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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    東電福島原発事故の真実 放射能汚染の真実 食物汚染の真実 正しい情報を求めて

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    IWJ特報第123号「自衛隊が米軍の下請けになる日~山口大学副学長・纐纈厚氏インタビュー(その1)」 

    第123号
    ──────────────────────────────────
                岩上安身のIWJ特報!
             自衛隊が米軍の「下請け」になる日
        特定秘密保護法と集団的自衛権行使容認の先にあるものとは何か
            山口大学副学長・纐纈厚氏インタビュー(その1)
    ───────────────────────────────────
    (IWJより転載許可済み)

     1月24日に召集された通常国会の施政方針演説で、安倍総理は解釈改憲による集団的自衛権の行使容認に対し、改めて強い意欲を示した。

     「戦後六十八年間守り続けてきた我が国の平和国家としての歩みは、今後とも、変わることはありません。集団的自衛権や集団安全保障などについては、『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』の報告を踏まえ、対応を検討してまいります」

    ※第百八十六回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説(首相官邸ホームページ【URL】http://bit.ly/1ivBTV4

     安倍総理の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(通称・安保法制懇)は、第2次安倍政権発足から約2ヶ月後の2013年2月8日に召集され、以後、5回にわたり会合を開催。座長代理の北岡伸一・国際大学学長を中心に、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認に向けて議論を進めてきた。

    ※政策会議:安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(首相官邸ホームページ【URL】http://bit.ly/1bs1Uwt

     菅義偉官房長官は1月7日、BSフジの番組内で、集団的自衛権の行使容認を提言する「安保法制懇」の報告書が、4月にも政府に提出される見込みであることを明らかにした。与党の公明党は行使容認に慎重な姿勢を崩していないが、安倍総理は外交・安全保障政策で考えの近いみんなの党や日本維新の会と政策協議を行い、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認を目指す構えだ。

    ※菅長官、安保法制懇報告書は4月提出の見通し(産経新聞、1月7日【URL】http://on-msn.com/1hDJJIw

    ※首相、みんなと政策協議へ 集団的自衛権の解釈変更見据え(産経新聞、1月27日【URL】http://on-msn.com/1mNlV66

     いよいよ現実味を帯びてきた、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認。山口大学副学長で、日本の有事法制に詳しい纐纈(こうけつ)厚氏は、「集団的自衛権の行使容認により、自衛隊は米軍の”雇い兵”になる」と警鐘を鳴らす。特定秘密保護法の強行採決、日本版NSCの創設、防衛大綱の改正、そして集団的自衛権の行使容認により、日本の自衛隊は、日本国民のためではなく、ただ米軍のためだけに、戦争をすることができる部隊へと変貌するというのである。


     米国のために、軍事属国化につき進む安倍政権。その起源は、戦前・戦中に制定された軍機保護法や国防保安法といった秘密保全法制、そして戦後の「安保再定義」の中で押し進められた有事法制の整備にあると、纐纈氏は指摘する。

     外交・安全保障、そして軍事の問題について、歴史を紐解きつつ分かりやすく解説した、必読のインタビューである。

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    ◆インタビューのポイント◆

    1.「安保再定義」と有事法制

     1950年の警察予備隊の設置、1952年の保安隊への改編、そして1954年の自衛隊への改編と、日本の軍事力は、ソ連と中国という共産主義国家の脅威に対する「反共の防波堤」として、米国の意向を反映するかたちで整備された。

     しかし、ソ連の崩壊など東西冷戦構造の終焉に伴い、日米安全保障条約と自衛隊はその存在意義を問われることになった。「安保再定義」の必要に迫られた日米両政府は、1997年9月の日米ガイドライン(日米防衛協力)改訂、1999年5月の周辺事態法、そして2001年9月11日の同時多発テロ事件以降に制定された武力攻撃事態法などといった一連の有事法制を整備し、日米の軍事的一体化を押し進めた。

     安倍政権による特定秘密保護法の制定、日本版NSC(国家安全保障会議)の設置、集団的自衛権の行使容認、敵基地先制攻撃論は、こうした「安保再定義」以降に行われた有事法制の延長として理解することができる。

    2.米国の東アジア戦略の変化

     2013年10月3日、米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官が来日して日米安全保障会議(2プラス2)が行われ、日米両政府は2014年末までの日米ガイドライン再改定で合意した。

