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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    言論の自由の変質 禁止規定を法制化 強まる政府の押し付け 

    メディア時評 <12月>
    山田 健太 琉球新報 2013年12月14日

    言論の自由の変質
    禁止規定を法制化
    強まる政府の押し付け

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    メディア時評 <12月>
    山田 健太 琉球新報 2013年12月14日

    言論の自由の変質
    禁止規定を法制化
    強まる政府の押し付け

    13日、特定秘密保護法が公布され、1年以内の施行に向け、「第3者的機関」の設置や具体的な秘密指定・管理・解除等の手続きの詰めが始まる。逆にいえば、法はできてもその運用基準作りはいまからで、それ次第では成立段階で穴だらけの情報隠蔽(いんぺい)法が、さらに悪質なものに変わる可能性もありうる。だからこそ、むしろこれまで以上に目を凝らして動向を監視し、勝手なものを作らせないことが必要だ(法の問題点については、『世界』11月号および1月号所収の拙稿ほか参照)。

    ■石破発言の意味

     実際、国会審議中にブログで「絶叫デモはテロ行為と変わらない」と書いた石破茂自民党幹事長が、法成立後には「開示する行為は抑制が利いてしかるべきだ」と、情報を入手はしても報道すべきではないとの発言をし、その日のうちに撤回した。しかし翌日には「国の安全に大きな影響があると分かっているが報道する。それはどうだろう」と語ったと伝えられる。

     石破氏は小泉内閣の防衛庁長官時代に、有事法制を成立させ、自衛隊のイラク派遣を実現させた立役者だ。その後、防衛大臣を経て党総裁選挙では党員票で1位を獲得した経験十分な政治家である。

     その有事法制の代表格である国民保護法では、沖縄メディアが今日なお拒み続けている指定公共機関制度を盛り込み、有事になれば報道機関は政府に事前に報道内容を報告したり、政府の発表通りの報道することを求めている。あるいは、取材で得た情報を政府に提供することや、広報担当として記者等を派遣することも求められる。さらに自衛隊イラク派遣の際には、報道機関との間で報道協定を結ぶことを求め、「派遣部隊および隊員の安全にかかわる情報を入手した場合にも、報道を差し控える」ことを条件に同行取材を認めた。

     まさに、今回の一連の報道とピタリと重なるものである。要するにこれら発言は「うっかり」ではなく、運用における「当然」のことを言ったにすぎないのであって、本人にすればなぜ問題になるのか分からないといったところだろう。ただし、より大きな問題なのは、これまでは努力義務であったり紳士協定であったものが、秘密保護法の禁止規定として定められたことで、記者が懲役刑を含む重罰に処せられるということだ。

     こうしてみると同法が有事法制の一つであることがよく分かるが、提出段階で急きょ盛り込まれた報道の自由に対する「配慮条項」も、まさにそうした性格を裏付ける証拠でもある。なぜなら、同様な規定を持つ法律は、治安維持法や無差別大量殺人行為を行った団体に関する法律、あるいは犯罪捜査規範といった典型的な治安立法に特徴的な特別規定だからだ。ほかには、日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法にもある。まさに、「危ない法律」であることを自ら名乗り出ているようなものといえるだろう。

     報道の自由は政府に配慮されることによって恩恵的に与えられるものではなく、権利として当然に有するものであるはずだ。しかしそうした認識はなく、与野党を通じて「国の安全に優先する知る権利はない」との認識を示すに至っている。まさに今回の法案審議を通して分かったのが、表現の自由の軽視である。

    ■政府意向を忖度

     そしてこうした状況は国会にとどまらず、今年1年間のさまざまな表現の自由をめぐる社会事象からも現れている。例えば、同じ「国家の利益」と表現の自由との衝突がみられたのは、教育分野であった。従来は教科書の検定が行政による事前検閲ではないかと大きな問題になっていたが、沖縄戦や慰安婦等の記述をめぐって、いまなお政府の厳しい内容統制が進む中で、さらなる徹底の手段として、「採択」の段階においても政府の意向を強く押し付ける事態が進んだ。

     もちろんこれは、まさに中教審で進む、中央集権的な指向のもとでの教育委員会改革とも軌を一にするものだ。地元の住民の代表である教育委員が、その地域の特性等を加味して自由に教科書を選択する、というこれまでの制度趣旨が否定され、教科書を通じての思想の統一が図られつつあるといえるだろう。

     それは今後、道徳の教科化によって、現在は副教材にすぎない「心のノート」で目指された内容がいずれ教科書として実現し、そしてまた政府の意向にそった採択がなされていく構図が想像される。

     教育委員会絡みで今年の大きなニュースは、「はだしのゲン」をめぐる閲覧制限だ。松江市教育委員会が、小学校校長あてに閉架措置を要請し、のちに手続きに瑕疵(かし)があったとしてこの指示を撤回した事件である。行政機関である教育委員会(もしくは教育庁)が、生徒が読んでよい本を選定することが問題であることは多くの論者によって指摘されてきた。今回の一件で見えてきたのは、教育の場で、政府方針(あるいは一部政治家の歴史観)が忖度(そんたく)される傾向にあるということだろう。それはまさに前記の教科書の採択問題に通じるところである。

     一方、校長がきちんと判断することを求める声が多く聞かれ、それは学校の独立性からすればある意味正論とも言える。しかし、図書の選定を学校長に任せようとの空気自体が、すでに図書館の自由、ひいては表現の自由が変わってきていることの証左ではないか。さらには、閉架による読むことに対する心理的圧迫や、閲覧制限が表現規制であるとの認識も、むしろ子どもの発達段階に応じた配慮を優先させるべきとの声を前にして消えんばかりであった。

     さらに書物の内容に立ち入って言えば、原爆の悲惨さをどう伝えるかという際に、直裁的な表現を避ける傾向が強まっているのではないかと思われる。広島平和記念資料館でも被ばく再現人形の撤去が決まったし、かつて沖縄県平和祈念資料館でも同様の問題があった。こうした生々しさを回避することが、歴史を直視するより忘却につながる可能性を危惧せざるをえない。また、こうした表現を社会から意識的に減少させる結果、自由の大切さもまた社会から消え去りつつあるのではないか。

     ほかにも当欄で扱ったヘイトスピーチの問題等も含め、いま日本では表現の自由の本質が、まさに変えられつつある重大な局面に来ていると思う。

    (専修大学教授・言論法)

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