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    原発問題 -The Truth is Out There-

      : 

    東電福島原発事故の真実 放射能汚染の真実 食物汚染の真実 正しい情報を求めて

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    岩上安身のIWJ特報 第97号「核には、きれいな核も汚い核もない」  

    原爆の熱線で背中を真っ赤に焼かれ、うつ伏せで横たわる少年のカラー写真。原爆の悲惨さを物語る記録として有名なこの写真は、谷口稜曄(すみてる)さん(76歳)の60年前の姿を写したものである。1945年8月9日、谷口さんは、長崎市内で郵便配達中に被爆した。現代の最新医療を受けても完治しない背中に、妻の栄子さんは、毎日薬を塗りこむ。それは、連れ添って半世紀近くになる夫婦の日課である。背中の痛みを抱えながら、講演に呼ばれればどこへでも出かける谷口さん。2005年4月ニューヨークで開かれた核兵器廃絶を求める集会にもその姿があった。癒えることのない背中の傷と原爆の記憶を背負い続けて来た谷口さんの戦後を見つめる。
    http://www.nhk.or.jp/peace/library/program/20050809_02.html

    この方へのインタビューです。超人的なDNA回復力を持たれた特殊な方だったのでしょう。谷口さんが生きていらっしゃることをもって放射線被曝など大したことないという方向には決して考えないで下さい。

    第97号
    ───────────────────────────────────
    岩上安身のIWJ特報!
    「核には、きれいな核も汚い核もない」
    原発再稼働に邁進する安倍政権に、長崎原爆の被爆者が警鐘
    長崎原爆被災者協議会会長・谷口稜曄(すみてる)氏インタビュー
    ───────────────────────────────────
    (IWJより転載許可済み)

    例年にない暑さを記録した夏が、まもなく終わろうとしている。

    広島に原爆が投下された8月6日、長崎に原爆が投下された8月9日、そして「終戦の日」である8月15日。日本人にとって「夏」とは、過去の戦争の記憶と向き合い、戦没者の御霊をしのぶ季節である。

    忘れるべきでないのは、戦争を終結させるという名目で、原爆というまぎれもない核兵器が、2度にわたり使用されたという事実である。日本の夏には、決して癒えることのない核の傷が、深く、はっきりと刻み込まれているのだ。

    ところが、参院選で大勝し、史上例を見ないほどの巨大勢力となった、自民党・安倍政権。その自民党・安倍政権は、日本に原爆が落とされ、多くの犠牲者が出たという事実など、すっかり忘れ去ってしまったかのような動きをみせ
    ている。

    今年4月、スイスのジュネーブで行われた核不拡散条約(NPT)再検討会議で提出された、核兵器の非人道性と不使用を訴える共同声明に対し、日本政府は署名を拒絶した。

    この背景には、日本が原発を維持しつつ、潜在的に核兵器の保有を望み続けてきた歴史があるということは、「IWJウィークリー」14号の「ニュースのトリセツ」で指摘した通りである。

    ※原発導入の裏で「核保有」を渇望してきた日本【IWJウィークリー第14号 岩上安身の「ニュースのトリセツ」より】
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/97799

    それだけではない。8月6日に行われた広島の平和式典で、安倍総理は、事前に報道関係者に配られていた文書に記載されていた「一昨年、原子力災害を経た者として、原子力の最も安全な利用を世界に先駆けていく責めを負うところになった」という一文を、当日のあいさつの場では読まなかった。

    どういうつもりで、この一文を読まずに飛ばしたのか。原発の安全性についての責任を強調したくなかったのか。

    安倍政権は、海外への原発輸出を進め、国内の原発再稼働に邁進している。福島第一原発事故という核の傷を、なかったことにしたいのだろうか。

    ※2013/08/06 【広島】原爆投下から68年、松井市長「原爆は絶対悪」~広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/95052

    2度にわたり原爆を投下され、レベル7の原発事故を起こしたにもかかわらず、日本はいまだ、核への欲望を捨てられずにいる。しかし、そこに忘れられているのは、実際に核の被害にあった、原爆の被害者、原発事故の被災者の存在ではないだろうか。

    長崎原爆被災者協議会会長の谷口稜曄(すみてる)氏は、16歳の時、長崎市住吉町の路上で被爆した。轟音とともに襲来した爆風で吹き飛ばされ、左手は肩から指先まで皮膚がべろりと垂れ下がり、そばにはぐにゃりと曲がった自転車と黒こげになった子どもの死体があったという。

    自力でベットから抜け出せたのは、被爆から2年近くが経った1947年5月のこと。しかし、被爆により焼けただれた背中の痛みは、68年を経た現在に至るまで癒えてはいない。

    そんな谷口氏は今、長崎原爆被災者協議会会長として、核の廃絶を訴える活動に尽力している。長崎を訪れた修学旅行生に被爆体験を伝える「語り部」を、ライフワークとして長年にわたり継続している。

    今号のIWJ特報では、8月9日に行われた、谷口氏へのインタビューの模様をお伝えする。原発の再稼働が推進され、核武装までもが議論になるなど、核被害の記憶が忘れ去られようとしている今、谷口氏の語る言葉のひとつひとつは、私たちにとって、貴重なもののはずである。

    ===================================
    ◇68回目の夏をむかえて◇
    ===================================

    【写真URL】http://bit.ly/17vy6lg
    ・岩上安身のインタビューに応える谷口稜曄さん。谷口さんには暑いなか、1時間ものインタビューに応じていただきました──8月9日、長崎市内

    岩上安身「暑い夏の昼下がり、本日は、わたくし長崎のほうにうかがっております。ここに、たいへん有名な被爆した少年の写真があります。背中が一面焼け爛れてしまっている。68年前、長崎に投下された原爆によって、被爆したわけですけども、この被害にあった少年が、谷口稜曄さん。そして、本日お話をおうかがいするのは、その谷口さんご本人です。谷口さん、よろしくお願いします。

     谷口さんは日本原水爆被害者団体協議会(※1)、略称・被団協と。その代表委員ということなんでしょうか」

    ----------------------------------------------------------------------
    (※1)日本原水爆被害者協議団体協議会:1956年に設立された、全国にネッ
    トワークを持つ被爆者団体。原水爆禁止と被爆者援護を求め、原爆被害の国際
    的認識を深める役割を果たしている。【URL】http://bit.ly/dSJo9Z
    ----------------------------------------------------------------------

    谷口稜曄氏「はい。そうですね」

    岩上「で、長崎原爆被災者協議会(※2)。こちらは?」

    谷口「会長です」

    ----------------------------------------------------------------------
    (※2)長崎原爆被災者協議会:1951年、第2回原水爆禁止世界大会が長崎で行
    われるに際し、大会の準備委員会として誕生。国による被爆者への補償を定め
    る「被爆者援護法」の制定を求めてきた。【URL】http://bit.ly/14TWJ5c
    ----------------------------------------------------------------------

