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    原発問題 -The Truth is Out There-

      : 

    東電福島原発事故の真実 放射能汚染の真実 食物汚染の真実 正しい情報を求めて

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    IWJ特報第121号「旧日本軍による隠されたジェノサイドの真実」(その4) 

    第122号
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
               岩上安身のIWJ特報!
          旧日本軍による隠されたジェノサイドの真実
       ~北海道大学名誉教授・井上勝生氏インタビュー(その4)
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    (IWJ転載許可済み)



    (その3の続き)

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    ◆「日韓併合」のために、殲滅戦は意図的に隠された◆
    ================================

    井上「日清戦争は日韓併合の直前です。日本は朝鮮を良くしてやるという名目で親日政権を作るわけです。そのときに、やはり、東学農民の殲滅の作戦はなかったことにしたんだと思いますね。

     全面的になかったことにしたという何よりの証拠があります。戦史の中にその記述がないと言いましたけども、兵站線の編成のところにわずかに記述があるんです。その記述は非常に正確なんです。

     そこに、二つの連隊と、二つの大隊については、きちんと書いてある。それで、その派遣された経過も、骨組みだけですが、正確に書いてある。ところが、戦史からは全く除いた。そのことが一番わかるのは、年表の索引です。一番最後に 参謀本部が作った詳細な年表がついているのですが、その下に索引がついている。その索引には、東学農民軍の殲滅というのが一つもないんです。台湾の先住民の討伐戦は 年表に詳細に出ていますが」

    岩上「そこに違いがあるのですね」

    井上「戦争については、何であれ、いろいろな出来事が全部載っています。300何項目あります」

    岩上「台湾の先住民の討伐戦も正規軍を相手にしたものではない。しかし、そちらは載せられているのに、韓国の討伐戦は載せなかった。それだけこの討伐戦が政治的に非常にデリケートでナーバスなものだったということなのでしょうかね」

    井上「そうですね。ナーバスになり、日本は徹底的に消したわけですね」

    岩上「朝鮮にはイギリスとロシアとの関与もあったし、清の関心もあった。日本はいずれは朝鮮を併合しようと思っていたので、他の国に知られるとよくないということで、討伐戦を隠したということでしょうか」

    井上「いや、そこは違うと思います」

    岩上「違うのですか?」

    井上「違うと思います。隠蔽の筋道としてはだいたいは今おっしゃった通りだと思いますけどね。私は大事なことは、こういうことだと思うんです。これは『東学農民戦争と日本』でもちょっと書きましたし、今度出る岩波の現代全書の本にも書きました」

    岩上「何という本をお出しになるのですか」

    井上「現代全書というシリーズです。宣伝になって申し訳ないですが、8月20日に発売になりますが、『明治日本の植民地支配 北海道から朝鮮』(※46)というタイトルで、東学農民軍討伐についてと、ちょうど日清戦争の最中にアイヌ民族が民族運動を起こしているんですが、それについて書いています。

    『東学農民戦争と日本』の方は、中塚先生が若い人たちにもわかりやすくということを第一にして書かれましたから、『明治日本の植民地支配 北海道から朝鮮へ』ではもう少し詳しく書きました。

     私、今、おっしゃったところが非常に大事なところだと思うんですね。それは大方の方が間違って理解されていると思います。

     日清戦史で旅順の虐殺については本が出ていますよね。旅順虐殺は、国際的な非難、特に欧米の非難を受けたということで、本が書かれている。ところが、旅順の虐殺をはるかに上回り、はるかに長期に渡り、大軍勢を派遣した東学農民軍の大討伐戦については、本も出ていないし、知られてすらいない。それはなぜなのか」

    岩上「しかも、日本と清の死者はそれぞれ2万人くらいだったのに、朝鮮人の死者が3万から5万だった。だから、戦死者の数は、実は朝鮮人のほうが多い」

    ---------------------------------------------------
    (※46) 井上勝生『明治日本の植民地支配 北海道から朝鮮へ』岩波書店、2013年

    紹介文「著者が勤める北海道大学で「東学党首魁」と書かれた遺骨が見つかった.誰がなぜどのように運んだのだろうか? 遺骨の軌跡をたどって北海道,朝鮮半島,四国へと旅を重ね,日清戦争のもう一つの側面,ジェノサイドの真実が浮かび上がる.アイヌ,東学,植民学をめぐる近代日本の植民地支配の闇の奥が,いま明らかに」
    【URL】http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/4/0291110.html
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    ◆日本が行ったジェノサイドを欧米は黙認していた◆
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    井上「陸奥宗光が言っていることが非常に重要だと思うのですが、ロシアについては、東学農民軍が南のほうで蜂起してる分には関知しない。それから、イギリスについては、東学農民軍がソウルへ近づくと、それを恐れて軍を派遣するかもしれないと言っています。

     東学農民軍の運動というものは、対外的には農民蜂起です。インドでも大農民蜂起のセポイの乱がありました。東学農民軍は、日本軍に向かうだけではなく、『斥倭洋(せきわよう)』を唱えたのだから、ヨーロッパにも向かう民族運動ということになります。

     『斥倭洋』を旗印にして蜂起した農民を、日本軍が大討伐している。この日本討伐戦をヨーロッパがどういう目で見てたいか。当時の新聞には『東学党を皆殺し』『殴殺』という記事が出ているのです」

    岩上「あ、当時出ているのですか」

    井上「出ているのです」

    岩上「ということは、ジャーナリズムが気づかなかったというのでもなく、また、国際社会の目にまったく触れなかったのでもなかったのですね。つまりヨーロッパは気づいていた」

    井上「気づいています」

    岩上「第一報はあった。しかしそれを大きな政治的問題として取り上げなかった、ということですね。

     東学農民が掲げた『斥倭洋』の『倭』は日本ですけど、『洋』は西洋。西洋をも退けるということですね」

    井上「だから、ヨーロッパは十分知っていました。ヨーロッパは今までアジアで痛い経験をしています。東学という運動が『斥倭洋』の運動で、地元に基盤を作って、農村に根を張って起こしているということ、これが本質的な民族運動だとヨーロッパは知っている。