     既に発表された日米共同文書でもその一端をうかがうことができるが、現在、実務者レベルで協議が行われているガイドラインの再改定では、米国の「対中国海洋戦略」が明確に打ち出されるものと見られる。

     この、米国による「対中国海洋戦略」において最前線に投入されることになるのは、米軍ではなく日本の自衛隊である。米国は、経済的に交流が進んでいる中国との関係を考慮し、いざとなれば戦争の責任を日本側に押しつけようとしているのである。

    3.秘密保全法制と戦争

     戦前の秘密保全法制は、いずれも戦争の直前に制定されている。軍事上の秘密を保持する目的で軍機保護法が制定されたのは、1904年に日露戦争が始まる直前の1899年。この軍機保護法は、満州事変が始まる直前の1931年に改正され
    ている。さらに、政治上の機密事項の取り締まりを目的に、日米開戦の直前である1940年、国防保安法が制定されている。

     このように、日本における秘密保全法制はいずれも、戦争が始まる直前に制定されていることが分かる。このことから、特定秘密保護法も、戦争に備えるための法律であると考えることができる。

    4.中国には戦争をする意図も能力もない

     現在の日中関係の「躓きの石」になっている尖閣諸島の領有権問題について、中国の人民や多くの知識人は、共同管理による非武装地帯化など、穏便な解決方法を望んでいる。また、現在の中国政府には、米国を敵にまわしてまで、尖閣問題をきっかけに日本と戦争をする意図も能力もない。

     軍事力を増強しているのは、中国人民解放軍ではなく、実は日本の自衛隊のほうである。自衛隊は「ひゅうが」や「いせ」、そして「いずも」といったヘリ護衛艦を保有しているが、これらの実態は、いずれも戦闘機の離着陸が可能な空母である。日本の海上自衛隊は、既に専守防衛のための部隊ではなく、海外への進出が可能な「外征型」に変化している。

    ===================================
    ◆特定秘密保護法の可決が危惧される日に◆
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    岩上安身「みなさんこんにちは。ジャーナリストの岩上安身です。本日は、山口大学副学長の纐纈厚(こうけつ あつし)先生にお話をうかがいます。纐纈先生、はじめまして。よろしくお願いいたします」

    纐纈厚氏(以下、敬称略)「よろしくお願いします」

    岩上「本日(2013年12月5日)、参議院の国家安全保障特別委員会で集中審議が行われていまして、16時頃に自民党が質問をすることになっています。その質問の直後に強行採決が行われ、特定秘密保護法が委員会で可決してしまうのではないか、と言われています。

     そんな日に、有事法制、あるいは軍事史の専門家である纐纈先生にお話をうかがえるのというのは、本当に。これはいいタイミングと言って喜べることでもないんですけれども」

    纐纈「ええ、喜ばしいことではありませんね」

    岩上「でも、先生にお話をうかがえるのはたいへん貴重な機会と思っておりますので、よろしくお願いいたします」

    纐纈「こちらこそ、よろしくお願いします」

    岩上「まず、先生のご著書を紹介させてください。まず、『侵略戦争と総力戦』(※1)。こちらは社会評論社というところから出ているたいへん分厚い本です。

     それから『侵略戦争』(※2)という、ちくま新書から出ているコンパクトな本があります。『有事法制とはなにか~その史的検証と現段階』(※3)という、インパクト出版会から出されているご著書もありますね。

     このように、戦前戦中の大日本帝国時代の歴史を総括するお仕事、それから、つい最近の有事法制のあり方を研究されていらっしゃる訳ですね。

     さらに、『監視社会の未来』(※4)というご著書もあります。ご専門にされている戦時体制と、国民を監視するような監視国家化というのは表裏一体な関係ということですね。それと、『防諜政策と民衆』(※5)というご著書。これは秘密保護法に非常に深く関わるお仕事ではないかなと思います。

     それから、こちらが12月8日に発売される『日本降伏~迷走する戦争指導の果てに』(※6)。先生、たいへんな多作でいらっしゃいますね」

    纐纈「にほん(日本)降伏です」

    岩上「にっぽん(日本)ではない?」

    纐纈「破裂音ではありません」

    岩上「にほん(日本)降伏。それはなにかこだわりがあるんですか?」

    纐纈「もちろんあります」

    岩上「では、そのことも含めて後ほどうかがわせてください。さらに、『日本はなぜ戦争をやめられなかったのか』(※7)というご著書も同じ12月8日に出ます。こうしたご著書に沿ったお話もうかがおうと思います。