    岩上「会長もお勤めになっている。今、お名刺の裏側の写真をみなさんにお見せしたんですけれども、この背中の具合は、どうなんですか? たいへんやっぱり後遺症がきつい状態にある?」

    谷口「完全に焼けてしまっている関係で、結局、(皮膚の)修復ができない。修復ができない関係で、非常に夏というのは苦しいんですね」

    岩上「夏は苦しい?」

    谷口「特に今年は、熱くて。もう背中が沸騰してるみたいで、苦しいですね」

    【写真URL】http://bit.ly/15f28nu
    ・谷口さんの名刺には、被爆により背中が焼けただれた幼い頃の谷口さんご本人の写真が貼り付けてある

    岩上「申し訳ありません。コンディションの必ずしもよくないときに、お時間を少し割いて頂きまして。今年は、長崎に原爆が投下されて68回目。本日が、その68回目の当日に当たります。そして、午前中から、式典も開かれました。ご出席もなされたと思いますけれども、我々も中継を行なってはいたんですが、改めて、一般的なことではありますけれども、68回を迎えての思いというものをひとこといただけないでしょうか?」

    谷口「それはやはり、一生なっても治すことはできないですけど、改めて68年前の8月9日というのを、もう否が応でも、思わなきゃならないというような日なんですね。そのとき、私は16歳で、爆心地から約1.8キロのところ、自転車で郵便配達で被爆に遭いました」

    岩上「当時、郵便配達の仕事をしていたんですね。思い出すのは、たいへんお辛いかもしれませんが、その郵便配達の仕事をしてる時に、どのように爆発に出会い、大怪我を負われたのでしょうか」

    谷口「結局、爆心地から約1.8キロのところで走っていて、後ろから焼かれました。それで、空襲警報が解除になって、それで配達を開始したんですが、そのとき、かすかに飛行機の爆音がしてきて、おかしいなと思って、振り向こうとした途端に、あっという間の出来事ですね」

    岩上「飛行機の爆音が聞こえて、おかしいなと思った瞬間に・・・」

    谷口「そうですね」

    岩上「閃光が走った? あっという間の出来事でしたか?」

    谷口「3000度、4000度と言われる、石や鉄をも溶かす熱線と、目に見えない放射線で後ろから焼かれて、次に秒速200メートル、300メートルと言われる爆風で、自転車もろとも4メートルぐらい飛ばされて、道路に叩きつけられました。

     道路に臥せった時に、このまま死んでしまうのかと死の恐怖がしましたけど、ここで死ぬのかと。死んではならないと。地面を這いつくばって生きてきたんです。

     そして、途中で川があって入ってみると、それまで通っていた所が、ほとんど焼けてしまって、潰れてしまって、焼けてしまって。近くで遊んでいた子供が、このへんまで飛ばされてしまっていた。

     また、大きな石や直径30センチぐらいある石でしょうかね。私めがけて飛んでくるというのが、見えました。それで、そこで、ここで死んでしまうのかと、死の恐怖に襲われましたが、ここで死ぬのか、死んではならないと、今まで生きてきた。

     しばらくして、騒ぎが収まって起き上がってみると、左の腕から手の先まで、ぼろきれを裂いたように、皮膚が垂れ下がり、背中に手を当てて見ると、着た衣服もなにもなく、なにか焼けただれた黒いものが手に付いてきました。

     それで、自転車を見ると、車体も車輪も使い物にならないぐらい曲がってしまっていたんです」

    岩上「曲がっていた・・・」

    谷口「あの時、自転車を置いてだったら、大丈夫だったろうと思います。それから、傷から一滴の血も流れない。痛みも全く感じない。そういう体の状態。歩きながらどこに行けば安全と、行く先を頭に描いて歩いてきました」

    岩上「痛みをまったく感じない状態というのは、どういうことですか?」

    谷口「結局、なんて言うんでしょうかね。よくムチなんかでピャーッと叩かれると、もうその時は、アイタッて言うだけで、痛みはしばらく感じないと。だいたいそんなものだよね。しばらくしてから、痛みが出てくる。私の場合は、ほとんど痛みというのはなかった。

    結局、血は出ないし、痛みは感じない状態で、夢遊病者みたいに、どこへ行けば安全かと、行き先を頭に描いて歩いて行った」

    ===================================
    ◇皮膚は焼け、腐り、流れ落ちてしまった◇
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    岩上「どこへ向かったんですか?」

    谷口「その時、250メートルぐらい離れたところのトンネル工場に避難しました。その途中で、先ほど言った、ホコリのように飛ばされた子供が黒焦げになって死んでいて、1人の子供は、傷も何も受けないで死んでしまっていたんです。

     それを見ながら、頭が禿げて、女性の人たちが、男か女か分からない状態で、それを見ながら、助けを求める人たちを見ました。それを見ながらも、どうしようという気もおこらなかった。で、トンネルまで行って、そこで、そこにいた女の人に頼んで、手に下がってる皮膚が邪魔だから、それを取ってもらいました」

    岩上「手に下がっていた皮膚が邪魔だから。どんな状態で」

    谷口「(腕を上げてみせて、前腕から肘、上腕、脇下にかけて)ここからダラーッと下がっているわけね。バーッと剥げて、ここらへんに垂れ下がって」

    岩上「それは、背中のほうからですか?」

    谷口「左の手。背中はもう焼けてしまってますから、何もなかった」

    岩上「こちら(モノクロの写真)は、もしかして、その焼けた時の」

    谷口「これが、約一か月後の写真です」

    岩上「これが一か月後の写真」

    【写真URL】http://bit.ly/1e0j4Fi
    ・被爆1ヶ月後の写真。右側が頭部

    谷口「こちらが頭です。こちらがおしりのほうです。これ、左手ですね。一ヶ月後ですから、ここ、下は焼けてませんけども、皮膚はありますけども、ここの焼けたところは皮膚がなにもなくて、骨だけ。これ、骨が見えてます。これが腐って下に流れたのがたまってたわけですけどもね」

    岩上「何がたまってたんですか?」

    谷口「これが腐って流れる。ぜんぶ。だからたまって。この真ん中のところの黒いところは、ここは15年過ぎても腐らなかった。ここは、皮膚の底まで焼けてしまって、石みたいなのができたぐらいになった」

    岩上「白くなっているのはなんですか?」

    谷口「これは、いちおう薬なんです」

    岩上「薬。これは、痩せててほんとうにごはんも喉が通らなかったんじゃないですか」

    谷口「そうですね。食べ物なんて、今みたいにそんなに(豊富に)ないですからね。だいたい、こうやってうつ伏せに寝たっきり。こちら(カラーの写真)のほうは、実は半年後で」

