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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    【戦前回帰現象だ!】国家による検閲機能の強化が進行している 

    メディア時評 1月
    山田 健太
    教科書検定の基準変更
    強まる検閲機能
    揺らぐ公教育の中立性
    2014年1月11日 琉球新報

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    <メディア時評・教科書検定の基準変更>強まる検閲機能 揺らぐ公教育の中立性
    山田健太 専修大学教授・言論法
    2014年1月11日 琉球新報

    いま、教科書(教科用図書)をめぐってパブリックコメント(意見募集)が行われている。文科省初等中等教育局教科書課が行政手続法にのっとって行うもので、「義務教育諸学校教科用図書検定基準及び高等学校教科用図書検定基準」の改訂についてである(今月14日まで)。教科書執筆の新基準として、政府見解に合わない記述の削除を求めることなどを定める内容だ。

     教科書をめぐってはこの間、検定内容にはじまり採択の問題、さらには教育委員会の制度そのものや、道徳の教科化に伴う教材のありようまで立て続けに大きな問題が提起された。さらには、『はだしのゲン』をめぐる騒動もこれらの問題と無縁ではなく「第2の教科書問題」と呼ばれてもいる。直近では、日本史の必修化なども話題に上がっている。

    教育と表現の自由

     そもそも教育と表現の自由は切っても切れない関係だ。憲法で保障されている「学問の自由」という側面で見た場合、外向きの自由としての教授の自由があり、学校で教師が公権力から制限を受けることなく自由に自説を教えることができる。一方で何人も学習の自由を有し、自分の好きなことを好きな方法で好きな時に学ぶことができる。

     ただし日本では、教育水準の維持・向上のため教育の平準化を求めて、政府が許可した教科書(「文部科学省検定済教科書」ほか)によって小中高校の授業を行うこととしている。また、同時に詳細な教育指導要領を定めて、教師の力量に拠(よ)ることなく最低限の教育の実施を担保する仕組みを整えている。

     そこで、政府(文科省)の担当官が実施する内容チェックが、公権力による表現規制にあたる可能性が生じることになる。いわば「国の利益」のために表現の自由を部分的に制約する事例の一つということだ。

     国益を理由とした表現規制は、昨今話題になっている秘密保護法制も国の安全を理由としたものだし、迅速で公平な裁判や公正な選挙の実現など、いくつかの局面で顔を出すものだ。ただし教科書検定は、憲法で絶対的に禁止されている検閲に該当するのではないかと、長く裁判で争われてきた経緯がある。

     最高裁は、教科書以外での出版の機会が存在することなどを理由に、違憲の主張を退けた。ただし文科省は、検定基準の運用が厳しすぎるとの批判に呼応して、弾力運用を進めてきたとの見方もある。実際、各地で採択が進んでいる「新しい歴史教科書を作る会」の一連の教科書は、そうした中で生まれたものとの側面もあるのだろう。そうした一方、沖縄戦集団自決の記述にみられるように、時の政府の意向に教科書が翻弄され、その結果、かえって歴史的事実が不明確となり、学校現場で生徒にきちんと伝わらないという事態が起きてもいる。

    恣意的運用の懸念

     そうした中での今回の判断基準の変更だが、社会科固有の条件(高等学校検定基準にあっては地理歴史科および公民科)について、以下の改訂を行うこととしている。

     (1)未確定な時事的事象について記述する場合に、特定の事柄を強調し過ぎていたりするところはないことを明確化する。

     (2)近現代の歴史的事象のうち、通説的な見解がない数字などの事項について記述する場合には、通説的な見解がないことが明示され、児童生徒が誤解しないようにすることを定める。

     (3)閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解や最高裁判所の判例がある場合には、それらに基づいた記述がされていることを定める。

     とりわけ、「特定の事柄」が何をさし、「強調し過ぎ」とはどういうことかは解釈の余地があり恣意的な運用が懸念される点だ。検定制度が思想の統一ではなく教育水準の下支えであり平準化であるとすれば、これを超えた学校教育現場に対する〈お節介〉が好ましくないことは明白であろう。それは教師の自由な教育を奪うものであるし、生徒の学ぶ自由をも侵害する。

     もちろん、検定制度が行政権の事前内容チェックである限り、検閲的な色彩を帯びていることは疑いようがない事実であり、そうした「危うい制度」であることを前提に、抑制的な仕組みを作らなくてはならない。にもかかわらず、政府の意向を反映しやすい制度に衣替えするかのような改訂には、大きな問題があるといえる。

    教委制度の解体

     しかも今回の改訂がより大きなうねりを作りかねないのは、教科書採択における上意下達の状況である。

    戦前は、文部省を頂点とする中央集権的な制度であって、各都道府県知事が直轄する学事課が政府方針を受けて教育行政を実行していた。これが軍国主義教育を招いたとの反省から、戦後、地方分権や教育の中立性の原理に基づいた、独立した教育委員会制度を作り上げてきた経緯がある。

     最初は文部省と教育委員会は対等な関係であったものの、その後、教育委員を首長が任命するようになってバランスは多少崩れたとはいえ、その精神は辛うじて残っているといえる。しかし、現政権のもとで中央教育審議会は、昨年12月に「今後の地方教育行政の在り方について」の答申案をまとめた(すでに昨年11月にパブリックコメントも実施済み)。この制度を事実上解体し、従来は教育委員会の事務局であった教育長に権限を集中させ、政府の意向を直接反映できるように変更するものである。

     いじめや体罰の問題で、問題の隠蔽をはかりかねない教育委員会の形骸化があることは事実である。しかしその解決策が、文科省の直轄方式なのかは疑問であろう。

    しかもこうした「改革」は、公教育の中立性を間違いなく失わせるものであるとともに、地域の特徴を認めず国全体を一色に染める政策そのものであるからである。

     表現の自由の基本要素は、独立性、多様性、地域性である。そのいずれもが教育の場からなくなっていくことを強く危惧する。


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