     東学農民は、ソウルの教会に張り紙を出したりして、ヨーロッパの侵略を許さないという掲示をしています。だから、ヨーロッパは知っていたと思います。ヨーロッパの外務省が知らないはずがありません。

     その状況のなかで、日本が、そういう強力な民族運動を叩き潰している。それはやはり、旅順の虐殺とは、 運動の質が違います」

    岩上「それは民族運動であり、下からのナショナリズムだった」

    井上「はい、下からのナショナリズムですよね」

    岩上「今日ナショナリズムと言えば右翼的ですが、この民族運動は左翼的な意味もあります。そういう両方の性質を持っていたということですよね」

    井上「しかも平等主義の思想ですから。それは、下からの民主化を求める、非常に根強い運動でした」

    岩上「いずれにしても、帝国の支配には屈しないという抵抗の運動ですよね」

    井上「だから、外国にとっては討伐しなければならない運動だったのです」

    岩上「これについて、例えばインドのセポイの乱というお話がありましたが、この民族運動が国境を越えていき、中国やインドやインドシナに拡がっていったら、それは列強にとっては大変な事態です。このような下からの抵抗の運動に対して、日本が・・・」

    井上「ええ、日本がやったのです」

    岩上「そのままにしておくと大変だということで、血みどろにして殺した」

    井上「そう。それは間違いないと思います。当時の新聞を見ると、大本営は掲示を出しています。大本営掲示に、例えばチャフンの一番最後の大戦争で、死屍、山をなした、という見出しになっています。大活字で書いています。だから、むしろ日本は帝国主義勢力の代理になったわけです」

    岩上「帝国主義勢力の代理・・・」

    井上「旅順の虐殺は取り上げられるけれども、東学農民の殲滅戦については欧米が何も言ってないから、その運動があったこと自体が怪しいのではないかという態度を取る研究者がいます。そして、研究の比重をあまり置かない。

    やはり、そこは非常に深く考えるべきところで、研究者の良識として、アジアの立場に立つのか、欧米の立場に立つのか、ということもかかわってきます。だから今これはもうぜひ申し上げなければいけない」

    岩上「つまり、こういうことですね。東学農民の殲滅戦が隠されてきた理由は、日本が行ったジェノサイドが欧米の帝国主義の代理的な性格を帯びていたからだ、と」

    井上「そうです」

    岩上「日本はもちろん国益を追求したけれども、日本がやったことを見た欧米は、自分たちの利益のためにも、あまり言挙げしないことにしようとした」

    井上「だから、陸奥が言っている通りですね(※47)。ロシアは、東学農民軍は南のほうで蜂起して日本が討伐している以上は何も言わない。イギリスもソウルへ運動が拡がることを恐れるというスタンスを取っているわけです。やはりそこは、東学農民蜂起という運動を、アジアの下からの運動としてどういうふうに評価するかという、根っこに関わる問題です。

     だから、今の研究者たちは、旅順の虐殺や日清戦争についての論文を上梓するけれども、東学農民の蜂起については、それがどういう討伐であったかに一切触れていない。そういうふうに済ましているのは、朝鮮のその運動をやはり日本の軍部が隠していたからです。

     私はやはり、朝鮮が、いざそういう目に遭ったときに(侵略を受けた時に)、どれほど強力な抵抗をするかが問題になるのだと思います。だから、秀吉の時も実際に、敗戦したわけですよね。そのことはちゃんと歴史に書かれていません」

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    (※47)「陸奥宗光外務大臣は、東学農民軍の蜂起と討伐が朝鮮の南部で起きている限りロシアが干渉する恐れはないと確信していました」(『東学農民戦争と日本』p.108)
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    ◆民衆の運動とその弾圧の歴史◆
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    井上「今でもそういう朝鮮民族の運動が強力に起こるだろうし、将来も、これは絶対に強力に起こりますよ」

    岩上「強力に起こるというのは」

    井上「もしもどこかの国に侵略されたりすれば、民族運動は強力に起こります。だから、当時の民族運動も最初の日清戦争の時から、全土を挙げて起こった。それで、結局日本の・・・」

    岩上「ずっと、そういう抵抗や反乱が起き続けていて、それほど円満に併合したわけでもなかった」

    井上「はい、そういう事実があります」

    岩上「力ずくで、殺して殺して殺して、弾圧して弾圧して弾圧してきた。そのあげくの併合なので、日本の敗戦を機にあっさりひっくり返されたのも当たり前のことだということですね」

    井上「そうですね」

    岩上「今、先生が秀吉とおっしゃったので気づいたのですが、一揆との共通点と違いがありますね。

     日本の百姓一揆、あるいは一向一揆があります。信長・秀吉の戦国大名の合戦と天下統一の過程については、ものすごく華々しく書かれるんですけど、その間、一向一揆をやった農民たちは、日本国内でジェノサイドされまくっていましたよね。

     『なで斬り』と言っていますよね。一揆は、ものすごく苛烈な弾圧を受けました。この日本国内で血を流したやり方を、秀吉はそのまま今度朝鮮で行いますよね。朝鮮でもやはりジェノサイドをやりましたでしょ。

     今回はその再来みたいなところがあり、朝鮮の農民はかわいそうです。

     武家の権力が一揆を弾圧して、なで斬りにして、秀吉時代には朝鮮にも出兵して、殺しに殺して、耳を斬り、鼻を斬りということをやり、そして、その武家政権が、江戸時代静かにしていたけれども、またひっくり返されて、もう一度朝鮮に行ったときには、また同じように農民の一揆をなで斬りで潰す。

     そのスタート点は、日本国内における農民やその宗教に対する弾圧だったように思います。東学が宗教的な要素を帯びていたとしたら、一向宗、浄土真宗などの一向一揆も、同じ要素があったと思うのです。

     そうしたものへの無慈悲な弾圧がある。これについて、どちらかというと一向宗側に同情的な書き方よりは、信長・秀吉、天下統一の英雄たちを持ち上げるような歴史の書き方のほうが圧倒的に多いと思うんですけれども。そこから考え直さなければならないという話になるんですね」

