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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    【日本が戦場になったその事実】「沖縄戦を学ぶ1」 私が幼かったころ おばあさん、日本兵に殺された 孤児院で泣いた、死ぬと思った 大城ウメ子さん(77) 

    <未来に伝える沖縄戦>1
    大城ウメ子さん(77)
    私が幼かったころ おばあさん、日本兵に殺された
    孤児院で泣いた、死ぬと思った
    2011.09.10 琉球新報

     お母さんが亡くなった後はおばあさんが吉男をおんぶしていたんだけど、入った兵隊壕の中で吉男が泣いてね。そしたら兵隊が「早く出なさい。泣き声が聞こえたらアメリカがこっちに爆弾落とすから早く出なさい」と。

     でも子どもと女だけだから、怖くて出られなくていたら、日本の兵隊が銃で撃った。

     おばあさんはそのまま後ろに倒れて一言もなかった。即死だったはず。

     私たち5人は怖くてすぐ外に出た。子どもだけで弾の中を逃げた。

     自分もいつ死ぬか分からないなと思っていた。捕虜になったのは今のサザンリンクス(八重瀬町玻名城)のところ。

     アメリカーは銃を向けて、ガムをかんでいたんだはず。口をくちゃくちゃさせて。目はヤギの目に似ているさぁね。髪も白い髪だからとても怖かった。みんな「今日が死ぬ日だ」と泣いてね。

     捕虜に取られて、大型トラックに乗せられた。「親もいないから海に捨てに行くんだね」と車の中で泣いた。着いたのは百名収容所(南城市玉城)。一晩過ごして、またトラックに乗せられて宜野座に連れていかれた。

     《宜野座収容所には孤児院があり、戦争で親を失った孤児が集められていました》

     孤児院は長いかやぶきの家だった。マラリアや栄養不足で死ぬ人が多かった。夜は「お母さんよー」とみんな泣いていた。「一生ここで過ごすんだね、ここで死ぬんだね、前川には戻れないんだね」と思ってとても寂しかった。

     おばさんが迎えに来て、孤児院から出たけど、戦後もあわれしたよ。親がいないから、きょうだいのご飯作ったり、芋掘りに行ったり、洗濯したり、小学生の私がした。あのときは洗濯機もないから、河原に行って洗濯したんだよ。学校には行けなかった。

     同級生が学校に行くとき、私は畑だから、恥ずかしくて。同級生の姿が見えると隠れた。親がいないから仕方ないけど、学校に行きたかった。

     私は2年くらいしか、ちゃんと学校に行ってないから字が分からない。みんなが私をばかにしているような気がして、いつも小さくなって生きてきた。戦争がなければこうはならなかった。学問は宝だよ。

     私は親がいないからフリムン扱いされたからね、「子どもには勉強させないと」と頑張ったよ。勉強を教えられないから「勉強したね」「宿題したね」としか言えなかったけど、字が読めない大変さ、生きにくさをこどもに聞かせたよ。

     あなたたちは15歳ねぇ。あのころは16歳になったら兵隊に取られた。自分の孫にはそんな思いさせたくない。だから戦争は反対しないといけないと思っています。




    <聞いて学んだ>

    「伝える」私たちの責任 大見謝望君(興南中3年)

     沖縄戦が起こったとき、ウメ子さんはまだ11歳だったそうだ。今の自分より幼い時に体験した戦場の様子を聞き、想像するだけでも通常の精神状態ではなかったのだろうと思う。一番印象的だったのは、「当時は明日まで死なずに生きていられるかしか頭になかった」という言葉だ。罪のない子どもに恐怖しか与えない戦争の真実を、今後も聞き、そして伝えていくことが、戦争を知らない若い私たちの責任だと感じた。

    「学問は宝」忘れない 島袋海理君(興南中3年)

     ウメ子さんのおばあさんが目の前で日本兵に銃で撃たれて死んだという話は、想像することさえも恐ろしい内容だった。その後、長女だったウメ子さんが必死で働いて妹や弟を育て、さらに自分の子どもたち全員を大学にまで通わせたという話には感動した。ウメ子さんが繰り返し話されていた「学問は宝だよ」という言葉を僕たちは忘れてはいけない。自分が今平和な状況で、何不自由なく勉強できていることに感謝したい。

    <メモ>沖縄戦とは

     1945年3月26日の米軍の慶良間諸島上陸から90日間続いた日米両軍の激しい地上戦。

     米軍による無差別攻撃のほか、日本兵が住民をスパイの疑いをかけて殺したり、壕を追い出して食料を奪うことがありました。

     米軍の恐ろしさを教え込まれ、日本軍に捕虜になることを禁じられた人が生きる希望を失い自分の命を絶つ「集団自決」(強制集団死))も起きました。

    沖縄戦で亡くなった人は20万人あまりにのぼり、日本兵6万6千人、アメリカ兵1万2500人が戦死しました。それに対し沖縄の住民は9万4千人が亡くなり、日本兵の犠牲を上回りました。また沖縄出身の軍人、軍属も2万2千人亡くなりました。



    「ウチナーヤマトグチ解説」by ジョージ

    はず = と思う

    アメリカー = アメリカ兵(人)

    さぁね = んだよね

    あわれした = 苦労した

    畑だから = 畑仕事をしなければならなかったから

    宝だよ = 大切だよ

    フリムン = 馬鹿者

    したね = やったね?(終わらせたね?)

    ねぇ = なんだね


    原発 放射能 食品汚染 TPP 沖縄戦 

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