事な精神的な自由が存在する。

     そして、なぜ大学の自治があるかと言えば、学問の環境が、常に権威に抵抗して先端的な治験を切り開いていくためには、その場がいかなる権力をも排除する場でなければならないわけです。その意味で、大学の自治は必要であるし、そうした場所で学生は学ぶ。

     そして、学生というのは、学ぶだけでなく、研究もします。ですから、『学生もまた、大学の構成員である』というのが、ポポロ事件の弁護側の主張だったのですが、最高裁はそれを退けました。

     大学の自治については、最近の傾向を見ると、一体大学の自治はどこへ行ったのかというくらい、文科省の、国立大学や私立大学に対する発言権は強まっています。

     例えば、澤藤弁護士も私も、1960年あたりに大学に入っていますが、その頃は大学管理法(※20)が国から持ちだされて、教授会が学生たちと一緒になり、教授会と学生自治会の共催で、全国の大学ごとに反対集会というのが開かれていました。

     ああした勢いはどこにいってしまったのか、と今思います。憲法がこれほどの危機にさらされているのに、どこの教授会が、あるいは、どこの憲法の研究者が声を上げているのかと思うくらい、静かな状況です」

    (※20)大学管理法(大学の運営に関する臨時措置法):大学紛争が生じている大学の「運営に関し緊急に講ずべき措置を定め、もつて大学における教育及び研究の正常な実施を図ることを目的」に定められた法律。2001年に廃止された。


    岩上「本当ですね。私は1970年代末に大学に入ったのですが。その頃は、もう全共闘の運動も終わり、残り火しかないような時代でした。とはいえ、その頃改憲論議が起きていたら、少なくとも各地で声が上がり、シンポジウムが開かれるということはあっただろう、という気がします。

     今のこの状態と、あの時代の違いは何なのだろうと。先ほど、梓澤先生が『司法官僚』という本は読んだ方がよいとおっしゃいましたが、まさに今は、『文科官僚』という本がなければおかしいと思います。官僚統制が、学問の府である大学の場に行き渡り過ぎていると思います」


    ===================================
    ◆ 地方公務員の争議権は認められない
    ===================================

    澤藤「話を戻しますが、伝統的には、今のように、大学の自由や自治だったのですが、昭和51年に、旭川学テ大法廷判決(※21)が出ました。事件をかいつまんで話すと、当時、全国一律の学力テストに、教員たちが反対をしたのです。

     今は考えにくいのですが、非常に質の高い組合運動があった時代で、ストライキはできませんでしたが、いろいろな形で阻止闘争を起こしました。そして、そのいくつかが刑事事件になり、旭川市立永山中学校事件というのが、最高裁まで行きました。これは、1審は無罪、2審でも無罪、そして最高裁で逆転有罪というものでした。

     何が争われたのかというと『教育権』です。昔は、教育というのは天皇が行うもので、拳拳服膺して教育を受ける臣民の義務でしかなかったわけです。それに対して、『国民にも教育の権利があるんだ』と主張しました。

     つまり、大日本帝国憲法から日本国憲法に変わったときに、教育の事情も一変しました。国民の教育権というものに基づいて、国民自身、つまり学校に子どもを行かせている父母や地域、そしてその人たちから委託を受けた教員が、国民の教育権の行使をしている。

     そうした中で、23条の『学問の自由を保障する』の『保障』される対象として、高等機関や大学だけではなく、小中高の教員にも、学問の自由や、少なくとも教師の自由があるはずだ、それを侵害した一斉学力テストはけしからん、という論法だったのです。

     これに対して、最高裁は『一定の範囲ではあるが』という留保をつけましたが、『23条の学問の自由が保障されるのは大学だけではなく、中学校の先生にもある』ということを認めました。これは非常に重要なことです」

    (※21)旭川学テ事件:1961年に実施された全国中学校一せい学力調査(学テ)に対し、旭川市立永山中学校で実力阻止行動を行った労組役員4名が、建造物進入、公務執行妨害、共同暴行罪で起訴された事件。

     1審判決は、“学テは違法”であり、かつその違法がはなはだ重大であるとして公務執行妨害の成立を否定したが、建造物侵入と共同暴行罪の成立は認め、有罪判決を言い渡した。2審判決も、1審の判断を支持した。最高裁は、裁判官全員一致で、“学テを合法とみなし”公務施行妨害罪成立を認めた。

    (参考、一部引用:高橋和之、長谷部恭男、石川健治編『別冊ジュリスト187号 憲法判例百選2[第5版]』2007年3月23日発行)


    岩上「社会的な通念として、学問の自由とは、大学のことだけを指していると思われている方が多いのではないでしょうか。しかし、現行憲法、そして最高裁が、高校・中学校・小学校でも、教育をする教員にも自由がある、と認めたということですね。これは知らない人が多いと思います」

    澤藤「世界人権規約(※22)などでも、アカデミックフリーダム(学問の自由)というのは、高等機関だけに限られていません。ただ、先ほど梓澤弁護士がおっしゃった大学の場合とは、少し違います。中学校ですから、最先端の知見を追求することについて公権力と切り結ばなければならないなどといった局面で認められているわけではありません。

     『国民が教育を受ける権利』に対応するものとして、小中高の先生も、自分たちの一定の裁量をもって子どもたちと接し、教育というものをまっとうする自由を持っている、ということであり、最高裁もこれを認めています」

