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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    【日本が戦場になったその事実】沖縄戦を学ぶ13」失われた青春時代 「自分も死ぬ」よぎる思い 戦死の友に平和誓う 中山きくさん(83)下 

    <未来に伝える沖縄戦>13
    中山きくさん(83)下
    失われた青春時代
    「自分も死ぬ」よぎる思い 戦死の友に平和誓う
    2011.12.11 琉球新報


    《八重瀬岳にあった日本軍の山第一野戦病院に配属された白梅学徒隊の中山きくさんら46人は、戦況悪化による病院解散後、戦場に放り出されました。同病院が移った高嶺村真栄里(現糸満市)の壕には16人が逃れ、米軍の猛攻撃で10人が亡くなりました》

     真栄里の壕では友達が火炎放射で焼かれて亡くなりました。1人は大やけどで助けられたんですが、故郷の名護町為又(現名護市)に戻った後、マラリアで死んでしまいました。

     私は同じ佐敷村出身だった嶺井千代ちゃんと一緒に逃げ回りました。南部にはたくさんの避難民が押し寄せていました。大度という所で恐ろしい死体を見ました。皮膚が真っ黒になってぱんぱんで今にも破裂しそう。摩文仁まで行くと死んだ人で足の踏み場もないくらい。夜歩くと踏んづけてしまいます。自分たちもいつかこうなるかもしれないという気持ちがありました。

     具志頭村港川まで来て、どうにでもなれとじっとしていました。カタカタカタカタと戦車の音がすると1分間ぐらい機関銃をやぶに向かって撃ち、何人かが死ぬ。それの繰り返しです。そのうち北部の方へ「敵陣突破する」という声が聞こえました。

     けがをした兵隊さんたちが、ぼんぼん自決していきます。千代ちゃんに「私たちも自決する?」と聞きました。病院解散のとき手りゅう弾をもらっていたので。すると千代ちゃんは絶対嫌だと猛反対したんです。千代ちゃんが同意していたら、私は今いないと思います。

     大里村西原の高台で、死んでもいいから動かないと決めました。すると知らない兵隊さんに捕虜収容所に行きなさいと勧められました。死ぬんだったら佐敷の村に下りて家族に会ってから死のうと、翌日、高台から歩き出したんです。その後米軍の捕虜になりました。

     《きくさんが戦場の体験を初めて語ったのは、戦後50年もしてからでした。白梅学徒隊のことを伝えるためでした。83歳の今でも、戦争に反対するための集会に出掛け、戦争と平和について考え続けています》

     私が一番つらいのは22人の友達をなくしたこと。二度とあなたたちのような戦争犠牲者やご遺族のような戦争遺族を出さない、平和を守り続けていくと、いつも誓います。でももう、この年だからどうしよう。平和は実現していない。沖縄もそうじゃない。日本国内の米軍基地の74%がある、米兵の事件事故が日本の法律で裁けない。不発弾も出てくる。何も知らないでいれば私と同じようなことになるよ。今、合唱とか、踊りとか見たらいいなと思うけれど、私の生活はずっと戦争に縛られている。二度と戦争を起こさないためにはね、何もしなければ平和はやってこないということです。

    動画

    <メモ>真栄里の壕

     東風平村富盛(現八重瀬町)の八重瀬岳にあった日本軍の山第一野戦病院が1945年6月4日に閉鎖された後、白梅学徒46人が戦場に放り出されました。そのうち16人が高嶺村真栄里(現糸満市)に移った同病院壕再び合流します。18日に米軍沖縄占領部隊総司令官サイモン・バックナー中将が真栄里の高台で日本軍の砲弾により戦死したことから、米軍は近辺の壕を激しく攻撃。真栄里の壕も21~22日にかけて手りゅう弾や火炎放射器の猛攻撃に遭い、学徒10人が命を落としました。真栄里には47年に白梅の塔が建立され、戦没した22人の白梅学徒や教職員など149柱がまつられ、慰霊祭が行われています。

    <聞いて学んだ>

    平和のため行動したい/普久原絢香さん(真和志高1年)

     中山きくさんの戦争の話を聞いていろいろなことを知ったし、悲しみや苦しみがいっぱい伝わりました。16歳で看護教育を受けさせられ、いきなりの空爆と艦砲射撃、身を隠しながらの患者さんの世話、戦争で手足をなくした患者さんや、やけどをした患者さんがいっぱいいた話。想像しただけでも痛みや苦しみが伝わってきました。

     きくさんは二度とこういう悲しみや苦しみがないようにと、詳しく、感情を込めて話してくれました。話が聞けて私はこれを無駄にしたくはありません。きくさんのように平和のために行動できる人になりたいと思いました。私たちのために約2時間も勉強になる話を聞かせてくれてありがとうございました。

    胸締め付けられた/金城麻子さん(真和志高1年)

     私は今回、中山きくさんが白梅学徒隊員だったころのお話をたくさん聞かせてもらいました。中山さんは私と同じ16歳で看護教育を受け、兵隊さんたちの身の回りのお世話をしていたそうです。

     しかし、看護といっても下の世話や、死なせるための注射を打つなど、むごい内容にとても驚きました。そして白梅学徒隊の皆さんがこんな残酷なこともせざるを得ない状況だったことに、とても胸が締め付けられました。

     私はこの話を私の友人や、将来生まれてくる子どもに伝えていきたいと思いました。今回は私たちに戦争のお話をしてくださって本当にありがとうございました。


    原発 放射能 食品汚染 TPP 沖縄戦 
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