    ですが、なんといっても今日は特定秘密保護法、それからこれに関連する日本版NSC設置法や集団的自衛権の行使容認など、現在の話を中心にお話をお聞きしたいと思います。これらは突然降ってわいたものではなく、十数年間にかけて用意されていった一連の法整備の果てにあるものなのではないでしょうか。さらには、これら現代の有事法制が、戦前戦中の法制度と比較して、何が重なりあい、何が違うのか。このあたりのお話をうかがっていきたいと思います。

     まず、『にっぽん(日本)』ではなく『にほん(日本)』だと。これはなぜなんですか?」

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    (※1)纐纈厚『侵略戦争と日本』(社会評論社、2011.07) 出版社紹介文「われわれは、侵略戦争を強行してきた戦前社会と同質の社会を生きているのではないか。連続のキーワードとしての「総力戦体制」の形成と挫折、その現代的復活を通史として明らかにする」(【URL】http://amzn.to/1l6s9jn)

    (※2)纐纈厚『侵略戦争~歴史事実と歴史認識』(ちくま新書、1999.07) 出版社紹介文「日清戦争から十五年戦争にいたるまで、日本を貫いてきた侵略思想とは何だったのか。明治期、西欧に対抗するべく強大国家=覇権国家を建設する過程で形成された帝国主義は、なぜ南京大虐殺や慰安所設置に代表される暴虐を生み出したのか。歴史事実の実証を通じて、自己本位の侵略思想が再生産される構造と体質を明らかにするとともに、歴史認識の共有による”平和的共存関係”への道を探る」(【URL】http://amzn.to/1dYUOS6)

    (※3)纐纈厚『有事法制とは何か~その史的検証と現段階』(インパクト出版会、2002.03) 出版社紹介文「戦前期から現在に続く有事法制の変遷を概観し、その歴史的かつ政治的な位置確認を行うことでその危険性を指摘し、露骨な軍事主義に貫かれた今日までの有事法制に対して反論の機会を創り出す」(【URL】http://amzn.to/1cMMpmP)

    (※4)纐纈厚『監視社会の未来~共謀罪・国民保護法と戦時動員体制』(小学館、2007.09) 出版社紹介文「国の安全と引きかえに何が失われるのか?戦前・戦中の治安立法の制定過程から有事法制・共謀罪の危険を読み解く」
    (【URL】http://amzn.to/KnUgwl)

    (※5)纐纈厚『防諜政策と日本~国家秘密法制史の検証』(昭和出版、1991.01) 出版社紹介文「防諜(スパイ防止)政策は戦前期日本の民衆動員と統制を目的として強行された。それは民衆の監視態勢を用意し、最終的に民衆の弾圧・排除へと突き進んだ。いま、民衆支配の実態の一端を告発する」(【URL】http://amzn.to/1g5cHAc)

    (※6)纐纈厚『日本降伏~迷走する戦争指導の果てに』(日本評論社、2013.12.08) 出版社紹介文「本書は、1945年、ポツダム宣言という形で「降伏勧告」を受けながら、結局ソ連参戦、原爆投下という外圧によってしか『終戦決定』=『天皇の聖断』に漕ぎ着けることができなかった日本の政治・政治指導の実態を木戸幸一、高木惣吉、近衛文麿の日記などの史料を丁寧に読み込ながら明らかにする。『終戦決定』は国民無視の『国体の護持』のみに奔走した結果、たどり着いた政治指導者の無責任な結論だった。本書が明らかにするその実態は現在の日本の政治指導に通底するものであり、本書は『終戦決定』に至る過程の深層だけでなく、現在の政治・政治指導の根源をも解き明かしている」(【URL】http://amzn.to/1bDl2qH)

    (※7)纐纈厚『日本はなぜ戦争をやめられなかったのか~中心軸なき国家の矛盾』(社会評論社、2013.12.08) 出版社紹介文「なぜ、近代国家成立以後の日本は、一貫して中心軸なき国家となってしまったのか。なぜ、自立と主体性とか、独立国家として不可欠な要件を満たしてこなかったのか。その理由はどこにあるのか」(【URL】http://amzn.to/JNt9dm)

