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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    東電福島原発事故の真実 放射能汚染の真実 食物汚染の真実 正しい情報を求めて

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    なぜ国・電力会社勝訴の判決ばかりが出るのか? 答えは、原発を推進したいという国や霞が関の意向が、最高裁事務総局をつうじて、現場の判決に反映される仕組みになっているからだ。 

    原発訴訟で住民側が勝てない理由
    裁判官たちの奇妙な世界(後編)
    黒木 亮
    2013年7月25日(木)日経ビジネスオンライン

    裁判官たちに取材して一番驚かされたのが、誤判が結構あると彼らが率直に認めることだった。世間ずれしていないせいか、裁判官たちは、話すことと考えていることがまったく違う「腹黒役人」や「二癖あるサラリーマン」のような人はあまりおらず、誤判についてもわりと素直に認める。相当出世した著名裁判官が「若いころ刑事事件で無罪判決を出したけれど、今考えると、あれは誤判だったと思います。無罪を有罪にして冤罪をつくったわけじゃないので、それだけは救いですが」と回想していた。別の裁判官は、「どうにも判断がつかない刑事事件があって、これはもう被告人が最後の陳述で何をどういう表情で話すかを見て決めるしかないと思って、『最後に何か言うことはありますか?』と訊いたら『何もありません』と言って終わってしまったので参った」と話していた。

     刑事裁判はある意味で「やったか、やってないか」と量刑だけともいえるが、様々な事情が絡み合う民事裁判は一段と裁判官たちを悩ませる。原告・被告とも自分に不利な証拠は出さず、かつドロドロした真実の部分も法廷には出てこない(わたしが巻き込まれた銀行裁判でもそうだった)。結局、裁判官は泥水の上澄みみたいなものを見て判断するしかない。こういう事件は数件に1件くらいあるので、無理やり判決するしかないようだ。

     結局、裁判といっても神ならぬ身の人間がやっていることで、常に真実が発見され、正義が実現されるというわけではなく、色々なルールや制約の下で行われる一種のゲーム(ないしは儀式)である。

     真実発見の困難さに拍車をかけるのが、前回書いた「売り上げという名のノルマ」である。例の銀行裁判でも、証拠書類の大半を握っている銀行がなかなかそれを出してこないので、原告(債務者)側としては、裁判所が文書提出命令を出して、銀行に証拠書類を提出させてほしいと繰り返し申し立てたが、裁判官はほとんど聞いてくれなかった。今回取材の中で「どうして文書提出命令を出したがらないんですか?」とある裁判官に訊いてみたところ、「出すと、文書を持ってる側から抗告されて、それが最高裁まで行ったりすると審理が1年くらい遅れちゃうから嫌なんですよね」という答えが返ってきた。

    原発訴訟で国と電力会社が勝ち続けるわけ

     『法服の王国~小説裁判官』では、原発訴訟にかなりの紙数を割いた。東日本大震災による福島第一原発の事故に関しては、危険性を見通せなかった司法にも大いに責任があると考えたからだ。

     これまで数多くの原発訴訟が提起されたにもかかわらず、住民側が勝てたのは、高速増殖炉「もんじゅ」の控訴審判決(名古屋高裁金沢支部、平成15年1月27日)と志賀原発2号機訴訟の一審判決(金沢地裁、平成18年3月24日)だけである。そしてこの2つの判決も上級審で覆され、原発訴訟は国と電力会社側の連戦連勝という結果になっている。

    取材で、もんじゅや志賀原発訴訟以外にも伊方原発訴訟などの記録を読んでみたが、原子力委員会(正確には、その下部機関である原子炉安全専門審査会)による安全審査がいい加減であることや、原発が危険であることはだいたい立証されている。原子力委員会による安全審査は、これまで原子力村内部のお手盛りで、きわめてずさんなものであったことは間違いない。もんじゅ控訴審判決などは、「誠に無責任」、「ほとんど審査の放棄」、「(動燃の申請書を)無批判に受け入れた疑い」と、激しい表現で断罪している。

     にもかかわらず、なぜ国・電力会社勝訴の判決ばかりが出るのか? 

     答えは、原発を推進したいという国や霞が関の意向が、最高裁事務総局をつうじて、現場の判決に反映される仕組みになっているからだ。


    判決を操る最高裁事務総局

     仕組みの一つは、最高裁事務総局が主催する会同(中央協議会)である。これは、表向きには裁判官同士の研究会という名目で行われているが、しばしば国策に関わる裁判の方向性に関して、事務総局の意向を現場の裁判官たちに周知徹底する場として用いられている。法律関係者の間でよく知られているのが、昭和58年12月に開かれた水害訴訟に関する会同である。全国各地の裁判所から水害訴訟に関係している百人程度の裁判官たちを招集し、設問を与えて議論させ、最後に事務総局民事局の担当者が、あたかも正解を解説するかのごとく事務総局の見解を開陳した。そしてこの会同を境に、ほぼ一貫して住民勝訴が続いていた水害訴訟が、住民側連続敗訴の流れになったのである。