    井上「ええ、そうですね」

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    ◆加害者であり犠牲者 なぜ二人の兵士は自殺したのか◆
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    岩上「日本人について考え直さなければならない」

    井上「考え直さなければいけないですね。特に東学農民討伐の時は、派遣された日本軍は後備兵で、みんな奥さんや子供がいました。彼らが本当に真剣に苦しんでいるという記事がいっぱい出てきました。日本の農民も犠牲者ですよね。

     鉄砲を担いでいって、スナイドル銃で殺しまくったかもしれないけども、やはり徴兵制ですから。軍人たちはいいですよ、はじめて海外へ出たんだし、農民軍が到底かなわないライフル銃を持っているわけですね。植民地支配と同じで、非常に安全に地位と名誉を得るチャンスを得た。そして徴兵制で集めた兵士たちを思うように動かせる力を得た。

     そのことが非常に高揚感を持つのは、よくわかりますよね。しかし、そのもとで思うように使われた兵士たちは、犠牲者でもあると思います。もちろん、殲滅戦をやった加害者なわけですけども、そこら辺は、よく考えなければならない。

     今でも私が地元へ行っていろいろ調査をすると、地元の方が結構協力してくれるのです。韓国の研究者と一緒に行っても、おばさんなんかが、真夏だと清涼飲料水を持ってきて、これ飲みなさいと話しかけてこられます。決して嫌な顔されない。やはりそういう思いが地元にはあると思いますよ。もう二度と鉄砲を担がないとおっしゃった方もいらっしゃいます。二度と担ぎたくないと」

    岩上「四国では、混成旅団を作るために徴兵され、職業軍人でも何でもない一般の国民、つまりこれまで農民だったり町民だったりした人たちが、嫌だと思っても、駆り出されていった。鉄砲を撃って人を殺していたけれど、やはり辛い思いをしながらやっていたのですね」

    井上「辛い。それで、自殺した指揮官がいますからね。これについては、『東学農民戦争と日本』でも書きましたし、岩波で出した『明治日本の植民地支配』でも書きました(※48)」

    岩上「2人自殺していますね」

    井上「はい。その2人の将校については、韓国の研究者はみんな知っています。福富さんは、チョリョン(鳥嶺)の峠を越えた討伐の第一線にいた人です。彼は偵察も全部指揮しますから、討伐も最後まで長期間にわたって行っています。その人が、帰国する直前に自殺されました。愛媛の方は、スンチョン(順天)という南部のほうの討伐を行いました。この方は、小さいお子さんが2人あったことがわかっています」

    岩上「お子さんがいたにもかかわらず自殺されたということは、耐えられなかったのでしょうね」

    井上「自殺されたのは帰国目前です。しかも、部隊の中で大尉に昇任したばかりでした。やはり悲劇ですよね。少佐なんかも現場指揮官ですからね、本当に恨みを買う殲滅の指揮をしたわけです。私は複雑な思いですね」

    ----------------------------------------------------------------------
    (※48)この話に該当する箇所を『東学農民戦争と日本』から引用する。

     「殲滅作戦終了後、一八九五年四月に事件が起きました。四月二八日の夕刻、軍刀で頸動脈を切って『自害』しているのが発見され、治療を受けましたが、死亡しました。高知市出身の大尉でした。

     もう一人の遠田大尉は、帰国目前の一〇月二日、乗馬で出かけて行方不明になり、四日後、街道上の三呂村で「自害」しているのが発見されました。

     帰国目前の遠田大尉は、松山市出身で、妻と二人の幼児がありました。東学農民軍包囲殲滅戦争の大虐殺は、将校たちの精神に深い傷跡を残したのだと思います」(『東学農民戦争と日本』p.106)
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    ◆日本の近代化とアイヌ人たち◆
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    岩上「井上先生の『開国と幕末変革』(※49)という本を読みかけているのですけれど、これが非常に面白い。北海道に来る時には、もってこいの一冊です。この本の出だしにある話は、日本は突然近代化とともに生産量が上がり、近代国家になっていったわけではなく、やはり生産力が上がってないと近代化はできなかったという話です。

     お金がないと国力もなく人口も増えない。でも、それは近世のうちに準備されていた。人口も増えていて、何よりも食料が豊富になっていた。生産力が上がり、コメの取れ高が上がっていた。それはどうしてか。その理由がニシンだというのは意外でした。

     オホーツク海で獲れたニシンを肥料にしていた。それを、当時日本の中心でもある関西方面に持って行き、堆肥にすると、作物が取れた。なぜ関東ではなく、関西、瀬戸内のほうに行ったのでしょう」

    井上「関西のほうで、綿(わた)とか藍(あい)といった商品作物を作っていました。こういう作物には肥料が大量に必要なんですね。藍生産も肥料が非常に大事です」

    岩上「藍?」

    井上氏「藍染(あいぞめ)の藍。綿もですね」

    岩上「コメだけじゃなくて、そういう商品作物もあったのですね」

    井上「そうですね。日本は高い生産力で綿や藍を作るんです」

    岩上「なるほど。そういう商品作物があったからこそ、貿易をはじめる。開国して、貿易をはじめるときに、輸出する商品が一応あったということですよね。そういう準備が整えられていた。なかでも北海道の産物が非常に大きかった。

     北海道というのは、当時、蝦夷地(えぞち)だった。日本固有の領土というけれど、どこからどこまでが固有の領土かよくわからなかった時代ですよね。明治になって国境が確定してゆくのでしょうけれども。

     江戸時代には先住民のアイヌに対して松前藩の支配が行われていたとはいうけれども、ここの土地の何から何まで倭人のものだったのかというと、それは非常に曖昧です。

     私が北海道の地で北海道のことを日本の辺境というと北海道の人に失礼になってしまうかもしれませんが、歴史的な観点から見ると、日本の中心は西日本だったのではないでしょうか。

     その国境がだんだん押し上げられていって、東北が征服されていくわけですよね。そして最後まで残った北海道が、明治の時に呑み込まれていくのだろうと思います。ひとつの視点からは、『開拓の歴史』という華やかな表現になるのですけど、別の視点からは、併呑(へいどん)されたということになります」