    岩上「あ、これが半年経ってからの姿ですか」

    【写真URL】http://bit.ly/148enaw
    ・被爆から半年後の写真。背中が焼けただれていることがはっきりと分かる

    谷口「こちらが(モノクロの写真を撮ったのが)、アメリカのカメラマンのジョー・オダネル(※3)。こちら(カラーの写真)は約半年後で、アメリカの戦略爆撃調査団のハーバート・スッサン(※4)という写真家(が撮影しました)」

    ----------------------------------------------------------------------
    (※3)ジョー・オダネル:米海兵隊従軍カメラマンとして被爆直後の長崎を
    撮影。戦後、1949年9月に佐世保に上陸し、広島、長崎などで戦災状況の撮影
    に従事した。【URL】http://bit.ly/o97lrU
    ----------------------------------------------------------------------

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    (※4)ハーバート・スッサン:米戦略爆撃調査団のカメラマンとして、被爆
    後6~8ヶ月の広島、長崎を撮影。【URL】http://bit.ly/1760CtA
    ----------------------------------------------------------------------

    谷口「これは鮮やかに記録されてますけどね。21年の1月31日撮影。この状態で1年9か月、うつ伏せで寝たっきりですから、胸が床ずれで骨まで腐ってしまいました」

    岩上「骨まで腐ってしまった?・・・」

    谷口「だから、今でも、骨と骨の間から、心臓が動くのが見えるという。ぷくぷくと動いているのが」

    岩上「心臓が見える・・・」

    谷口「ぷくぷくと動いているのが見えます」

    岩上「生還されたのは、奇跡的なことですね」

    谷口「誰一人として、あれ(谷口さんを指す)は生きていけるという人はいなかったです。まさか、看護婦さんが病室に見に来て、今日も生きてる、今日も生きてると、廊下でささやいていた。

     さっき言ったように、このように被爆した関係で、先ほどのトンネルに入って、そこで左手の皮膚を切り取ってもらって、しばらくすると、そこへ、まだここにいると何されるかわからんから、避難しろと言われましたけども、10分も過ぎてなかったですね。とにかく自分の力で立ち上がらなきゃいけなかった。

     で、元気な人に背負われて、山のうえの木の陰の草の上に寝かされた。そこで二晩過ごして、三日後、朝方、救出されて、28キロ離れている諫早というところに運ばれました。まあ、そこでも治療らしき治療を受けなくて、行って、それから三日ぐらい経ってから、やっと傷から血が少しずつじわじわと出始めました」

    岩上「それまで血が出なくて、火ぶくれのようになってたんですか?」

    谷口「もうぜんぜん血が出なかったね。もう、それだけ血管からぜんぶ冒されてしまって、だから、もう三日ぐらいしてからやっと血が出始めて、それで、ともに痛みが襲ってくるけど、それでも、まだ痛いってほどでもなかった。それで、まったく治療ができなくて、それで9月になってから長崎市内の小学校にやっと、新興善小学校っていうんですけど、そこで大丈夫ということでそこで、一番初めに受けた治療が輸血ですが、その輸血だって、血管に注射針が刺せない。だから輸血が入っていかない」

    岩上「注射が打てない。輸血ができない・・・」

    谷口「輸血しても入っていかない。結局、内臓全部冒されてしまっていたんですよね」

    岩上「内臓が全部・・・」

    谷口「腎臓からなにから冒されてしまって。だから、そんななかで、あの時は、牛を殺して、その肝を持ってきて、それを目の前で小さく切って、それを生で食べなさいと言われて。焼いたやつじゃダメだって言うんでね」

    岩上「焼いたものだとダメだと?」

    谷口「焼いたり炊いたりしたものだとダメだと。生でないと」

    岩上「どうしてですか?」

    谷口「それは結局、血液ができないからですね」

    岩上「生の、例えばレバーなどを食べると。少しは血を取り込めるということですか?」

    谷口「そうでしょうね。だけど、そんなこと原爆者はだれも知らないですからね。だから、そんなことをしても良くならないし、ずっと日にちがたつにつれて、焼けたところが腐って、流れていくわけね」

    岩上「火ぶくれが大きくなって、破れて血が出て、腐っていくんですか」

    谷口「腐っていく。それが、さきほどの写真のように、ただ床にたまって、一日何回もぼろきれや新聞を捨てなきゃならなかった」

    岩上「一日何回も・・・」

    谷口「ぼろきれや新聞を捨てなきゃならなかった」

    岩上「痛かったですか?」

    谷口「もう痛いといようなのじゃなくて、苦しくて苦しくて、もう痛みというのは、そんな感じないわけですね。もう鞭でピシャピチャッと叩かれると、叩かれたとき痛いというだけであって、そのあと痛みは感じない。まったくそんなものですね。

     それで11月になって、大村の当時の海軍病院、今、国立病院になってますけど、そこに送られていきました。それもうつ伏せのままで担架に乗せられて送られました。だけど、さきほど言いましたように、うつ伏せになっていますから、床のほうが全部腐っていきます。もう骨が見えるほどになってしまいました。

     そして、背中がどんどん腐って流れていくばかりで、結局、そこでアメリカから持ってきたペニシリンを使いましたけども、これだって、ほとんど効果がない」

    岩上「アメリカの」

    谷口「ペニシリンで」

    岩上「効果がなかったんですか?」

    谷口「もともとペニシリンというのは化膿止めですからね。ぜんぜん良くならないし、結局、やっぱりそこらへんで、原爆症ということが分かったわけですよね」

    岩上「原爆症・・・」

    谷口「そこで、特殊な薬を使いましたけど。その薬というのは戦時中に、軍の命令でプロジェクトチームを作って、軍の監視のもとに経営されてやってました。それが研究というので、完成したものがわずかしかなく、終戦となってプロジェクトチームは全部解散してしまったわけで」

    岩上「何が?」

    谷口「終戦となってプロジェクトチームはぜんぶ解散してしまったわけだよね」

    岩上「プロジェクトチームは解散しちゃった」

    谷口「それを収監したものを、21年の6月まで使えない」

    岩上「なんという薬なんですか? 日本軍が作った薬なんですね?」

    谷口「熊本医大で、研究されていると言われて、それを使ってから、血液が非常に全体に広がって、それで傷が少しずつ良くなっていった」

    岩上「そうなんですか? それは塗り薬なんですか? 飲み薬なんですか?」

    谷口「飲み薬」

    岩上「飲み薬なんですね」

    谷口「それで、結局、4ヶ月経ってやっと傷が良くなっていくと。たいがい傷はそれから薄い白い膜が張って良くなってきました」

    岩上「そうなんですか」

    ===================================
    ◇退院しても喜べなかった◇
    ===================================