     原発訴訟に関しては、昭和51年10月に会同が開かれ、これまで付近の住民に被害を与えるような原発事故は起きていないので、住民側には原告適格がないということで訴えを門前払いしても不都合はないと思われるという事務総局の見解が示された。

     こうした会同の記録は、当然のことながら「部外秘」扱いとされている。しかし、隠し事はできないもので、外部に流出し日弁連環境委員会の書籍や水害訴訟原告団が出版した書籍に資料として掲載されている。


    人事権という「合法的な」判決介入

     会同以外にも、人事異動によって住民側勝訴に傾いている裁判長をよそに飛ばし、保守的な傾向のある裁判長を後任に据えるという手段もとられる。もっとも悪名高いのが、伊方原発1号機訴訟の一審で、結審直前になって、村上悦雄裁判長を突然名古屋高裁に転勤させ、同じ名古屋高裁から同期の植村秀三裁判長を持ってきた例である。このときは主任裁判官を務めていた左陪席の岡部信也判事補まで、松山地裁の他の部に異動させるという念の入れようだった。

     当時の裁判関係者によると、村上裁判長は四国電力に対して思い切った文書提出命令を出すなど公平な審理を行い、住民側勝訴に傾いていたかどうかは確たることはいえないものの、国策に反する判決を出すべきかどうか深く悩んでいたふしがあるという。

    突然の村上氏の異動に対し、原告(住民)側の弁護団は猛反発し、最高裁事務総局に抗議を行った。抗議文は、「本件訴訟は、我が国最初の原子力発電所の安全性の有無に関する訴訟であって、過去に同種の裁判の経験のありようがなく、従って他の経験とそれに基づく推理想像によって行間の空隙を埋めることは不可能であります。又、事案の判断に必要な知識の習得についても、一夜漬けはおろか、どんなに集中しても、短日月には不可能であります。証人尋問という緊張をはらんだ場に、適当な間隔をおいて臨み、その都度、時間をかけて文献(書証)を読むことを通じて、はじめて知識の蓄積が可能となるのであります。更に、証人の証言の信憑性の判断を裁判所が行う場合、証言態度から窺える証人の人格、信頼性に対する判断もまた極めて重要な役割を果たすものと考えられます。合議体の構成員の中で、全証人尋問に立会い、本件審理の大部分、証拠調べのすべてに関与されたのは、村上裁判長のみであります。従って、審理の終結に近い現段階において、裁判長を突然交替させることは、2年余にわたってようやく蓄積、形成されてきた、わが国最初の原子力発電所の安全性に関する裁判長の認識と理解を灰燼に帰するに等しいことであり、これは著しく公正な裁判への期待を裏切ることであります」(以上抜粋引用)と怒りも露わだった。

     結局、2カ月半後に、後任の植村秀三裁判長は、「引っ越しの際にぎっくり腰になった」という理由で1回も審理をすることなく東京高裁に転出し、代わって名古屋高裁の柏木賢吉判事が後任の裁判長になった。また、岡部判事補も合議体に復帰した。しかし、翌年4月に下された判決は、予想に反して、住民側の全面敗訴だった。

     すでに柏木氏も岡部氏も亡くなり、判決が書かれた状況を調べるのは困難を極めたが、ある幸運から裁判所内部の「生き証人」の一人に取材することができ、作品の中で明らかにしたので、興味のある向きはご一読頂きたい。

    国策に反する判決を出した裁判官の末路

     国策に反する判決を出した裁判官のその後も、裁判官たちの心理に少なからず影響を与えている。典型例は、昭和48年9月に長沼ナイキ訴訟の一審で、札幌地裁の裁判長として自衛隊違憲判決を出した福島重雄判事である。判決の翌年4月に東京地裁の手形部という日の当たらない部に異動させられ(手形訴訟はもっぱら形式の審理で、何かよほどの抗弁でもない限り裁判官としての能力は必要とされない)、その後も、福島家庭裁判所や福井家庭裁判所など地方の家裁を転々とし、定年を待たずに退官した。

     福島は、自民党やその意向を受けた最高裁事務総局から敵視されていた青年法律家協会(憲法と人権擁護を掲げる法律家の団体で左翼系の会員も少なくない、略称「青法協」)の会員であったことも災いしたが、彼に対する徹底した冷遇ぶりを目の当たりにした裁判官たちは、国策に反する判決を出すことにしり込みするようになった。特に、大都市の裁判所(本庁)、最高裁事務総局、司法研修所教官、最高裁調査官といったエリートコースに乗った裁判官たちは、経歴に傷が付くことを恐れ、火中の栗を拾うような真似をしなくなった。


     この点、原発にノーを突きつけたもんじゅ控訴審訴訟の川﨑和夫裁判長や、志賀原発2号機一審訴訟の井戸謙一裁判長の勇気には感心させられる。取材で志賀原発2号機訴訟の判決文や井戸裁判長のインタビュー記事を読んだが、その論理の切れ味は恐ろしいほどだ。井戸氏は東大教育学部出身で、法学部の学生でないにもかかわらず1年ほどの勉強で司法試験に現役合格しており、元々頭脳明晰な人物である。井戸氏もまた定年を待たずに退官し(ただし左遷されたということではないと聞く)、現在は彦根で弁護士を開業しているが、裁判所も惜しい人材を失ったものだ。もんじゅの川﨑裁判長のほうは、法廷だと当事者も裁判官も自由に発言しづらいので、非公開の「進行協議」という形で約1年間にわたって毎月1回、朝10時から夕方5時まで、原告と被告の専門家が説明やプレゼンテーションを行い、裁判官たちが本音で質問をする機会を設けて原発について十分に理解した上で、判決を下した。