    井上「ええ、併合ですね」

    岩上「胸の痛むような歴史でもあるわけです。蝦夷地を呑み込んでゆくような、日本の強引な近代化の延長に、今の朝鮮の話があるのだと思うのですが、先生はどうお考えでしょうか」

    井上「それについては、遠山茂樹(※50)さんという研究者の方がおっしゃったことが非常に当たっていると思うんですけども、日本の近代化というのは、人力車に乗って、馬に乗って、馬でつないで、鞭を当てて、無理やり突進したものだとおっしゃっています。突進、突進の連続でしたが、基盤が非常に弱い形でした。政府の力そのものは、脆弱なものだった。

     脆弱だったからこそ余計突進していき、近代化の道をひたすら行ったというものでした。その見方は非常に当たっていると思いますね。日本がちゃんと近代化していたというけれども、それはアジア全部がそうだと思うんですよ。私は、アジア全部がちゃんとアジアなりの近代化の道を歩いていたと思います」

    岩上「日本だけが近代化の道を歩んでいたというのは嘘で、アジア各国が、それぞれ、いろいろな形ではあるだろうけれども、近代化への道を進みつつあったということですね。朝鮮も」

    井上「そうです。それはさっき言いましたけれど、ナジュ(羅州)という大虐殺があったところとか、珍島です。珍島は日本の技師が見学に行くと、至るところ綿花栽培をしていました。ナジュは有名な綿花の生産地です」

    岩上「なるほど。綿花といえば、今日で言えば、アイフォーンやパソコンを製造しいているのと同じようなもので、輸出品になり得るもので、外貨が稼げるわけですよね」

    井上「ええ、そうですね。ナジュ平野には綿花生産が広がっていて、ナジュの特産の木綿織物はソウルへ運ばれていたのですよね。そういうところで東学農民が自治組織を作っていたというのは、ちゃんと経済的な裏付けもあると思います。

     そこへ日本が入っていって、原料生産地にしようとする。そのときにやはり、地元の織機(おりき)が邪魔になるわけです。朝鮮農民は無理やり陸地棉を栽培させられるということを技師自身が書いていますけども、ひそかに自分のところで織り、布団綿にしたのです。

     それから、畑では豆や麦を間作する。土地が広くて沼とかいろんな肥料供給地がたくさんあるから、朝鮮農業は金肥なんか使わないんです。混作、間作をする農業なのです」

    岩上「金肥って何ですか」

    井上「干鰯(ほしか)とかのことです。だから、安い農業なのです。それが生き残る秘密なんですよ。

     インドの農業もアメリカの農業も、そんな金肥みたいな高価な肥料は使いません。そのため、日本は高度に発展するのだけども、国際競争力が弱かったのです」

    岩上「日本は金肥というものは用いるけれども、耕作面積は朝鮮よりも狭いのですね。だから単位あたりを上げなければいけなかった。でもそれはコストのかかる生産方法だった。

     朝鮮のほうが広くて、もっと粗放(そほう)でコストの低いやり方でしたが、それでも、栽培ができたということですか」

    井上「わりと気候条件もいいですね。黄土ですしね。そういう違いはあると思いますね(※51)。それと、日本の農業は地租改正(※52)をしますから、入会地(いりあいち)(※53)はますます無くなります。ますます化学肥料に依存する農業の道をひたすら走りますよね。そのようなところを考えると、朝鮮は朝鮮なりの近代化をしていた」

    岩上「そうした基盤があったんですね」

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    (※49) 井上勝生『開国と幕末変革 日本の歴史18』講談社学術文庫、2009年
    紹介文「世界史的視野と新史料で描く維新前夜開国と攘夷の激しい角逐 幕府はどのようにして倒壊への道をたどったか。19世紀は一揆、打ちこわしが多発した。その中、雄藩は独自の改革を進め、自立をめざした。一方、ペリーの来航、開国を迫る列強の圧力に幕府は根底から揺さぶられる。「開国」「尊皇」「攘夷」「討幕」が入り乱れ、時代は大きく動き、幕府は倒壊への道をたどる。本書は、特に沸騰する民衆運動に着目し、世界史的視野と新史料で「維新前夜」を的確に描く」(【URL】http://bit.ly/KdmKt4

    (※50)遠山茂樹 (1914-2011) 日本史学者。歴史学研究会に参加し、唯物史観の立場から維新史を研究した。横浜市立大教授、のち、専修大教授となった。55年にの今井清一、藤原彰との共著で『昭和史』を出版し(現在も岩波新書で発行されている)、第二次世界大戦後の歴史認識をめぐる論争(昭和史論争)を引き起こした。著作に『明治維新』『自由民権と現代』など。(デジタル版日本人名大辞典+Plusより【URL】http://bit.ly/1hNvzoL

    (※51)「日本の綿花は、繊維が太くて短く、普段着の厚手木綿の原料に適していた。日本綿花と同じく繊維が太くて短い品質の中国綿花が、日本綿花より安価であったので、明治期に一時、日本市場を席巻した。日本綿花は、干鰯や鰊粕など高価な金肥を用い、また除草、間引、摘心など、精農農法で生産されるために、国際的に見て生産原価が高く、中国綿花との競争では劣勢だった。日本の綿花生産は衰退し、一九〇〇年代に入るころには壊滅した」(井上勝生著『明治日本の植民地支配』p.46)

    (※52)地租改正とは、明治政府による土地・租税制度の改革である。地価を課税基準とし、土地の所有者に対して課税した。税率を地価の3パーセントとし、金銭で納めるものとした。税の軽減を要求する農民一揆が各地で起こった。(百科事典マイペディア、デジタル大辞泉、大辞林第三版より【URL】http://kotobank.jp/word/地租改正

    (※53)入会権が設定されている山林原野や漁場のことである。入会権とは、特定地域に住んでいる住民が平等に利用・収益することのできる慣習上の権利。(デジタル大辞泉より【URL】http://kotobank.jp/word/入会地
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    ◆近代化は過大評価され、アイヌの抵抗は過小評価される◆
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    井上「キム・デジュン(金大中)が、『東学とはアジアなりの近代化だ』と言っています。近代化が早いか遅いかだけなんだと、はっきり言いました。私は、そういう歴史論は、やはり単なる政治的な経験では言えないと思います。なかなか、ああいう演説はできないと思いますね」