    谷口「そうやって21年の10月頃に、全部良くなってきて、それで1年9ヶ月経って、私は22年の5月にやっと自分の力でベットから出てきました」

    岩上「それまで寝たきりだったんですね」

    谷口「それまでまったく動けないわけね。寝たきりで。ある日、突然、もう起きれるんじゃないかなと思って、自分でベットから自分の体を動かして、そして立ち上がったら、ちゃんと立ち上がれた。ただ、その立ち上がった時の痛みというのは、誰もそんなことについて信じないし、体験したことないんだから。何かちょっと、1年9ヶ月も寝たきりですから、起き上がると、頭から背中に向かって、血管の中を血液が流れていくのがわかる」

    岩上「頭から背中に流れていくのを」

    谷口「血液がずっと下に流れていくのが。それがものすごく痛くて」

    岩上「痛い」

    谷口「ちょうど針で刺すよう痛みで」

    岩上「これは、背中を通るときとかに痛いということですか?」

    谷口「結局、血液が、寝たきりですから。それも、普通に正常じゃないわけでしょ。それで起き上がったところに、血管の中に血液がずっと流れていくからね。それはものすごい、足だって特にどこにあるかよく分からない状態になりました」

    岩上「全身が痛いってことですか?」

    谷口「そうですね。もうしばらく、目を閉じて、ずっと我慢した。そうこうして、結局、傷が良くなっていって、3年7ヶ月したときやっと退院していいという許可が出ました。普通だったら、退院して喜ぶんですが、自分は喜ぶことはできなかった」

    岩上「喜べなかった」

    谷口「こんな体で社会に出て、社会の人はみんな仕事できるけど、はたしてそういうことが自分にできるだろうかと。みんなは・・・、情けなくて歯がゆくて、改めて、戦争を憎み、原爆を憎み、世界の人たちは、私に嘘を教えた。日本は絶対に負けないんだと。国のために、天皇陛下のために死ぬことは、国の誉れだと美化したようなことを世の中の人に与えて、・・・戦争反対と恨み辛みで・・・」

    岩上「天皇陛下のために死ぬのが日本人の誉れだというふうに言われてきたけれども? ちょっとごめんなさい。聞こえなかったのですけれども。日本人がそのように天皇陛下のために生きて死ぬのを誉れだと言われてきたけれども?」

    谷口「そういうふうに育ったんだと。まずはそんなことはないと。それから世の中の親たちは、二十歳の葬式だったんだと。まだ16歳ですからね。子供の時に被爆してるわけですから。もう、その頃というのは、軍国主義を叩き込まれることばかりですよ。それが正しいとみんな思ってるわけですよ。

     今でも、ちいちゃい子供たちにいろいろ親が言うと、それが正しいと思うわけですよね。それと同じですよ。子供の頃はそんなふうに思っていた。いざ退院したとき、そんなふうに思いましたね。

     それで24年の3月20日に、大村病院を退院して長崎へ帰ってきた」

    岩上「ちょっと長崎から離れた病院だったんですね」

    谷口「大村というのは・・・(長崎から少し離れている)」

    岩上「大村ですね」

    谷口「その後ずっと治療を続けてますけど、退院して12日目に、元やっていた仕事に復帰した」

    岩上「12日後には働き出したんですか?」

    谷口「はい」

    岩上「もともと郵便配達の仕事でしたが、その仕事に戻られた?」

    谷口「その頃は、昔は逓信省で、郵便配達が電報配達と一緒だったけど、23年に郵政省が分割になって、それで私は電通省にされて、そして今度は郵便配達じゃなくて、電報配達を」

    岩上「電報配達を。動けたんですか?」

    谷口「それはもう、結局、動かなきゃいけないと思って、自転車に乗って走り回ってました」

    岩上「背中から、血が出るとか、火ぶくれのようになっていて、また、こすれて、破れて、というような、そんなことはなかったんですか? もう大丈夫だったんですか? 治まってたんですか?」

    谷口「その後も、ずっと次から次へ、良くなくて、これまで、14回も入院して、24箇所の手術をしてます」

    岩上「24回の手術!?」

    谷口「24箇所ですよ」

    岩上「皮膚の?」

    谷口「皮膚の移植をしなきゃ。皮膚の移植をしても、移植した皮膚は、まったく焼けたところに縫ってもダメになってしまう。これだって、そう。これだって、全部ここ剥ぎ取られてしまって、これ(肘)が伸びないわけね(腕を伸ばそうとしてみせるが、伸びきらない)。

     こうやって寝たままで、そのまま成長してるから、だから、関節が変形してますからね。だけど、一応、ここ伸ばすために手術しましたけど、こっちは剥ぎ取ってしまって、はじめはこのぐらいしか曲がらなかった。

     今は110度ぐらいまで伸びるようになった。ここの皮膚は、太ももから、こんな大きな皮膚を取ってきて、それで貼った。それは綺麗に貼ってくれたけど、あっという間にこんなになってしまう(シワが入る様子を示す)」

    【写真URL】http://bit.ly/148foQ9
    ・移植した肘の皮膚をカメラに示す谷口さん

    岩上「はじめは綺麗だったけど、変わっていっちゃうんですか」

    谷口「結局、こんなふうになってしまう。背中だってそう。背中もはじめは綺麗な皮膚を張るけど、ぜんぶ焼けたところが同じようになってしまうね」

    岩上「同じようになってしまうんですか。変化してしまうんですか」

    谷口「だから、それが、その錠剤で今度はあるところが悪くなっていくし」

    岩上「ご家族は、無事だったんですか?」

    谷口「家族は、私のうちはずっと爆心地から約2,7キロ、2,8キロぐらいありましたので、ある程度、家のほうは大丈夫だった。壊れてはいますけどもね。まあ、それ以上に、家族というのは非常にうるさい関係で、複雑なところですから。そこには、私とお姉さんとおじいさんとおばあさんと、そこでお姉さんが子供を背負って行ったけど、その子供は何も怪我をしてなかったけど、だいたい一ヶ月が過ぎてから、甲状腺がいかれて、2回手術があったと聞いてますね。

     その頃、2歳ですかね。2歳ぐらいで。女の子で。まあ、あえてここに出たからいいんだろうと思いますね。その後もまったく何もないような状況で、いま生活しています」

    岩上「今もお元気で。良かったですね。ものすごいご苦労をなさって。そして、戦争。これは正しい戦争をやっているんだと。そして天皇陛下のために死ぬんだという教育を受けてこられた。そして、自分が原爆の直撃を受けて、何年間か、寝たきりで、社会に復帰して、そしたら、社会がガラッと変わっていて、受け入れるのも大変だったと思います。

