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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    【日本が戦場になったその事実】「沖縄戦を学ぶ15」 故郷を離れて 殺された父に胸が痛む 犠牲の上に現在の幸せ 宮平義子さん(82)下 

    <未来に伝える沖縄戦>15
    宮平義子さん(82)下
    故郷を離れて
    殺された父に胸が痛む 犠牲の上に現在の幸せ
    2011.12.25 琉球新報

     《宮平さん一家はロシア人の集落から逃げ出したものの、再び中国人の自警団に取り囲まれ、収容所に連行されました。そこにいた何万人もの日本兵士の姿を見て、宮平さんは敗戦を知ります。その後、汽車でハルビンから新京(現在の長春)へ連れて行かれ、解放されました。しかし、宮平さんは回帰熱にかかり、新京の病院に入院することに。「私一人はどうにでもなるから」と途中で合流した姉らを先に帰し、異国の地で一人になりました。病気が治った後、その病院の伝染病棟で医師の付き添いや雑用などに従事しました》

     注射もしたこともないのに、見よう見まねで注射をして。満州は冬でマイナス30度の極寒。つらかった。コレラ患者は夜、体をきれいに拭いて寝かせても、翌朝は寝床から落ちて汚物の中で転げ回っている。たまったものじゃなかった。よく感染せずにいられたと思う。そして、病院が引き揚げの時、一緒に帰ってきたんです。引き揚げるときは重症患者はみな注射で殺したんです。動ける人だけ連れて。1946年11月に長崎県の佐世保に引き揚げました。

     《宮平さんは故郷・沖縄を離れた後ろめたさを感じたといいます》

     沖縄から大分に疎開したのは45年1月。疎開船では魚雷攻撃を受けたと思い込み、子どもやお年寄りをけ飛ばして逃げ出す大人を見て情けなくなりました。大分で、沖縄に米軍が上陸したとの話を聞き、自分だけこっちに逃げて、残っている人たちに本当に済まないことをしたと思い、涙が出ました。その思いは戦後まで続きました。

     《宮平さんは、ソ連兵に連れ出されて殺された父親に向かって「自分で死んで」と言ったことに「なぜあんなことを言ってしまったのか」と今も心を痛め続けています》

     父は殺される前日、「お前にばかり苦労をかけて済まない。兄2人が兵隊から帰るまで、おれは頑張るからな。おまえたちの子や孫の顔を見るまで死ぬことはできない」と私に言ったの。終戦後、父の死はいったいなんだったのかと思いました。「死んで」なんて言わなきゃ良かった。今だったら「お父さん、ありがとう」って言いたい。最後に別れたときの父の悲しそうな顔を思い出すと、とってもつらい。今でも胸が痛くなります。

     戦争はね、けっしてやってはいけないよね。親と子を別れ別れにして。家も奪われて、国も奪われて、逃げ回って歩いてね。戦争って二度とあってはならないことです。だから、私たちの現在の幸せも多くの人たちの犠牲の上にあるんだなと思います。

    動画

    <メモ>満州での邦人犠牲

     1945年8月9日のソ連参戦で、満州開拓団、満蒙青少年義勇軍として日本から「満州国」(中国東北部)に送られた多数の開拓民が犠牲になりました。武装したソ連兵による日本人襲撃や略奪だけでなく、それまで差別されてきた現地中国人による反撃も加わりました。日本人男性たちは、極寒のシベリアに強制労働のために抑留されました。女性の中にはソ連兵による性的暴行の被害を受けた人もいました。満州開拓団の死者は、約8万人といわれています。

    <聞いて学んだ>

    命奪う戦争は絶対駄目/嘉手苅林太朗(首里中2年)

     宮平さんが戦争のために沖縄から大分県まで疎開して、中国の満州まで行ったと聞いて、僕はあまり聞いたことがなかったので、驚きました。満州に行ってからも16歳なのに、両親と幼い子供3人、姉を誘導して山に避難したりしたというので、僕と2歳しか変わらないのにすごいなぁと思いました。

     僕が話を聞いて一番傷ついたのは、宮平さんのお父さんが殺されたことです。お父さんが宮平さんに言った「おまえの子供や孫を見るまでは絶対に死なない」との言葉を聞いて、戦争とは大切な人の命を奪ってしまうものなんだと思いました。宮平さんの体験談を聞いて、戦争は絶対にやってはいけないとあらためて思いました。

    悲惨さを語り継ぎたい/吉田瑛祐(首里中2年)

     疎開先の大分に向かう船に乗っていた時の話が印象に残っています。突然船が揺れ、みんなその揺れを魚雷にやられたと思い、船底から外に出ようと小さな階段をわれ先にと上っていったそうです。

     小さな子や力のない年寄りはふり落とされたそうです。階段からふり落とした人は、自分はなぜあんなことをしたのかと悔やんだと思います。落とされた人はもしかすると死んでいたかもしれないと、この人たちを憎み、その人たちに恐怖を覚えたと思います。

     人から思いやりや優しさ、冷静さを奪い、人格まで変えてしまう戦争。宮平さんの「戦争は二度としてはならない」という言葉を胸に、戦争の悲惨さを後世に語り継いでいきます。



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