    岩上「本当に地元の自制的な土着の思想なんだと思います。でも、この平等思想や、 あるいは下からの運動が響き合っていけば・・・」

    井上「アジアなりの近代化」

    岩上「ですね。下から、自分たちが主権者だというような声をもう少し洗練させてまとめてあげていったら、立憲主義みたいなことになりますよね」

    井上「アジアなりの良さのでる民主主義ができますね。私、この『幕末・維新』(※54)では、はじめに、マンデラの話からはじめたんですよ。ペリーがマンデラと会いますからね」

    岩上「そうなんですか」

    井上「いや、あのマンデラではなく、マンデラの先祖です。カフィール族です」

    岩上「ネルソン・マンデラの先祖と、あのペリーが・・・」

    井上「ちょうど、イギリスがカフィール族を征服したとき囚われた首長(酋長)がいて、その奥さんなんですよ。マンデラたちの部族は背が高くて、非常に立派な見栄えです。

     カフィール族というのは、本当は蔑称です。本当は正式な名称があります。マンデラは、自分の出発点は、その部族の戦ったいろんな首長たちの逸話を聞いて育ったところにあると書いています。その首長たちは、ちゃんといろんな制度を持っていて、評議会の制度がちゃんとあったそうです。

     南アフリカは結構進んでいますからね。そしてその首長たちの政治のやり方を見て、マンデラは成長したと言っています。その首長たちのやり方を、マンデラが自伝の『自由への道』(※55)で書いています」

    井上「私がこういう本の書評をしたとき、私を批判する人がいて、『近代化しなきゃ、笑って殺された先住民族はいっぱいいる。それを無視している』という言い方をしたのです。だけど、私は、それは絶対間違っていると思う。

     アジアの民族であれ、アフリカの民族であれ、どんな先住民族であっても、力の限り抵抗しなかった先住民族はいませんよ。アイヌ民族もそうですよ。これも、すごく過小評価されています」

    岩上「抵抗について過小評価されている」

    井上「はい、抵抗について、それと悲惨な運命について。アイヌの人たちに聴き取りをしても、気持ちを汲み取ってもらえないところでは、みんなに言いません。よく研究者がアイヌの人にじかに話を聴いたって言いますけども、そのアイヌのエカシ(長老)は、こっちの人(和人)には本当のことは言わないのです。汲み取ってくれないところではね。

     アイヌの場合は、自分たちの文化の基盤自体がなくなってしまいました。その怒りのすさまじさが蓄積しています。それについては、例えば、貝澤正さんが書いた『アイヌ わが人生』(※56)という自伝がありますけど、それを読むと分かります」

    井上「『アイヌ わが人生』の中で、どのぐらい彼らは倭人を噴激しているかを書いています。心底噴激している。多少大げさに言っているぐらいにみんな受け取っているけども、あれは本当にそう思っているんですよ。私は、本当に彼らの気持ちをわかっている者ではないですけども、しばらく裁判を支援していました。

     その中で、よくわかりました。『近代化しなきゃ、笑って殺された先住民族はいっぱいいる。それを無視している』という考えは、近代化を過大評価しすぎです。あらゆる民族は、絶対に力の限りに抵抗します。十勝アイヌも日清戦争の頃に自治運動を起こしているんです。そのことを『明治日本の植民地支配』に書きました(※57)」

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    (※54)井上勝生『幕末・維新』岩波新書、2006年【URL】http://bit.ly/1eNqdvL
    紹介文「黒船来航から、明治維新へ─激しく揺れ動いた幕末・維新とはどういう時代だったのか。東アジア世界に視点をすえ、開国から西南戦争までを最新の研究成果をとりいれて描く新しい通史。従来から「屈服」したと言われてきた幕末の外交を再評価し、それが成熟した伝統社会に基づくものであることを明らかにする。維新史を書き直す意欲作」

    (※55)ネルソン・マンデラ『自由への長い道ーネルソン・マンデラ自伝』東江一紀訳、NHK出版 紹介文「アパルトヘイトという巨大な敵を前に、27年もの間獄中で自由を!と叫び続け、ついに勝ち取った男の生きざま。素朴で実直な語り口が、読み手の心を静かに揺さぶる、感動巨編」【URL】http://bit.ly/18RxiZA

    (※56)貝澤正『アイヌ わが人生』岩波書店、1993年
    紹介文「先住民復権の潮流とは裏腹に,アイヌの聖地はダムに埋められようとし,北海道アイヌ・貝澤正は湖底の人柱となる決意を胸に逝った.アイヌ新法の制定,自然林の保護,生活の自立,アイヌの復権を求めて綴った生活と闘いの記録」【URL】http://bit.ly/1bvFHgi

    (※57)「1892年、十勝アイヌ全戸が『旧土人総会』に集まり、大津町の和人大津蔵之介を代理人に選んで、釧路郡長に悪弊を訴える請願書を出した」。「アイヌの民族運動は、ねばり強くつづき、翌一八九三年、十勝外四郡の『古民財産管理法』に結実した。共有財産の郡長管理という基本には変化がなかったが、帳簿規則の制定、アイヌ民族への報告義務化など、改善された官の管理法ができた。画期的なのは、翌一八九四年、十勝アイヌ民族のうち、中川郡のアイヌ民族一三五戸が、官から共有財産を取り戻して、次のように『財産保管組合』をつくったことである。これこそが、アイヌ民族自身による自治自営の組合であった」。「『財産保管組合』は、アイヌ民族が官の『束縛』から離れ、自治と相互扶助の活動をするアイヌ民族組合の性格をもっていた」。(井上勝生著『明治日本の植民地支配』pp.172-173)
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    ◆アイヌの自治運動 隠されたアイヌ人たちの動き◆
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    岩上「アジアのどこの民族であれ、近代化して自立する可能性があったはずだと井上先生はお考えですね。そういう可能性は朝鮮にも十二分にあった。沖縄にもあったかもしれないですね」