     なんとか動いて働き出すのも苦しかったと思いますが、そういう社会の変わりといいますか、信じていたものが全然違うことになっていた時の、驚きというのはどんなものだったんですか?」

    ===================================
    ◇一部の人のために戦わされた◇
    ===================================

    谷口「そうね。よく平和な人たちが、日本のために働いてくれたと今でも言いますけど、誰が日本のために働いたのかということ。本当に日本のために働いたら、こんなに国民を苦しめなくていいんじゃないかと。戦後、食べ物もないし、住むところもない。そのなかで、よく言われますけど、国のために働いたと。誰が良くなった。誰が国のためと言い出したのか。今でも、国のために亡くなった人たちを祀ってるんだと言っているけれども」

    岩上「靖国神社ですね」

    谷口「それだって、本当に国のためであったらば、日本国民は苦しまなくていいような状況になるわけですけど、それがまったくなってないと。ただ、それを国のため、国のためと言いながら、それは確かに戦争に狩りだした人たちは、それで亡くなっているわけですけど、それ以外の、戦争に行かなかった人たちも、ものすごいたくさんの人たちが殺されていった。それは国のために戦争をした。その国のために殺されたのと一緒ですから。そういうことについて、まったく目を瞑っている状況ですよね」

    岩上「今日でも、目を瞑ってるとお感じになりますか?」

    谷口「そうですね」

    岩上「お感じになりますか。国のためとは言っても、国民のためじゃなかったってことですよね」

    谷口「そうですね。一部の人のための、一部の人の欲望のために戦わされていたんだということで、それしか考えられないですね」

    岩上「核廃絶を求める運動を、それからずっとやってこられましたね。広島、長崎と、2つの原爆投下。この災禍を繰り返すまいと思って、運動されて来られたんだと思うんですけど、同時に、平和利用ということが、1960年代から始まって、それからずっと容認してきた原発がたいへん大きな事故を起こした。

     いま、原発をやめようという声があがっているのに、推進派の人は、やめるどころか、これを輸出して、再稼働して、あろうことか、いま、猛烈な勢いで、軍国化を進めている。そして、原発を持ち続けよう、原爆を作るため、核保有をするために必要なんだということを公言する政治家まで出てきていますよね。

     石原さんみたいな、はっきりと核兵器保有についてその必要性を言う人が出てきています。原発の事故、これまでの運動のこと。急激に日本が軍国化しつつあること。ちょっとたくさんの質問になって申し訳ないんですけど、いま、どのようにご覧になってますか?」

    谷口「結局、私たちは、核とは人類は共存できないんだと。だから、核というものに、綺麗な核も汚い核もない。全部、人類と共存できないんだということ。そのなかで、原子力発電所の建設についても、昔は、はじめ頃は、原子力発電所はどこで作ってるんだと。

     どれも海の近くに作って、海から綺麗な水を引き込んで、冷やして、海に温かい水を流すと。それで、どんどんその層が深くなって広がっていて、だから、それが地球温暖化につながっているんだということ。

     しかし、今そのことについて、まったく誰も言わなくなったわけ。そのなかで、結局、今回の福島の事故があって。あれだって、私に言わせると、自然なものじゃなくて、人が作って、人が壊したものであるのではないかと。そんななかでも、今でも収束していない。収束してないところから放射能が、漏れがどんどん進んでいると。

     これについて、私は、広島、長崎の被爆者、放射線を浴びた被曝者と、それと今原発から出ている放射線とまったく同じものであるということ。これは、やっぱり私ら被爆者は、原発をなくさなきゃいけないということと同時に、核兵器もなくさなきゃいけないと言ってきた」

    岩上「そうしますと、ずっと谷口さんとしては、みなさんとしては、原発は核の平和利用だからいいんだという言い分には与しないと。あれは危険だというふうにお考えになってきたということですね?」

    谷口「そうですね。あれはもう絶対にあってはいけないんだということ」

    岩上「原爆はもちろん、原発もあってはならないと」

    谷口「なぜかというと、今世界にある核兵器というのは全部長崎型の原爆でしょ(プルトニウム型の原爆がポピュラーであるという意味)。アメリカの人たちに言ったんだけど、彼らは戦争を早く終わらすためには(原爆の投下は)正しかったという。

     それだけが目的だったら、広島はウラン爆弾であり、それだけでよかったじゃないかと。それが、次は長崎には違う原爆を、プルトニウム爆弾を落とした。これは、完全に長崎は実験だったんだということ。それが成功した。

     そうやって、これまでずっとアメリカ政府は、被爆者の実態調査をして、それでどんどん核兵器を作っていった。それは、長崎型の原爆が成功したために、この御旗のもとに、原子力発電所をずっと増設して、そこでプルトニウムをためて、ウラニウムを炊いてプルトニウムを取り出して、それで化学兵器をどん
    どん作っていたわけ。

     だから、そうしてやってきて、今になったら、(核兵器を保有している)五カ国が協定を結んでますけど、それ以外に、それが関わっていない国が、どんどん増えてきてる。それが、なんか被爆国の日本政府だって、インドとかパキスタンとか、そんなところに原子力発電所の技術をやると。現実にこれをやると。何と言ってるかということだよね。

     だから、今日も安倍総理にも言いましたけども、そのことについて、安倍総理も平和宣言のなかで言ったように、結局、原発をそういうことをやっていくことについて許せないということを言ったわけですよね」

    岩上「政府のやっていることを許せない、と安倍総理に対しておっしゃったと?」

    谷口「平和宣言として、田上長崎市長が、今日、(平和宣言を)読み上げた
    (※6)」

    ----------------------------------------------------------------------
    (※6)田上富久長崎市長は平和祈念式典で次のような「長崎平和宣言」を読
    み上げ、原発の海外輸出を進める安倍政権を批判した。「NPTに加盟せず核
    保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないための
    ルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有
    をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げ
    にもなります。日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます」【
    URL】http://bit.ly/18f50DP
    ----------------------------------------------------------------------

    岩上「平和宣言を」

    谷口「そのなかで、そのことを触れてます。また、原子力発電所の問題だって触れてます」

    岩上「そうですか。広島と長崎、遠くから見ている人には、同じようにとらえられるんですけど、やっぱり一発目と二発目では意味が違うと。それと、二発目はプルトニウム型であり、明らかに実験だったということですね。

     それ以降の運動も、そういうことによってやっぱり影響を受けているんでしょうか? 広島の市長さえ、今回、実際にそうは言いませんでしたが、一時、原発と原爆は違うんだと。原爆はひどいけど、原発に関しては容認する発言をするという話が、これは産経新聞とかが書いていました(※7)。

