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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    【日本が戦場になったその事実】「沖縄戦を学ぶ2」 失われた青春時代 長男は湖南丸で沈んだ 艦砲射撃で弟も死んだ 長堂トヨさん(82)上 

    <未来に伝える沖縄戦>2
    失われた青春時代
    長堂トヨさん(82)上
    長男は湖南丸で沈んだ
    艦砲射撃で弟も死んだ
    2011.09.24 琉球新報

    那覇市の長堂トヨさん(82)は沖縄戦当時、16歳。戦争で両親、きょうだいを亡くしました。長堂さんの体験を豊見城中3年生の外間奈沙さん(15)、新垣楓さん(15)が聞きました。

     私は7人きょうだいの3番目。一番上のお姉さんは大阪にいて、長男は湖南丸で沈んだんです。それから私、6年生の弟、その下に3人の妹がいました。

     《沖縄戦が始まる前の1943年、長堂さんのお兄さんは鹿児島に行こうとします》

     お兄さんは当時19歳。体格もしっかりしていて、「来年は自分は兵隊検査だけど、(ウチナーグチしか話せず)日本語が分からない。日本語を習うために本土に行かせてくれ」と頼んでいた。両親は「絶対行かせない」と反対したんですよ。だけど、兄は「自分はこの体格だから、兵隊は免れない。日本語を習ってくるから行かせてくれ」と。どうしても親が反対したから今度は家を出て行って。

     1週間したら家に帰ってきて「どうしてもお願いがあります。印鑑がないと船に乗れない。行かせてくれ」とひざまずいて頼んだんです。そしたら父は「どうしても行くのか。仕方ない」と印鑑を押した。兄は「ありがとうございました」と最敬礼して出て行きました。月夜の晩でした。

     《1943年12月19日、湖南丸は本土の軍需工場に働きに行く人、海軍少年飛行兵の受験をする人などを乗せて那覇港を出港しました。しかし、2日後の21日、鹿児島県口永良部島西方の海でアメリカの潜水艦から攻撃を受け、沈没しました》

     どのくらい日にちがたったか。風のうわさで「湖南丸は沈んで1人も生きていない」と聞こえてきた。うちの母は精神がおかしくなって。「あんたが行かすからこうなったんだ。あんたが殺したのと同じだ」とそれまではしなかったのに、父と母はけんかしているんです。兄の遺骨は今も見つかっていません。

     《1945年3月。アメリカ軍が慶良間に上陸し、沖縄戦が始まりました》

     識名園近くの壕から島尻に避難しました。(糸満市)与座に行ったんですけど、そこはもう海が見えて、アメリカーの船がたくさん見えるんです。たぶん艦砲射撃だったと思うんです。ボンボンボンと。どこも行く所がないから、松林があったのでみんなそこに身を隠しました。近くに艦砲がパーンと落ちたんですよね。そこで私なんかのグループからも何人かやられたんです。

     弟が6年生だったんですよ。この子がいなくなっているんです。うちの両親は2人して艦砲の中を捜しに行って。山の向こうに畑があって、そこに弟の頭だけがあって、胴体はなかったそうです。

     「ここはもういれない、逃げようや」と着いた所が国吉集落だった。近くに艦砲が落ちてね。艦砲の破片でみんなやられてね。母は生後10カ月の妹におっぱいを飲ませるって座っているのにね、やられて。うちの父も破片が入っていたんでしょうね。足が大きくふくらんで。

     血の海というのを経験しました。何人もけがしていますから、床の上がどろどろと生ぬるいんですよ。艦砲の音は聞こえるし、あのときは死ぬのが怖いとかないんですよ。

     近くで変な音がして振り向いたらアメリカの斥候兵なんですよ。男の人は多分、後ろの屋敷に集められて、銃殺だったと思うんだけど。おうちに火が付いて青い炎がぱちぱち燃えました。



    <メモ>湖南丸

     1943年12月19日、一般乗客568人を乗せ、鹿児島に向けて那覇港を出発した湖南丸は21日午前1時38分、鹿児島県口永良部島の西の海でアメリカの潜水艦から魚雷攻撃を受けて沈没しました。約400人の乗客は護衛艦に救助されましたが、1時間後、その船も魚雷攻撃で沈没しました。生き残った人はわずか5人で、ほとんどが死亡しました。日本軍は県民の動揺を恐れ、軍事秘密にしていました。潜水艦による商船への攻撃は当時の国際法でも禁止されていましたが、沖縄近海でのアメリカ潜水艦による船舶への攻撃は42年2月から始まり44年7月までに58隻が沈没しました。



    「ウチナーヤマトグチ解説」by ジョージ

    アメリカー = アメリカ兵(人)

    おうち = 家



    原発 放射能 食品汚染 TPP 沖縄戦 


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