    井上「そうですね」

    岩上「ではアイヌについてはどうでしょうか」

    井上「アイヌは農業もやっていますし、組織も作ります。ただ、今までのアイヌ研究者は、今いったような話にかなり似ていることをやります。有名な研究者でアイヌの権威と言われている、高倉新一郎(※58)さんという方がいます。彼が一定の理解を示したことは間違いないです。しかし、肝心のアイヌの自治運動の史料を一切使いませんでした。その史料は、高倉新一郎さん自身が北大に入れたのですが。そういう資料を使わなかったのです」

    岩上「その高倉さんという方は、第一人者の専門家の方なんですか」

    井上「高倉新一郎さんの本は、誰でも読みますよ」

    岩上「その史料を高倉新一郎さんが北大に入れたということは、その先生が収集したものだったのですよね。それなのに、それを使わなかった」

    井上「使いませんでした。当時は、北海道の戦前からの殖民学の研究者でした。帝国大学時代です。帝国大学時代に、確かにファシズム下で、いろんなアイヌの運命を書かれました。そのことは認めますけど、肝心なところは・・・」

    岩上「アイヌが民族として十二分に独立する可能性があるということには触れなかったのですね」

    井上「はい、触れませんでした」

    岩上「やはり近代国民国家の主権というようなことになったら、独立した政府を持ち得るか、国土を持ち得るかということになっていきますよね。そうすると蝦夷(えぞ)、つまり北海道は、アイヌのものだということになりますね」

    井上「そうです。もともとアイヌのものです」

    岩上「それからサハリンとか」

    井上「サハリンもそうですし、千島列島もそうですね」

    岩上「北方領土は、日本か、ロシアか、どちらの領土かという話になっているけれども、本来はアイヌの固有の領土だということですね。もしかしたら、ニブフとかイルクーツクとか、オホーツクの他の民族からクレームが出るかもしれませんが、しかし大多数がアイヌが占めていただろうという話ですよね」

    井上「そうですね」

    岩上「僕は、ソ連が崩壊する直前、ペレストロイカの時代にソ連に取材に行ってたんです。6年ぐらい行ったり来たりしました。その時に改革派知識人で非常に有名なユーリ・アファナーシェフ(※59)という歴史家と話をしました。

     そのとき、北方領土の話もしました。当時のソ連の軛(くびき)から各民族が自立したいと思っていた時代でしたから。その時に、ユーリ・アファナーシェフが『北方領土は、スターリンが強引に盗っていったんだ。それはスターリンの過ちだが、しかし、そこは日本人の領土でもない、ロシア人の領土でもない、アイヌの領土だ』と言っていたのがすごく印象に残ってます」

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    (※58)高倉新一郎(1902-1990)農業経済学者。北海道帝大の教授、のち北海学園大学長、北海道開拓記念館長などに就任した。北海道開拓史やアイヌの研究で知られる。「新北海道史」を編集。著作に「アイヌ政策史」「北海道拓殖史」などがある。(デジタル版日本人名大辞典+Plusより【URL】http://bit.ly/1fScoZF

    (※59) ユーリ・アファナーシェフ(1984~)ロシアの政治家、歴史学者。(【URL】http://bit.ly/1cz480U
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    ◆ニブフ族の民族運動◆
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    井上「サハリンはニブフ(※60)とウィルタですよね。サハリン南部のほうは、サハリンアイヌ(※61)とニブフ。ニブフは今はアイヌよりも数が多いぐらいですね。強力な民族運動を展開しています』

    岩上「ニブフの人は北海道にもいらっしゃいますか」

    井上「ニブフは北海道にいらっしゃらないです。ウィルタの方は北海道にいます。彼らは本当に戦争の中で被害を受けました」

    岩上「なるほど。ニブフはサハリンにいる」

    井上「ええ。ロシアのもとでのニブフの運動はアイヌ民族の運動よりも、もっと強力です」

    岩上「自治権を求めているのですか」

    井上「ええ。明治の頃のアイヌの自治運動の一番最初の頃、倭人と一緒に共同漁業をやりました。だから、そこにはいろいろな可能性があったのだと思いますけどね。倭人との共同漁業をアイヌ人に認めるべきだという意見書を出したのは、内村鑑三(※62)ですよ。

     内村鑑三は、最初は水産局の役人でした。途中で辞めてしまいますけども。そのときに、内村鑑三が出した意見書を使って最近論文を書いたのが山田伸一さんという開拓記念館の方です。この論文は北海道大学図書刊行会が出しています(※63)。倭人とのアイヌの共同漁業を認めるべきだという内村鑑三の意見書がちゃんと本に発表されているのです」

    岩上「しかし、今ようやく先住民族の権利を国際社会に認めるべきではないかという運動が世界中で起こっているのに、日本は遅れに遅れています。日本には先住民族なんていない、単一民族国家なのだというプロパガンダが本当に浸透している中で、ようやく先住民族の権利が認められはじめたところではないかと思います」

    井上「しかし、アイヌの場合は本当に踏みにじられていますからね。本当に皆さん難しい立場にいます」

    岩上「それは今後どのようになるのでしょうか。例えば、奪われた土地や漁業権等の権利を補償してくれという金銭闘争をするのか、それとも、自治を求めるような運動になって行き得るのか。いかがでしょうか」

    井上「今、政府は、アイヌ文化振興と言って、そのために建物を造ったりしていますけどね。みんなそこに参加せざるを得ないから参加していきます。根本的な問題は、それが全部上からのバラマキだということです。

     バラマキでついていく運動というのは、どうしても重大な欠陥を持ちます。だから、ハンディがあります。本州でもバラマキをすると、どうしたって、厚い薄いが出てきて、中にはとんでもないことも起きます」

    岩上「もっと金をくれという話でしかなくなっていく」

    井上「そういう話になってしまいかねない。しかし、本来は、それをちゃんとアイヌの多くの人のための運動にしなければならないのです。アイヌは本当に経済的な打撃を受けています。それもあまり認識されていません。実際の歴史が今は隠されていますよ。

