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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    【日本が戦場になったその事実】「沖縄戦を学ぶ17」 故郷を離れて 疎開先で過酷な生活 母失い心病んだ児童 町田妙子さん(81)下 

    <未来に伝える沖縄戦>17
    町田妙子さん(81)下
    故郷を離れて
    疎開先で過酷な生活 母失い心病んだ児童
    2012.01.15 琉球新報

     《那覇から鹿児島にたどり着いた町田妙子さんたちは疎開先の宮崎県岩戸村(現高千穂町)山裏国民学校へ到着し、疎開生活が始まります。受け入れ先では貧しいながらも地元住民から温かい支援を受けます。しかし、学童集団疎開は児童たちにとって過酷な生活でした》

     1944年の秋、私たちは岩戸村栃木集落に温かく迎えられました。冬には素足で薪を取りにいったこともありました。岩戸村での2年余りの疎開生活は忘れることはできません。その中でも2人の児童の出来事はつらい思い出です。

     対馬丸沈没で家族を失い、そのショックで、心を病んだ児童がいました。家族と別れて疎開してきた兄弟2人の弟で、4年生の男の子なんですけど、ほかの家族4人は対馬丸に乗船し、沈んでしまったんです。

     栃木集落に着いて、男の子が「お母さんから連絡ないけど、どうして」と先生に聞いたんです。先生は「対馬丸ね、沈んだんだよ。やられて、沈んだよ」と涙を流して説明したら、男の子は真っ青な顔になって。必ずお母さんから連絡あると思っていたんでしょうね。「連絡ない。連絡ない」って。男の子はショックで心を病み、奇行に走ってしまいました。

     男の子は、はいかいしては近隣の農家に忍び込んで食べ物をあさるようになりました。引率の先生は怒ることができなくて。「どんなして取ったの」って優しく聞いたら、正直に説明していたそうです。周囲の大人はよけいに涙が出ていました。

     その後、男の子は大阪の叔父に引き取られましたが奇行は変わらず、行方が分からなくなっていました。戦後20年たって大阪の精神病院にいることが判明しましたが、叔父が迎えにいったころには既に亡くなっていたそうです。兄は終戦後、沖縄に引き揚げましたが肉親もなく、しばらくして弟と同じように心を病んでしまい、早くに亡くなってしまいました。

     《疎開先では栄養失調で亡くなる児童もいました。最初は食べ物が支給されていましたが、次第に減っていき、慣れない気候も重なり児童を苦しめました。亡くなった児童は岩戸村で土葬されました。終戦後、亡くなった児童をどうにかして故郷沖縄に帰すため、村始まって以来の火葬をすることになりました》

     疎開した翌年の45年11月ごろ、私より一つ下の児童が栄養失調からくる病気で亡くなり、引率の先生が疎開先で土葬しました。沖縄でもそうですけど、当時は火葬の習慣はありません。終戦後、戦場から引き揚げた兵士が火葬の経験があるということで、亡くなった児童を沖縄に連れて帰るために火葬を行いました。みんな初めて見る火葬で、びっくりしていました。児童の親も遺骨になって帰ってきたわが子を見て、大変ショックだったと思います。

     学童集団疎開は悲しいことばかりではなかったですが、児童が亡くなって火葬されたことや、対馬丸沈没の影響で心を病んだ児童がいたことは忘れようとしても忘れることはできません。疎開先で犠牲になった学童たちは、沖縄戦で亡くなった人たちと同じように戦争の犠牲者だと思っています。


    <メモ>学童集団疎開

     1944年7月7日、政府はサイパン島陥落を契機に沖縄を含む南西諸島から老人、子ども、女性を九州や台湾へ疎開させることを決定しました。同年8月22日には、那覇から出港し、九州へ向かっていた学童疎開船対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃で沈没し学童をを含む約1500人が犠牲になりました。国民学校の学童は、約6500人が熊本、宮崎、大分へ集団疎開しています。疎開した学童たちは受け入れ先の学校内や寺、旅館などで引率者とともに寝泊まりをしました。寒さや空腹、伝染病などで犠牲となる児童もおり、過酷な生活を強いられました。

    動画

    <聞いて学んだ>

    胸しめつけられた/平良菜摘(山内中2年)

     私たちはずっと戦争について学んできましたが、疎開先のことは一度も学んだことがありませんでした。今回、町田妙子さんの話を聞いて、すごく衝撃を受けました。特に、対馬丸が沈没したことにより、家族が亡くなってしまい、そのことで心を病んでしまった少年の話はとても胸がしめつけられました。戦争は今も、そして未来でもあってはならないものだと伝え続けていき、戦争をしない平和な世界にしたいです。

    後世に戦争伝える/新垣善人(山内中2年)

     沖縄戦当時の授業の内容や疎開の様子を聞くことができました。当時は授業などで人を殺す訓練などをさせられたり、対馬丸が沈められて心を病んだりする子もいたそうです。疎開先の宮崎県では、素足で冬の山まで薪を取りにいかされたりしたという話を聞きました。僕は今まで、「戦争は怖いなぁ」という程度でしか戦争について考えることはありませんでした。これからは戦争に対する考えを深めて、後世に伝えられるようにしていきたいです。


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