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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    【日本が戦場になったその事実】「沖縄戦を学ぶ9」 失われた青春時代 爆撃で母と祖父亡くす 捕虜になり生き残る 島袋文雄さん(81)下 

    <未来に伝える沖縄戦>9
    島袋文雄さん(81)下
    失われた青春時代
    爆撃で母と祖父亡くす 捕虜になり生き残る
    2011.11.13 琉球新報

    《燃え上がる首里城を目の当たりにした島袋文雄さんの家族は、沖縄本島に上陸した米軍の攻撃を避けるように本島南部に逃れていきます》

     糸満まで家族と歩き続けた。同じ沖縄でも与那原や糸満などはあまり行ったことがなかったから、自分がいる場所がどこなのかもあまり分からなかったわけよ。そこでは喜屋武方面に逃げる人もいれば、反対方向に逃げる人もいて、みなどこに行っていいか分からずにさまよっていたさ。

     6月7日ごろ。隠れていた糸満真栄平の民家の上空に米軍のグラマン機が現れた。爆弾が投下されてきたんで、家族はばらばらになって逃げた。私は祖父と手をつないで走っていたが、自分たちを目がけて爆弾が飛んできた。近くに落ちた爆弾の音に驚いた祖父は手を離し、私とは別々に逃げてしまったんだよ。それっきり。祖父の遺体、遺骨は今も見つかってないんだ。

     爆撃が止まり急いで民家に戻ると、そこには横たわった母親の姿があった。荷物を取りに戻ったのかもしれないね。胸がえぐり取られて、動かなかった。何とも言えず、ただただ泣き続けた。そして、1週間もたつともう涙は枯れてしまった。母親の遺骨を拾いに行ったのは沖縄戦が終わってからだね。

     《1945年6月中旬、母親と祖父を亡くした島袋さんは喜屋武周辺で米軍の艦砲射撃に遭い、農道沿いのサトウキビ畑に身を潜めていた》

     ちょうど雨が降った日で、けがで包帯を巻いていた右腕が痛かった。その時、何か物音が聞こえた。何か危険を感じたんだろうね。銃で撃たれるかもしれないと思って、とっさにカーキ色の学生服や戦闘帽を脱ぎ捨ててると、そばには米兵が立っていたんだよ。

     「捕虜になったら殺される」「捕まったら最後」。そう言われていたから、捕まるくらいなら玉砕しようと思っていた。けど、実際は違った。不安を感じながら米兵に連れられ国吉の辺りに行くと、広場には多くの住民が集められているわけよ。しばらくするとトラックで豊見城の名嘉地に運ばれた。そこは収容所になっていて、より多くの住民が集められていた。そこで、南部を逃げ回る途中にはぐれていたおばに再会した。おばにモンペを着せてもらい、2人で生きている喜びを分かち合った。

     戦争はとても悲惨でみじめ。面白い話じゃないし、本当は話したくなかった。母親と祖父を亡くし、自分を責めることもあった。この戦争体験があったから、今の平和な時代がある。だから、もう二度と戦争は起こらないでほしい。皆さんに同じ思いを味わわせたくないからね。

    動画


    <メモ>捕虜

     一般的に捕虜とは、戦争などで敵に捕まり権力下に置かれた軍人らのこと。ハーグ条約では捕虜の食料、寝具、衣服は捕らえた国の軍隊と同等にするように定(さだ)められています。しかし、旧日本軍は米軍などの敵軍に情報が漏れることを恐れ、兵士の投降を厳しく戒めていました。そのため、旧日本軍(は沖縄戦で動員された学徒隊らに対しても「敵まると辱めを受けて殺される」などと言って、手りゅう弾などを手渡し捕虜になりそうになった場合は敵軍を道連れにして、自殺するように求めました。実際は米軍に投降した多くの兵士、住民は県内各地に造られた収容所に入れられて助かりました。


    <聞いて学んだ>

    平和な時代築きたい/玉城歩未さん(上山中1年)

     やりたいことがたくさんあったはずなのに、私と同じくらいの年ごろに戦争に巻き込まれて、日本の勝利のために一生懸命働いて、とてもつらかっただろうなと思いました。戦争中に母と祖父を亡くし、一人きりで日本が勝つことだけを信じて頑張ったそうです。私は平和な時代に生まれ、とても恵まれています。私だったら、一人で頑張れるとは思えません。島袋さんは「僕たちの戦争体験があったから、今の平和な時代があるんだよ」と言っていました。この言葉を一生忘れずに、これからも平和な時代を築いていきたいです。

    母親の死に衝撃/金城和佳乃さん(上山中1年)

     私の祖母や祖父も戦争を体験したけど、戦争の話はあまりしないのでとても衝撃を受けました。島袋さんは勉強するために学校に行ったのにを掘ったり、空襲に遭いました。最も衝撃を受けたのは、島袋さんの目の前で母親が空爆で亡くなったことです。私の母が目の前で死ぬなんて考えられません。想像もつかないことばかりで、戦争は恐ろしく悲惨な出来事だと思いました。最後に言ったった「もう、二度とと戦争は起こらないでほしい」という言葉を忘れずに心にとめて、次の世代に少しでも語り継いでいきたいと思います。



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