     北海道のアイヌ政策に関与した有識者会議などで一貫してリードされてきた方が、アイヌの運動に関する史料を見ていながら、それを一切、本には書かなかった。それから、アイヌがちゃんと組合を作っているのに、その組合の名前だけ出して、その運動がどんな運動だったかということを一切書かなかった。

     そういう研究者の姿勢は、ものすごく問題をはらんでいると思います。そのことは今度出す本で書きました。それは、本当に、肝心なところを抑え込んでしまったのですよ。戦争中はファシズムの時代だから止むを得なかったということがあるのでしょうけれども、戦後はそんなことは言えませんし、実際問題として、そういう研究者の方は、アイヌ肖像権裁判(※64)の中で・・・」

    岩上「肖像権裁判とは、どういう裁判なんですか」

    井上「勝手に本に肖像を使ったので、裁判になりました。アイヌの人たちは、俺たちを代弁してくれてないんだと本当に言います。そういう政策がある以上は、なかなか言いにくいことです。けれども、それは、ぜひ、根本から考え直さないと」

    岩上「根本から考え直していくときに、文化だけで済む話ではなくなってくるのですね。何よりも、ここに住んで生きたということですから。

     例えば、アメリカだと、インディアンという言葉はあまりよくないからといってネイティブという言葉を使いますけれども、ネイティブという言葉も英語ですし。とにかくアメリカには先住民が住んでいた。イギリス人をはじめ、ヨーロッパからの入植者たちが、その先住民たちを追い散らしながら、時に戦い、時に土地を安く買い取り、広大な土地を手に入れてしまう。オーストラリアにもアボリジニがいます。先住民はあっちこっちにいるわけです。

     先住者に対して、土地を与えて自治を認めるのでない限り、本当の意味で先住民の権利を回復したとは言えないのではないかと思います。先生はどうお考えですか」

    井上「アイヌの人たちがいろんなことをおっしゃってます。やはり、私はそういうことを言う立場にはありませんし、それほど詳しくないですから、考えを言うのは差し控えたいと思いますけども」

    岩上「それはそれで、また、お話を聞いていかないといけないですね」

    井上「そうですね。しっかりそれは順序立てて、ちゃんとしっかり聞いていただければと思います」

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    (※60)ニブフ族(ニブヒ族)とは、ロシア連邦の極東地方、アムール川の下流域とサハリンに居住する原住民のことである。人口4600余(1989)。単数形でニブフという。ニブヒは自称で「人間」という意味。かつてはギリヤークGilyakiと呼ばれた。歴史的にはアイヌや、隣接するツングース・満州語系の諸族と密接な関係にあり、文化的にも著しい共通性をもっている。(世界大百科事典より【URL】http://bit.ly/1bvG7TT

    (※61)サハリンアイヌ 10世紀の頃、宗谷海峡を渡り、サハリンへ進出していったアイヌ。【URL】http://bit.ly/1bvGeyD

    (※62)内村鑑三は、アイヌ民族を視察し、「千歳川鮭魚産卵地及石狩川鮭漁の景況実地 視察復命書」を書いた。「和人は、千歳村からさらに他へ移住して方向を転す?ることか?て?きるか?、千歳アイヌは、そういうことはて?きないと、内村は記します。昔からのアイヌ民族の伝統的なテシ網漁は、鮭の資源を根絶させないような配慮をした漁法た?と。アイヌのサケ漁は、禁す?る必要はないのた?と述へ?る」。「河川のサケ漁か?アイヌ民族にとっては生活の糧の中心て?したから、餓死に瀕する」。だから、「アイヌ民族に漁を許すということを上申」したのである。(井上勝生の論文「札幌農学校植民学と有島武郎『星座』と千歳川アイヌのコスモス』より【URL】http://bit.ly/1kSnbXp

    (※63)山田伸一『近代北海道とアイヌ民族 ─ 狩猟規制と土地問題』北海道大学出版会、2011年。
    紹介文「開拓使以降1930年代に至る諸政策におけるアイヌ民族の位置づけとアイヌ民族への影響・彼らによる対応を,膨大な既存史料の徹底した読み込みに基づき,狩猟・漁業規制と土地下付を中心に精緻に分析。個別的な課題を設定し,基礎的事実の確定に力を注ぐことにより,従来のアイヌ史研究の見直しを目指す」(【URL】http://bit.ly/19TTrFtより)

    (※64) アイヌ肖像権裁判とは、アイヌ民族が死滅したことを宣告する書物に自分の写真が無断で掲載されていることを知ったひとりのアイヌ女性が提訴した1985年の裁判。【URL】http://bit.ly/KdmE4M『アイヌ肖像権裁判・全記録』が出版されている(現代企画室編集部編、現代企画室、1988年)。
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    ◆民族観はひとりひとり違う◆
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    岩上「先生は近代史のご専門でいらっしゃいます。近代現代史というのを研究すると、ちょっと前の出来事が関係しているということに突き当たりますでしょう。例えば、朝鮮のことを調べて、ジェノサイドの話になれば、それが必ず豊臣秀吉のときの話につながってくるじゃないですか。

     さらに中世の話を調べてみると、秀吉軍が自分たちの行為を正当化するために持ち出してきたものは、記紀(きき)の話でした。『神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓征伐』という神話を持ち出してきて(※65)、朝鮮南部にはもともと倭国の植民地があり、任那(みまな)(※66)がおかれていたのだからと、侵略をあたかも『失地回復(レコンキスタ)』であるかのように、自分たちの行為を正当化します。

     近代においても、その秀吉の時代の逸話や『三韓征伐』という神話を持ち出して、ジェノサイドを正当化します。生意気な韓国を征伐するのだというのです。

     そのようにさかのぼっていくと、歴史はかなり古いところまで行きますよね。明治維新によって、近代化をするというときに、近代化とは言いながら同時に復古主義です。そのときに、朝鮮半島に対する意識はどういうものだったのか。あるいは、アイヌに対する意識はどういうものだったのか。

     アイヌの話にはストレートには接続しないのかもしれませんけど、蝦夷(えみし)が東北日本から蝦夷(えぞ)にかけて存在していました。そして蝦夷(えみし)が『化外の民(けがいのたみ)』であるから、侵略してもいいのだとして、侵略を肯定してきた歴史がありますよね。

