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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    【日本が戦場になったその事実】「沖縄戦を学ぶ11」私が幼かったころ 避難先転々、食料探しに 銃撃、人を踏んで逃走 石川清仁さん(76)下 

    <未来に伝える沖縄戦>11
    石川清仁さん(76)下
    私が幼かったころ
    避難先転々、食料探しに 銃撃、人を踏んで逃走
    2011.11.27 琉球新報


     《石川清仁さん(76)らは1945年4月1日の米軍上陸を前に北部へ避難しましたが、避難先を転々とせざるを得ず、生活は困難を極めました》

     食料の調達は米軍に見つからないよう、夜明け前に起きて遠くの畑に行き、イモを掘りました。

     イモ掘り帰りに歩いていると、同じ避難場所で生活する子どもを抱いたおじさん、おばさんの夫婦と出くわしました。子どもが寒そうだから毛布を取りに行くということでした。「行かん方がいいですよ」と声を掛けましたが、そのまま行ってしまいました。その後3発の銃声が聞こえました。

     戦後、この時のおばさんと偶然会い、話を聞きました。おじさんは障がいがあり兵役を免除されたそうですが、事情を知らない米兵に見つかり、引き渡しを求められたそうです。それを拒否したところ米兵が発砲し、銃弾がおばさんのお尻を貫通して子どもの足に当たった。おじさんは銃撃に驚いて畑に逃げ込んだがその場でやられ、子どもも銃弾が当たったことが原因で破傷風になり亡くなったそうです。

     米軍の斥候兵(状況を調べる兵士)が避難場所近くまで来たことがあります。避難場所には民間人のほか、防衛隊も一緒に生活しており、その時は近くを流れる小川で洗濯をしていました。武器はほとんどなく、戦闘できる状態ではありませんでしたが、軍服を着ていたため米軍から戦闘員と判断され、銃撃されました。みんな一目散で逃げる中で複数の発砲があり、民間人も犠牲になりました。私は倒れ込んだ人を踏んで必死に逃げました。

     山林で家族と再会でき安堵しましたが、逃げ込んで数時間後、避難場所に戻ってみると小川は赤く染まっていました。あまりにショックで、ここにはおれないということで、さらに山奥に逃げました。

     《本島南部では激戦が続く一方、北部は米軍が4月いっぱいでほとんどを勢力下に置き、収容所が設けられるなど住民は命の危機からは脱しつつありました。石川さんも、米軍に捕らえられ保護下に入りました》

     田井等の民家で暮らしたのち、石川に戻ったのは1945年の末ごろです。わが家は無事でしたが、収容所にされていて軒先まで人でいっぱいで、私たちは住むことができませんでした。数年間、親戚の家で過ごすことになりました。

     皆さんと同世代の人も戦場に行き、二度と顔を見ることはできませんでした。私が体験したことはもう仕方ないとも思えるが、二度とあってほしくないわけ。いろんな話を聞いて正確な判断力を養ってほしい。



    <メモ>防衛隊

     「兵役法」に基づく現地召集中心の補助兵力部隊です。沖縄を守備する第32軍は、第9師団の台湾移駐などによる兵力不足を補充するために、住民2万数千人を防衛召集しました。

     19歳以上の男性は現役兵として召集されていたため、戦闘部隊の後方支援や作業要員として、残っていた17歳から45歳までの男性をかき集めました。

     しかし実態は“勝手召集”で、17歳未満の少年や70代の高齢者も入隊させられました。

     戦死者は約1万3千人に達したとみられています。

    <聞いて学んだ>

    戦争、後世に語り継ぐ/根間夕維(石川高2年)

     今まで「戦争」と聞くと国が違う人間同士の殺し合いのイメージを持っていましたが、石川さんの話を聞いてそれは誤解だったと気付きました。日本兵に強制され、自決することも戦争の一部です。

     今の沖縄は多くの基地に囲まれ、いつ米軍機が落ちるか分からない状況です。戦争は形を変え、私たちと隣り合わせにあります。

     そんな現状に私たち若者がしっかり向き合わなければならないと思います。石川さんのような苦しい戦争を生き抜いた方々の声に耳を傾け、後世に語り継いでいかなければならないと思いました。

    現在をあらためて考える/又吉宥花(石川高2年)

     体験した人たちに、それぞれの沖縄戦があったことを知りました。戦争で生き延びたのに宮森小米軍ジェット機墜落事故で死んだ人もいると、とても悔しそうに話していたことが心に残りました。これまでジェット機の音や、米軍が沖縄にいることに慣れてしまっていました。しかしいまだに学校の授業中や民家の上をジェット機が飛び回っていることが普通でいいのか、あらためて考えるきっかけになりました。沖縄戦は絶対に忘れちゃ駄目だし、私たちが大人になった時、子どもたちにも伝え続けていく義務があると思いました。


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