     実際には、そんな言い方はしなかったようですけども(※8)、広島と長崎では、運動している方も、一般の市民も、行政も、政治家も、温度差があるんでしょうか?」

    谷口「それは長く生きてると、ありますよね。人間的なものもあるかも分かりませんけど、長崎のほうでもあります。広島の場合、さきほど言った核兵器廃絶ということを真剣にとらえてますけど、原子力発電所問題については、まったく触れてなかったですね」

    岩上「ああ、これまでもそうでしたか。長崎のほうがより徹底して、原発も原爆もダメだというようなことを言う方が多かったり・・・」

    谷口「そうだね」

    岩上「そういう話し合いをしても、そういう意見が多いと」

    谷口「そうだね」

    岩上「それは 3.11前から?」

    谷口「市長の平和宣言を作るのも、長崎県は全部が集まって、そのなかで検討して、出来上がっていくわけ」

    岩上「そうですね。平和宣言は、広島の場合、市長が書くけれども、長崎では、委員会を作って、市民のみんなが加わって、話し合って作ったと聞きましたね」

    谷口「それだけ、時間的なことがありまして、長くはできない部分はありましたけどもね」

    岩上「でも、そこで市民の声が寄せられる過程で、3.11のあの福島の原発事故は、相当深刻に受け止めてられ、原発はダメだという思いを込めようというのが、長崎の市民の総意と言ったら言い過ぎかもしれませんが、大方の思いになって、あの宣言に結実したんですか」

    谷口「そうですね。そういうこと」

    ===================================
    ◇核廃絶への願い◇
    ===================================

    岩上「日本は、いま急速に右傾化していると言われています。中国と韓国と、急にギクシャクし始めており、そして、北朝鮮のミサイルの脅威に対抗するために、敵基地攻撃をする。つまり、相手の基地を先に攻撃しようと、先制攻撃をやろうということまで言い始めています。そして、一部では、核武装までしようよという声もあがってますけども、これは谷口さんたちが願ってきた世界から、かなり遠いところへ行ってしまっていると思いますか?」

    谷口「日本は、憲法で保障されたように、武力は持たないと。戦争はしないと言ってきて、68年間、そうしてきたわけでしょ。そのなかで、結局、よく言われますように、その憲法のもとで、もし争いがあるときには、武器を用いるんじゃなくて、人間的なことでもって解決していくということになっている。

     そこがなんか忘れてしまったような状況になってきているという。まずひとつは、アメリカ。何かあるとアメリカ、アメリカ、アメリカと。アメリカと言って、日本はアメリカの完全に人質のようなものであると」

    岩上「属国みたいになってますね」

    谷口「だから、アメリカの言うことをきかなきゃいけないということばかりが、しきりに言われる。特に安倍総理はそんな状況が強くなってきている。これでは、日本国民を苦しめるばかりじゃないかと。また、世界から認められないような状況になっていくのではないかと。

     だから、そんなふうになってくるから、一番近い北朝鮮とか、韓国とか、中国と、あまり交流はできないと。親しくはできないというような状況になっていくんじゃないかと。一番近いところですからね。仲良くしなきゃいけなわけですから。ところがそうじゃない。そのことが、今後災いしてくるんじゃないかと」

    岩上「一方で参院選は、本当に複雑な思いになる結果だったと思います。自民党が圧勝して、あとは維新の会も含めて、憲法改正という勢力が大半を占めました。憲法が改正されてしまうかもしれない。その日本国憲法というものが変わってしまうかもしれない。

    しかも、自民党の改正草案を見ると、憲法9条の二項のところだけじゃないんですよね。基本的人権から、言論の自由から、あとは拷問を受けない。果ては『拷問を絶対に禁止する』という規定から『絶対』を削除したりとか、ものすごい内容なんですけども、ご覧になったかもしれませんが、この自民党の改憲草案を見て、憲法改正発議可能な3分の2の議席を獲得してしまったというような状況について、どのようにお考えになっていらっしゃるのか、お聞かせください」

    谷口「結局、(憲法改正のための発議が)今までは3分の2だけど、これを2分の1にするということになると、簡単に改憲が通るようになると。そのことは、結局、国民に対して、良からぬことをいう人達がたくさんいるじゃないかと。その人たちの武器として用いられるような(懸念がある)。

     結局、平和運動をする人間は、アカだとかなんとか、そんなこと言って。それはアカじゃなくて、人間が正しいと思うことをやっているだけであって、それをアカ行為と言って、結局、国民を分断する道具に使っていることは、けしからんことですよね。

     だから、中国に対してだって、あんまり仲良くしようとはしない。北朝鮮とだってそうだという。なんか日本政府は、いま非常に危険な状況になってきている。特に参議院選挙以後、安倍総理が掲げてきていること、一回、安倍総理は、総理の地位になって一回辞めとって、それでまた再度出てきて、昔考えていたことをやり直そうとするかのようなことはけしからんと思いますよね」

    岩上「第二次大戦の総括も、まだ本当にはできていないような状況だと思うんですけども、なぜあんなむごたらしい戦争が続いたのか、本当の意味で見直されては、まだいないと思うんですけども、そういう状況でもう一度、元に戻そうとしている」

    谷口「そうですね。結局、元々は、アメリカだって、日本と戦争して、それで、日系人を収容所に入れた。その立場でアメリカ政府は補償してきたわけ。ドイツだって、そういうことをやってきた。日本だけまったくそんなことをしてないわけだよ」

    岩上「個人に対する補償」

    谷口「まったく国として、人間として、全く違う人間じゃないかと。またそれ(個人への補償)を支持していく人間が増えていくということで、人間(個人への補償)についても多くの人達(の支持)が増えていくということになると思いますね。だから、日本は本当に危険な状態になっていくんだということ」


    岩上「これは、何が悪いんでしょう。政治でしょうか? それとも教育でしょうか? それともメディアなんでしょうか? それとも、例えば、日本に対して、親分風を吹かせて、なんでも言うことを聞かせるアメリカの右傾化みたいなものが影響してるんでしょうか? それとも、日本人ひとりひとりの性根の問題なんでしょうか」

    谷口「ひとつはアメリカの右傾化という動き、そのことは結局日本に流れてきてると思いますね。そんななかで、日本の教育の問題だって、盛んに日本政府はいろんなところで、首突っ込んでいる。

     それから教育の問題にしても、本当に子どもたちがのびのびとできる教育をやらせてない。まあ、それをやらせようとすると、差別して、そういうのが育っていかないような教育を作っていると。それは保育所とか、そんなところか
    ら始まっていくわけでしょ。政府がそんなkとをやっているわけね。