    岩上「以前にお話しいただいた『思想、良心の自由』に関わるものとして、君が代斉唱を強制されるという問題があり、これを強制されたときには、『NO』と言う自由があるのではないか、とおっしゃられていました。

     しかし、昨今は、逆にそれを強化する方向にきています(※23)。この『君が代の斉唱の強制に対して従わない自由』と『学問の自由』とはつながるのでしょうか?」

    (※22)国際人権規約:1966年の国連で採択された人権条約で、76年発効。日本は、79年に批准した。「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」と、「市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」、及び自由権規約に付属する2つの議定書からなる。

     社会権規約の第13条は、「この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める」としており、初等教育から高等教育まで「すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること」などと定めている。
    (参考:「外務省HP」http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/index.html


    (※23)君が代斉唱強制問題:2011年5月25日、橋下徹大阪府知事(当時)が代表を務める「大阪維新の会」府議団は、大阪府議会議長に対し、府内公立学校の入学式や卒業式などで君が代を斉唱する際、教職員に起立・斉唱を義務づける条例案を提出し、同年6月3日成立した。


    澤藤「はい。19条の『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない』と23条、さらに場合によっては26条も関わってきます。すべての人、あるいはすべての公務員についての『思想の自由』については19条しかありませんが、教員については、23条も関わってきます。

     19条でしか保障されない人と比べて、教員はさらに23条で手厚い保護がされるはずだ、という理屈が成り立つわけです。そして、23条と26条はセットになっています。

     教育を受ける権利とは、単に授業を受けるということではなく、人格の完成を目指して、主権者たるにふさわしい、つまり、きちんと自分の頭で物事を考えることができる人間に育つ権利を一人一人が持っている、という考え方です。

     そして、それに奉仕する立場にあるのが教員です。教員は、子どもと人格的に接触し、その人の本来持っている能力を引き出し、その人に影響を与え、十全の人格完成の手助けをするという立場にあります。

     つまり、26条での子どもを守る立場にある人間として、それから23条での裁量を持っている人間として、公権力が子どもに対して不当なことをするときには、ひとつの考え方として、教員が防波堤にならなければならないという義務がある。少なくとも、唯々諾々と、公権力の言うままに『日の丸君が代に拳拳服膺しなさい』という指導をしない権利がある。


     今までも申し上げてきましたが、人権の中には、国家からの自由、すなわち対公権力性という側面があります。これを普通は自由権といいます。それから、生存権や教育を受ける権利があり、社会権という、公権力に対して何かを要求する権利があります。

     つまり23条は、子どもに対して十分な教育を受けさせ、社会権をまっとうさせる地位にある教員としての立場の両方の側面を持っています。それから、それをまっとうするために、公権力に対して『NO』という権利も、ある局面では生じてきます。

     子どもに対して『日の丸や君が代に敬意を表しなさい』という指導を命じられたときに、『それはできません』と言う権利があるはずだ、というのが23条であり、26条でもある、と私は考えています。

     公権力は、いつも正しいことを教えるわけではありません。とりわけ、石原慎太郎さんや、あるいは橋下徹さんのような、極端な国家主義や、新自由主義の方々が、思い付きで言うことが正しいとは限りません。そうした思い付きが、子どもにとって取り返しのつかない影響を及ぼすこともあります。

     そういうとき、少なくとも教員は『私はその職務命令に従うことはできません』『子どもを守る教員としてそれはできません』と言う権利があるはずだ、と思っています。これは、19条の『思想及び良心の自由』でいうところの、自分の思想、あるいは教員としての職責をかけた良心から、ということでもあります。そして、23条の教員としての権利の行使でもある。そういう立場で、今、私たちは裁判所を説得しようと思って一生懸命、裁判をしているところです」

    岩上「なるほど。先生は具体的に裁判を抱えていらっしゃるんですね」

    澤藤「はい。いくつかあります」

    岩上「わかりました。ほかに、この件について補足することはありますか?」

    澤藤「旭川学テ事件の大法廷判決と同じ日に、岩手の事件(岩教組学テ事件)(※24)も最高裁判決が出ています」

    (※24)1961年実施の全国中学校一斉学力調査に反対する、岩手県教員組合役員7名が、テストの実施を阻止するために、傘下組合員である中学校教員に、実施に際しての職務遂行を拒否するようにとの指令書などを出した。また、このうち数名は、小中学校長に口頭で強く訴えるとともに、テスト当日に立会人らの来校を阻止するために道路に立ちふさがるなどした。これらの行為が地方公務員法違反などに該当するとして起訴された事件が岩教組学テ事件である。

     1審判決は全員有罪としたが、2審判決では、争議行為に「必要かつ不可欠または通常随伴する行為」として可罰的違法性のないものと判断し、全員無罪を言い渡した。

     1976年5月21日の最高裁は、2審判決を破棄し、被告人を全員有罪とした。判決では、地方公務員の地位や職務は、「地方公共団体の住民全体の奉仕者」として「直接公共の利益のための活動の一環をなすという公共的性質」を有するものであり、私企業の労働者と同視して地方公務員に対し争議権を認めることは、「かえって議会における民主的な手続によってされるべき勤務条件の決定に対して不当な圧力を加え、これをゆがめるおそれがある」などとして、公務員の争議権は禁止とした。

    (参考、一部引用:高橋和之、長谷部恭男、石川健治編『別冊ジュリスト187号 憲法判例百選2[第5版]』2007年3月23日発行)


    岩上「わかりました。次に26条にいきたいと思います」

    【鼎談・第5弾(2)に続く】

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