    ブルー・パージと五分の魂

     裁判所内では、昭和40年代半ばから、青年法律家協会会員裁判官に対する弾圧が行われた。一時は相当な数に上った青法協の会員裁判官たちに対し、所属長である地裁所長や事務総局の上司から「脱会しない限り、きみの将来はない」、「これは業務命令である」と連日のように説得と恫喝が繰り返され、昭和45年1月には、最高裁事務総局に勤務する青法協会員判事補10人全員が、局長の指示にもとづいて青法協に内容証明郵便を出して退会した。一連の動きは「レッド・パージ」をもじって「ブルー・パージ」と呼ばれる。

     一方、自分の信念を曲げない裁判官たちも少なからずおり、彼らは全国各地の支部や家裁を転々とする左遷人生を甘んじて受けた。こうした裁判官の一人が詠んだ歌に「渋々と 支部から支部へ支部めぐり 支部(四分)の虫にも五分の魂」というものがある。


     『佐藤栄作日記』を読むと、タイへの出張の挨拶に訪れた石田和外最高裁長官に佐藤栄作首相が、(東大紛争などのために多数の刑事裁判が行われていた)学生裁判の法廷秩序を乱す弁護士に対して強い態度を示して、法廷の権威を維持するよう注意した(昭和44年9月1日の記述)とか、熊本地裁の宮本康昭判事補と阪口徳雄修習生は青法協会員なので、再任と修習終了を認めない(昭和46年4月6日の記述)といったことが書かれており、政権与党から裁判所に対して様々な圧力がかけられていたことが分かる。一方、裁判所のほうでも、予算獲得のために自民党の有力政治家に頼んで、重点的な予算項目に事前承認の丸印を付けてもらう「マル政」ということを昭和50年頃までやっており、その見返りに、左翼系裁判官を弾圧していた。

    司法は政治の風見鶏なのか?

     ところが、こうした政治からの圧力は、東西冷戦の終結と自民党55年体制(自民党が政権を握り、社会党が野党第一党として対抗する政治体制で、一般に1955年から1993ないしは94年まで続いたとされる)の崩壊、短期政権が目まぐるしく入れ替わる不安定な政治情勢のために後退し、裁判所が政治の枷から逃れ、リベラルな判決を出せる状況が出てきた。

     裁判所の中において、大阪地裁は戦後間もない頃からリベラル派の牙城とされ、憲法や人権を重視する傾向があったが、東京地裁・高裁は大企業や行政に有利な判決を下す保守の牙城といわれてきた。しかし、その東京地裁でも民事3部の藤山雅行裁判長(在任平成11年4月~19年3月)が、多数の税務訴訟、韓国人不法滞在者強制退去処分取消訴訟、東京都の土地収用決定取消訴訟、小田急線高架に関する建設大臣の認可取消訴訟、町立国保軽井沢病院医療事故訴訟、大手銀行を対象とする東京都外形標準課税の無効確認訴訟などで、行政側敗訴の判決を連発し、「国敗れて3部あり」とまでいわれ、一部の市民団体は、民事3部に事件が係属されるまで、訴えの提起と取り下げを繰り返した。藤山氏は現在は三重県の津地家裁所長を務める順調な出世ぶりなので、最高裁のほうでも、藤山氏のリベラルな判決に特に目くじらを立ててはいないということだろう。

     今年3月に、1票の格差にもとづき、昨年12月の衆議院議員選挙を無効とする判決が広島高裁と同高裁岡山支部で相次いだが、これなども、裁判所が政治の圧力の枷から脱し始めた兆候で、筆者も「ついに出たか」と思わせられた。昭和30年頃から始まった高度経済成長で都市部に人口が集中したことと、自民党を支えてきたのが農山漁村であったことから、議員定数は地方に手厚い配分になっている。こうした状態に裁判所も頭を悩ませてきたが、政治に遠慮し、長らく「違憲だが無効とはしない」とするに止まってきた。ところが今年に入って、定数不均衡にもとづく戦後初の選挙無効判決が出されたのである。

     しかし、こうした状況は、最近再び逆コースを辿りつつあるように感じられる。長年原発訴訟に携わっている2人の弁護士から聞いたのだが、3・11の震災直後は、原発推進政策を追認してきたことへの反省が裁判所側でも相当見られ、流れが変わることが期待されたが、最近また、原発是認の雰囲気になってきているという。おそらくは、高支持率を誇る自民党安倍政権とその原発推進政策が裁判官たちの心理に微妙に影響を与えているのだろう。結局のところ、優等生で保身意識の強い裁判官たちは、政治の風向きを敏感に感じ取って行動する「風見鶏」にすぎず、人権の守護者にはなりえないのかもしれない。


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