    ===================================
    ◆「にっぽん」という発音が意味するもの◆
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    纐纈「大日本帝国憲法ができたのが1889(明治22)年2月11日です。その時、『大にっぽん(日本)帝国憲法』と破裂音で言いました。戦前の人たちは『晴れ』の気持ちで、すごい国だ、立派な国だ、という思いを込めて、破裂音で言うのが常識化していました。

     今でも、スポーツの分野では、『がんばれ、にっぽん』であって『がんばれ、にほん』ではないですね。私は、帝国主義のイデオロギーと密接不可分に繋がった語感である『にっぽん』という言葉は使いたくないし、使うべきではないと考えています」

    岩上「そう言われるとそうですね」

    纐纈「そういう意味で、私は『にほん国憲法』というように、この『日本降伏』という名前を呼ぶときにも、必ず『にほん降伏』と読んでくださいと言っています」

    岩上「ああ、そうか。『にほん』と『にっぽん』。呼び方が二つあるなあと、漠然とは思っていたんですが、『にほん』と『にっぽん』には明確な使い分けがある、と。ちょっと認識していませんでしたね。これは、何か由来があるのでしょうか?」

    纐纈「『にっぽん』という戦前のイメージを払拭する意味で、戦後は多くの方々が『にほん』という言葉をあえて意識的に使うようになりました。そのことによって、『にっぽん帝国主義』あるいは『大にっぽん帝国主義』という言葉から、少し離れようとしていたと思います。

     その意味で、戦前の意識を大きく規制していく意味合いで、『にほん』という言葉を意識的に使うべきだと私は考えています」


    岩上「なるほど。呼称とか発音、それから言葉というものは無意識に人を動か す部分があるということですね」

    纐纈「はい。それから、1945年8月15日を『終戦記念日』と言いますね。これに私はまったく反対です。実はあれは『敗戦』であり、日本の国策が誤っていたんだということを意識する、そこからあるべき歴史認識が生まれてくるのではないでしょうか。

    ところが、終戦という価値中立的な言葉を使うことによって、歴史を総括してしまうと、あたかも自然現象のようになってしまいます」


    岩上「『夏が終わった』みたいな」

    纐纈「ええ、そうなんです。『敗戦』という言葉を、きちっと意識づけしなきゃいけない、ということですよね」

    岩上「この『敗戦』という言葉に、戦争に負けたということの悔しさと、それから戦争を起こしてしまった愚かさと、両方の意味が込められるという場合もあるのではないかと思います。しかし同時に、悔しさが強調されて、『もういっちょやってやろう』というふうに考える人も、なかにはいるのではないかと思います。

    そういう人を刺激しないために、あえて『終戦』と呼んでいるという側面もあるのかな、と思うんですが、その点はいかがですか?」

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    ◆戦争の正当化に抗う◆
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    纐纈「先の戦争は、やはり客観的に見て、あるいは資料的に見ても、侵略戦争であり、日本が加害者だったということは、否定しようがないと思うんですね。いや、そうじゃない。正義の戦争だった。あるいは、植民地解放戦争論であったと、現在でも繰り返し議論されています」

    岩上「白人の植民地になってしまっている、アジア・アフリカその他の国々を、日本が解放していくんだ、と。日本が有色人種の国で唯一近代化に成功し、その解放者の立場となって戦ったんだ、と。こういう正当化は、戦後直後にもされたと思います。戦争中にも、もちろんされていたんでしょう。

     世代が変わって、いまの若い人たちに大きな影響を与えている小林よしのり(※8)さんとか、そういう人たちの主張にも、こういう正戦論、あるいはアジア解放戦争という考え方が込められていますよね」

    纐纈「非常に強いですね。しかしながら、戦前の軍の指導者、政府の指導者、あるいは外交文書などを追っていきますと、西欧列強の植民地を日本が解放してあげるというようなことは、一つも出てこないんです。

     例えば、オランダ領インドネシアですと、石油やボーキサイト、彼らの当時の言葉で言えば、南洋資源の収奪ですよね。これが最大の目的であって、その目的を達成するための手段として、場合によっては自由を担保しますよという、バーター取引ですよね。

