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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    【日本が戦場になったその事実】「沖縄戦を学ぶ14」故郷を離れて 敗戦直前の満州から避難 各所に捨てられた子ども 宮平義子さん(82)上 

    <未来に伝える沖縄戦>14
    宮平義子さん(82)上
    故郷を離れて
    敗戦直前の満州から避難 各所に捨てられた子ども
    2011.12.24 琉球新報

    1945年8月、当時16歳の宮平義子さん=那覇市=は、旧満州国(現中国東北部)で、攻めてきた旧ソ連軍から逃げるため山中を逃げ回りました。避難中、幼いめいとおいを亡くし、父親はソ連兵に射殺されました。宮平さんの戦争体験を那覇市立首里中2年の嘉手苅林太朗君(14)と吉田瑛祐君(14)が聞きました。

     《宮平さんは県立第二高等女学校の生徒だった1944年、10・10空襲で焼け出され、大分県に疎開しました。45年5月、満蒙開拓青少年義勇軍(隊)の中隊長)だった長兄を頼りに両親と兄嫁、7歳と5歳のおい、3歳のめいの7人で旧満州国の勃利に身を寄せました。敗戦直前の8月、兄が召集され戦地へ。同月9日、ソ連軍が満州に侵攻し、義勇軍の勃利本部は11日、在留邦人に避難命令を出し、宮平さんは5歳のおいを背負い、家族らと山中に避難します》

     幼い子どもを背負って山道を上ったり下ったり。いつも隊列のビリだった。歩き始めて翌晩、中国人の集落にたどり着いたら、日本兵が「泣き声で敵に見つかるから小さい子どもがいたら殺しなさい」と言っていた。

     幼い子どもたちは一つの部屋に閉じ込められて、兵隊にみんな銃殺されたわけ。中年の母親が「遅かった」と泣いていたから「どうしたんですか」と聞いたら兵隊に子どもを渡したけどわれに返って連れ戻しにいったら、もうやられている。

     翌朝、集落を出発する時、親のいない赤ちゃんがはいはいしていた。親は捨てていったわけ。水の中に捨てられた赤ちゃんもいた。畑の中とかあちこちに捨てられた子どもたち。そういう子が現在の残留孤児だと思う。

     3日目の晩、山の中で子どもを身ごもっていた兄嫁がお産してね。私は5歳のおいをおんぶしていて、その晩ははぐれてたんだけど。翌日、ものすごい土砂降りでね。「昨晩、出産した人がいた」という話を聞いて「きっと姉だ」と思い、来た道を急いで戻ったら、赤ちゃんを抱いた姉がゆっくり歩いて来た。くるんでいた毛布はぬれ、赤ちゃんの体も紫色になって。

     かわいそうに男の子だったんだけど。3日くらい、おっぱいを吸わせてたのかな。姉は何も食べてない。栄養も取ってないから、おっぱい出るわけないよね。とうとうその子は亡くなった。山の中に穴を掘って埋めてね。

     《宮平さんらは母国を追われたロシア人の集落にたどり着き、集会場のような場所で一晩休もうとしました。ところが中国人の自警団に見つかり部屋に閉じ込められました。翌朝、ソ連の騎兵隊がやってきて、父親や日本兵など男性たちを連れて行きました》

     父は持っていた軍服姿の兄の写真についてソ連兵に「こいつはどこにいるんだ」と問われたけど「分かりません」と答え、顔を殴られていた。外に連れて行かれようとした時、「皇国精神」をたたき込まれていた私は「お父さん、辱めを受けるなら、自分で死んでよ」と言ったの。父は振り返って悲しそうな顔をしてたの。それが父との最後になった。しばらくしたら、銃声が聞こえたんですよ。中国人がドアを開けっ放しにした隙に私たちは逃げた。

     それから食べるものもない、馬の蹄の跡にたまった水を腹ばいになってすすって。木の葉っぱにたまった露をなめたり。草を引っこ抜いて、それをしゃぶったり。それで、やっと生き延びて。服はシラミが湧くは、おなかは壊すわ。背中のおいは下痢で垂れ流し。散々なんですよ。もう本当につらいつらい。もうどうしようもないくらいつらかった。山中で3歳のめいに食事を与えたら「いただきます」と手を合わせたまま、ぽこっと死んでしまった。

     逃げている途中で飛行機からビラがまかれたの。そのビラには「日本は戦争に負けた」と書かれてあった。その日は8月24日。私たちは終戦を知らないから「ソ連の陰謀だ。こんなのは嘘だ」と誰も信じなかった。

    動画

    <メモ>旧満州国と満蒙開拓青少年義勇軍

     中国に駐屯していた日本の陸軍部隊・関東軍は「満州事変」の翌年の1932年、土地や豊富な天然資源を確保するため現在の遼寧省、吉林省、黒竜江省などの占領地に、かいらい国家「満州国」を樹立します。38年、日本政府は「満蒙開拓青少年義勇軍」の制度をつくり、数え16歳から19歳の青少年を対象に満州へ移住させます。集められた青少年は茨城県で訓練を受け、満州に送られました。義勇軍発足から45年の敗戦まで満州に送られたのは全国で約9万2千人。沖縄からは569人でした。

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