     その教えられたことを、信じ込んだ人というのが、今度は非常に危険になっていく。今度の参議院選挙を見てお分かりのように、本当にいまの自民党の政府が言っているようなことを、それが正しいんだと思ってる人たちが多い。何回も選挙したって、もっと根本的に考えなきゃいけないんじゃないかという人も多い。何かというと、いくらしたって一緒だという。言ったって一緒だという(シニカルな)人達が増えてきたということだね。それだから、結局、選挙にいかない人たちが半分も増えてきたと。

     それだったら、結局、選挙そのものが、認めないというか、それ自体が間違ってるんじゃないかと。だから、本当に3分の2以上の人たちが選挙にかかって、せめて(投票率が)3分の2以上にと、そういうふうにしなきゃいけない。それを、憲法問題ね。憲法も3分の2で、いま賛成と言ってるけど、それを半分にしようなどという。(憲法発議は3分の2であるべきだが、それに加えて)一番大事な選挙について、そこでもっと考えなきゃいけないんじゃないか」

    岩上「投票率が低かった場合は、その選挙を無効にするとか、そういう国がありますよね。だから、そういう投票率が低いままに、その結果を受け入れて、ごく一部の人間の意思だけで、国を曲げていくというのはダメだというお考えなんですね」

    谷口「それはダメですよね。そんなことで」

    岩上「長崎の方々は、世代を継いで、原爆の恐ろしさを語り伝え、原水爆の禁止運動をおやりになってきたと思うんですけども、これから先、この原爆、原発、そして戦争可能な国の形作りに、ストップを、歯止めをかけたいと思うのであれば、何を今後、していくべきなのか。どうしようとお考えなのか。ご自身でぜんぶやれるわけではないと思いますけれども、若い人たち、一緒にやっている人たちも含めて、みなさん、どのようにお考えなのか。ご希望をもっていらっしゃるでしょうか」

    谷口「そうですね。実際に、私たちは戦前を生きてきた人間であり、戦後を生きてきた人間です。私たちは、戦前の日本の苦しみを味わってはいけないんだと、最終的に戦争の苦しみは、最終的には原爆になるんだと、そのことを若い
    人たちに伝えていかないといけない。そのことを若い人たちが真剣に考えていってもらいたいと思います。

     そんなことで、私たちは、特に広島と違って、長崎の場合、子供らも含めて、核兵器廃絶ということと平和ということについて、教育の場においても、真剣にやっていくと。そういうことをやらなきゃいけないんだと思います。

     だから、そのことは今の若い人たちが、私たちの願いを引き継いでもらいたいと。そのことを、次から次へと、子どもたちに伝えていっていただきたいということを願っています」

    ===================================
    ◇アメリカの「核の傘」はまったくの嘘◇
    ===================================

    岩上「一点だけ、聞き漏らしたことがあって、申しわけない。原爆を投下したあとの話ですが、1958年ですかね。原爆投下時の、そのトルーマン大統領が『原爆を投下したことに良心の呵責を感じない』と発言しました。

     大変、皆さんが反発されたわけですけれども、この年の4月、衆参両院で、原水爆実験禁止の決議をした。長崎に原爆病院ができたのが、この年の5月。この日本では、反対の声が高まっていった、その時に、安保の問題が揺れて、現在の安倍総理のおじいさんの岸さんが総理をやっていて、でも、その頃、岸総理や防衛庁長官から『自衛の範囲なら核兵器の保有も違憲じゃない』とか、あるいは『防護用の核兵器は合憲』という言葉も出ています。

     これは昔の話と、ずっと思っていたのですけれども、いま、孫の安倍さんが、ここまで右傾化した政策を行っている。なにがなんでも原発はやめないという政治姿勢を考えていくと、これは、あの60年安保のころのこと、あの岸さんたちが言った『核兵器保有』の危険性がもう一回よみがえりつつあるのだと思うんですけれども。

     やっぱり保守政治家は、あの頃考えていたことをずっとあきらめないで、もう一度、初志を貫徹すべく、どんなに国民が被曝しようと、原発を保持し続けて、プルトニウムを持ち、原爆を作ろうとしてるんだと、やっぱり考えざるをえないと思いますか?」

    谷口「私たち、特に広島、長崎の被爆者たちが、このように苦労して、多くの人達に話してきました。それでも、結局、国会の人たちは、そんなことを言っていると。それでは、もう一回、東京の真ん中に原爆を落としたらどうなるのかと。そうしなければ、私たちの言ってることを分かってくれないのかと。このようなことを言ってきました。

     そんなふうにして、右傾化していくということ。ましてや60年安保闘争というような。これは結局、アメリカとの日米安保条約の改定闘争ですけど、これだってどうだったのかという。そのなかで、結局、労働組合のなかでも、(反対派は)差別されて、結局、この人達が解雇されたということもありますね」


    岩上「労働組合のなかにいても、原水禁運動に関わった人が差別されてクビを切られたと。そんなことがあったんですね」

    谷口「それで、原水禁運動が当時、1955年に始まったわけですけど、政争のなかで、その運動が無問題化していくということ。それは結局、昔は原水協だけでやってきたのが、そこからできた原水禁とか、核禁会議とか、いろいろできてきた。核禁会議というのはもともと自民党の本質ですからね。その次、おまけにということで作られたのが原水禁ですよね。

     そんななかで、もっと作ろうということで、60年安保闘争のなかで、きちっと準備されてきているわけね。それはなぜかというと、昔は核兵器廃絶と被爆者救援が車の両輪だと言ってた。それが、60年安保の、その後に、総評の定期大会の議案書に、核兵器廃絶ということは載ってるけれど、被爆者救援が載ってない。

     どこへ行ったかというと、被爆者は、弱者救済のところに載ってる。被爆者は弱者救済に入るんだと。国が起こした戦争の責任は、世界が初めて使った核兵器の被爆者である、そのことを、それを弱者という扱いにする。それはどういうことなのかと。そのことを言ってきたのは、ほんの僅かしかいません。それが、その後の原水協の分裂であり、そこから結局、核兵器廃絶と、原発賛成というのが出てくる、ということなんですね。そういう状況ですね」

    岩上「64年には、中国が核実験を行なって、それを口実として、アメリカの『核の傘』が日本を覆い始めると、こういうふうにおっしゃったりしてますけれども、アメリカの『核の傘』というなかに、いまも日本はいるんだと思ってる人は多いと思いますし、それがなくなったら、日本は立ち行かないと思ってる人も、少なくないと思うんですよ。この点については、どのように思いますか?」

    谷口「それは、アメリカの『核の傘』という、私はいつも言いますけど、単純に考えてくださいと。雨が降るから傘をさすんだと」

    岩上「雨が降るから傘をさす・・・」

    谷口「ところが、アメリカの『核の傘』というのは、雨がふらなくても、そのアメリカの核によって、日本を守ってやるんだというけど、そのことを日本政府が受け入れて、そういうこと(日米安保)をやっているという。だから、これは、まったく傘というのは間違いだと。私はいつも言いますけど。そのことですね。