     近代史だけの話ではなく、その根っこには古いときからの差別意識があり、自分たちを正当化する意識があるように思います。そうしたことについては、先生はどのようにお考えになりますか」

    井上「それこそ、これから考えなければいけないことです」

    岩上「テーマが大きすぎますか」

    井上「江戸時代でも、民族観は、個人によってもずいぶん違いますよ。 ある集団の中でも、個人によって違います」

    岩上「江戸時代の中でも調べていくと違うのですね」

    井上「違うでしょう。今でもものすごく違いますよね。ひとつの集団がどういう民族観を持っているかということは、簡単に言えないことでしょう。朝鮮に対する感覚でも、意外に保守派の人でもしっかりとした意見を持っている人はいます。そこは難しいところですよね。例えば『夜と霧』(※67)で書いていますけど、看守の中にも、よくわかってるのがいたという話ですし」

    岩上「ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』ですか」

    井上「囚われている人の中にも、一番ひどく弾圧するのがいたというようなことを言いますよね。でも、私は逆に、看守の中にでも理解者はいたというのは本当だと思いますよ。

     それは必ずそうでしょう。私がこういう微妙な問題で調査へ行っている時も、必ず理解してくれる人がいます。こんな問題でも必ず理解してくれる人がいるのです。だから、簡単に言えないものだなと思いますよね。そういう問題もありますよね」

    岩上「複雑に入り組んだ話ですよね」

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    (※65)記紀とは、日本の神話や古代の歴史を伝える『古事記』と『日本書紀』のことである。『日本書紀』に、三韓征伐(さんかんせいばつ)によって朝鮮が日本の属国となったと記されている。神功皇后が新羅に出兵したとされている。
    (【URL】http://bit.ly/1eNwrM8

    (※66)古代に朝鮮南部にあった加羅諸国の地域。四世紀後半から倭の勢力が及んだ。六世紀中頃までに百済・新羅に併合された。任那と加耶諸国は倭の領域だとする説もある。(大辞林 第三版より【URL】http://bit.ly/1lqWgQ7

    (※67)ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』霜山徳爾訳、みすず書房、1985年 (【URL】http://bit.ly/1ejmIZE)フランクルはオーストリアの心理学者であり、フロイトに師事した。1944年にナチスによってアウシュヴィッツ絶滅強制収容所に送られる。そこでフランクルは、強制収容所という過酷な状況であっても、人にはその受け止め方を自分で選択するという「自由」があるのだということに気づく。この強制収容所での体験を描いたのが『夜と霧』である。
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    ◆日本が戦争をしたら、いったい誰が味方をするのか?◆
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    岩上「『東学農民戦争と日本』はデリケートなところもありますが、ぜひ皆さんに読んで頂きたいと思います。それから、『開国と幕末変革』と『幕末・維新』が、先生の本来のご専門ですね」

    井上「『幕末・維新』は特にたくさんの方に読んで頂いて、今16刷りになっています。どこが支持されるのかなと思いますけどね」

    岩上「日本は非常にきな臭くなってきました。先生は過去の歴史の専門家ですから、今起きていることは専門外であるとおっしゃるかもしれませんが、今は、憲法改悪という問題があり、麻生さんの『ワイマールは安楽死した。あのナチの手口を真似たらどうか』という発言がありました(※68)。また、石破さんは北朝鮮のミサイルを念頭に『敵基地攻撃論を防衛大綱に入れる』と言っています(※69)。

     朝鮮半島に対して日本側から先制攻撃をかけてしまおうということも言いはじめているんです。すごいことになってきたと思うんですけど」

    井上「そういう時に、朝鮮の人たちがどれほど抵抗してきたかという過去の歴史を学んでほしいです。すさまじい抵抗が起きたということを、ちゃんと学んでほしいですよね」

    岩上「そうですね。日本が北朝鮮と戦争をはじめたら、韓国が日本に味方して一緒に北朝鮮と戦いに行くという考えは、ちょっと甘いと思います」

    井上「私もそう思います。それは実感ですね」

    岩上「もし日本の軍がもう一度朝鮮半島に踏み入るという日が来たら、それは、朝鮮の南北なく、日本に対して抵抗するのではないかと思います」

    井上「分断されていても、同胞という思いは強力ですよね」

    岩上「そうですね。それを背後から支えてきた中国や、今はアメリカも、日本に対して非常に厳しい。日本が歴史認識の修正をすることは認めないという強い態度をアメリカは見せています。このことは、本当に何度も何度もネットを通じて言っています。

     ネットの中には、ネトウヨさんという歴史を偏ったような形でしか見ていない人たち、勉強不足の人たちもいるので、現実を知っていてもらいたいと思います」

    井上「ええ、そうですね」

    岩上「靖国参拝して、そして1930年代の天皇制ファシズムの繰り返しをするということを、アメリカが認めるわけがないと知っておいていただきたいですよね。アメリカが認めず、そして、中、韓、露、北朝鮮を敵に回すということになると、ほぼ国際的孤立を意味します」

    井上「そうですね」

    岩上「先生、今日は本当にどうもありがとうございました。貴重な資料まで見せていただきまして、ありがとうございました」

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    (※68)麻生副総理は、2013年7月29日、「いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていったんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね」と発言した。(IWJ記事「『静かにやろうや』ナチスの手口から学ぼうとしたこと~『法の番人』内閣法制局長官の首すげ替えと裏口からの解釈改憲」参照【URL】http://iwj.co.jp/wj/open/archives/95686

    (※69)石破幹事長は、4月14日のフジテレビの番組内で「北朝鮮からミサイルを撃たれたて日本に落ちて、何万人と死んでから対応するのは遅すぎる」と、北朝鮮ミサイル基地への先制攻撃の必要性を語った。(IWJ記事「参院選の喧騒の裏で秘密裏に盛り込まれた『敵基地攻撃論』~参院選2013各争点の総括と今後の見通し」参照【URL】http://iwj.co.jp/wj/open/archives/94919
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    (了)

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