     アメリカの『核の傘』というのは全くの嘘だと。それは先ほどから何回も言いますけど、日本はアメリカの人質みたいなことなんだというと、なんかそこで日本が完全に独立するんだったら、真似すべきじゃないかと。

     それは結局、沖縄の問題だってそうなんですよ。沖縄だって、日本に言わせると、もうちょっと日本の政治家のなかには、沖縄は日本の国として、認めてないんじゃないかという。昔から、19世紀から。あれは日本と違うんだと。

     だから、それでアメリカの沖縄返還のときだって、返還すると言ったけど、沖縄は日本と違うんだと。だから、そこにアメリカが基地を置いていいんだということを約束して、それがいまだに、沖縄については、そのような状況を作っている。だから、私は、あそこ沖縄はもともと、台湾もそうですけど、台湾総督府となっているという問題。そこを日本が支配していた。沖縄だって沖縄政府として、琉球政府として、それを日本が取り上げて、支配している。そのことをいまやっている。

     だから、アメリカ、アメリカってアメリカの『核の傘』って言ってるけど、それはまったくの嘘なんだと。『核の傘』に守られてるというけど、それは全くの嘘なんだと。日本の政府が、政治家が、アメリカに対して、国民に対して嘘を言って、裏取引の材料としているんだということを、そのことをいつも言っています。


     だから、日本は、今回の北朝鮮問題だって、アメリカの言うことを気にして、ミサイルが発射されると騒ぐ。そんな確かに、北朝鮮からアメリカ本国まで届くはずはない。では、何のためかと。日本にあるアメリカの基地、そこを狙ってるんだ、それが北朝鮮のミサイルなんだということです。

     アメリカ本国を攻撃している間に、日本から米国機が飛んで行くわけですから、飛行機が飛んでくる一番近いところ、そこを今度は攻撃しなくちゃいけないというのが北朝鮮の考えじゃないかと。

     だから、そのことは、結局、日本が、日本国民が、近いアジアのことを考えなくて、アメリカの知恵みたいなものに騙されるかどうか分からないけど、どっちが騙してるか騙されているか、分からないけど、そういう状況で、日本政府が国民を騙してるということ。それは結局、『核の傘』で守られているという、こんな言い方をするということだね」

    岩上「アメリカが日本をずっと組み敷いてきて、日米安保によって、そして『核の傘』でお前たちを守ってやるからなと言って、恩着せがましいことを言ってくるんですけど、そういう状況がずっとこれからも続いていくのはおかしな話だと思うのです。

    アメリカに対して、『核を投下したのは人道上の犯罪でしょう。あなた達は間違っている。補償しなさい。謝罪しなさい。そして、核をやめなさい』ということを日本からアメリカに向かって言われるのは、アメリカはとても怖がっているのではないかと思うのです。だからこそ、一方で、安保によって支配しながら、核の恩恵を恩着せがましくも、言い続けているようにも思うんですね」

    谷口「そうですね」

    岩上「どうでしょう、そのへん」

    谷口「結局、わたしたち国民は、サンフランシスコ条約で騙された。国民はなんにも言わなくて、吉田茂がサンフランシスコ条約で日本国民を騙して、(安保)条約を結んでしまったんだという。そのことにおいて、池田(勇人)のような右翼的な人間たち、それを引き継いでいるのがいまの状況であると思います。

     安倍総理のじいさんばあさんたちが、そういうことをやってきたんだということだね。だから、佐藤栄作だって、その後があるということだよね。

     だから、私はあくまでも、アメリカの核の問題について切りあわなきゃいけないんだと。そして、憲法に保障されている、世界の人達と仲良くしていくということで、アメリカだけと仲良くするんじゃなくて、世界全部と仲良くしていくんだと。そのことを言って、国民の前にきちっと言わなきゃいけない。そのことを世界に向かって、ちゃんとしなきゃいけないんだということです」

    岩上「分かりました。これは次の世代、その次の世代に、語り継がれていく、日本の平和を守っていくための大事な心の拠り所として、この体験が語り継がれていく、そう信じていらっしゃいますか?」

    谷口「そうですね。そうしなきゃいけないということですね。それは一被爆者の言ってることであっても、真実をみなさんに知ってもらうために話したことであるということで、それは、このことを皆さんに信じてもらいたいと。

     あとは、これも言いましたけど、私も来年まで持てるか、再来年まで持てるか、もう先々分からないわけですから、ただ、このことを全部引き継いでもらいたいということです」

    岩上「分かりました。いま、御年84歳になられるんですよね。本当に、体調の悪いところを無理して、お話いただきました。本当にすいません。ありがとうございました。長時間のお話、ありがとうございました」

    谷口「いいえ。私も、一昨年と去年と二年続けて、肺炎で入院しまして、去年も2ヶ月入院してたんですね。で、いろんな病気を併発しまして、それでつかれるんですね。もう、とにかく、こうやって起きてるのも辛いぐらい。家にいたら、寝てばかりでおります。

     寝ていると、そのまま動けなくなるんじゃないかと思って、無理して起き上がって。だから、話しをするときも、今日はあんまり咳は出なかったけど、咳が出ると困るんですね。咳が出ると今度鼻水が出て、涙がでる。本当はそのとき痰が出ると一応、そこで止まる。これはおかしいんです。

     今年になって特にそういうことで。だから、体質がまったく変わってしまって、なんかこんな話をしていても、先ほどから咳が出ないかな、出ないかなと気が気でならない。咳が出ると、本当に苦しくて、胸が張り裂けるような痛みですから。

     さきほど言った5胸肋骨まで骨まで腐ってしまってますから、ここが呼吸が圧迫されてますから、肺を圧迫してますので、だから、私は普通の人の半分以下だと、肺呼吸が。だから、病院から、慢性呼吸不全症という診断書をもらっています。

     それは、肺だけじゃなくて、背中が焼けてしまって、それで(皮膚)呼吸ができないということで、いかに苦しいかということで、呼吸ができないということで。ときには思い切って、くーっと息を吸って、それは気持ちのいいもんですよね。そんな状況ですから」

    岩上「よかったです、咳が出ないで。お大事になさってください。来年まで持つかとか、そんな雲行きの弱いことを言わないでください。僕の親父も89まで元気でしたし、戦争も行きましたけど。でも、つい数年前まで生きてました。


     長生きをぜひ、なさっていただきたいと思います。ということで、たいへん体調の悪いなかお話を熱心にして頂きました。ありがたいことだと思っております。谷口さんでした」

    谷口「どうも」

    岩上「長時間のご視聴、ありがとうございました。谷口さん、本当にどうもありがとうございました」

    谷口「どうもありがとうございました」


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