     主たる目的は南方の資源の獲得であった。これは明々白々と文書に残っています。そういうものをきちっと読み解いて理解をして、はじめて植民地支配責任というものが生まれてくるわけです。しかし残念ながら、歴史の研究、あるいは戦後の教育現場において、植民地の目的性が、まったく教えられてきませんでした。

     したがって、植民地責任ということがほとんど意識されずに、戦後世代はそのままになってきたというふうに思います」

    岩上「あとづけで作った自己正当化のためのストーリーですね。侵略国というよりは、解放のために立ち上がったヒーローというイメージの方が楽ですし、気持ちがいい。だから、そっち側に流されるということの繰り返しだったわけですね」

    纐纈「私の父は中国戦線に鉄道兵として出向いていました。たいへん苦労し、大きなけがを負って帰ってきました。父は、戦争を振り返るときに、『ひどい戦争だった』とか『侵略戦争だった』とは、精神的に言いたくなかった。拒否感情が先行するわけですね。

     でも、年をとってきたとき、私の父の兄3人の戦死について、『あれは、ひょっとすると犬死に、無駄死にではなかったのか』と、ポツッと言ったことがあるんですね。

     遺族の一人ですから、大変つらい言葉だったと思います。私は、美化することや死者に正戦論を語らせるということの方がよほど犯罪的だと思っていました。ですから、その父の言葉に、『そう総括しないと、戦争美化論や戦争正当論が覆い尽くしてしまったときに、戦争のむごたらしさや戦争の本質に対して向き合うというスタンスをみんな忘れてしまう。こちらのほうが怖いですよね』という話をしました」

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    (※8)小林よしのり:1953年8月31日生。漫画家。代表作に『東大一直線』『おぼっちゃまくん』『ゴーマニズム宣言』など。1998年7月に刊行された『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(幻冬舎)では、アジア・太平洋戦争は日本が欧米諸国からアジア諸国を「解放」するための戦争であるという、「大東亜戦争肯定論」を展開。小林氏は西尾幹二氏、藤岡信勝氏らとともに「新しい歴史教科書を作る会」の理事として、従来の歴史教科書は「自虐史観」だとする運動を行い、大きな話題を呼んだ。

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    ◆日本国憲法の形骸化◆
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    岩上「さて、今日の喫緊の課題である特定秘密保護法について、先生はずっと警鐘を鳴らしてきた知識人のお一人でした。これが戦前にあった秘密保護法制と重なりあうものであるという点と、それから戦前とはおおいに違う点をうかがいたいと思います。

     この法案の9条に、特定の外国には、国民に明かさない秘密を提供することができると書かれています(※9)。この特定の外国というのは米国のことです。これが堂々と書かれていることに私は仰天しました。ですが、『やっぱり』とも思いました。これがこの法の一番の肝ではないでしょうか。私は、『属国のファシズムのための法だ』としきりに言っていますが、それを主張する人はあまり数が多くないのが現状です。

     特定秘密保護法案が、戦前の秘密保護法制と似ていると多くの人が語っていますが、その点について詳しく話していただくと同時に、この法が、戦前のものとはどう違うのかということも解説願いたいと思います」


    纐纈「日本が1945年敗戦をして、47年に日本国憲法ができます。私は、日本国憲法が本来の役割を十全に果たしたのは、1947年から51年の日米安保締結までのたった4年しかなかったと思います。極論を言えば、51年以降は日本国憲法は事実上形骸化され、機能不全に陥っていたと思います。

     というのは、日本国憲法が第2章で戦争放棄を謳っているのに、警察予備隊の7万5千から始まって、保安隊をはさみ、1954年(昭和29年)に自衛隊が発足をしていきます(※10)。このプロセスのなかで、事実上の再軍備どころではない、現在では世界でも指折りの軍事大国日本になってしまった。持たない兵器は核兵器だけというような、たいへん大きな軍事大国です。

     日本国憲法が文面上はそれを規制しながら、実際には規制できなかった。その点をとっても、日本国憲法は51年以降、機能不全に陥った。言ってみれば、その役割をなくしてしまったと思います」

    岩上「GHQの政策には2方向ありました。一つは日本の民主化です。もう一つは、それとは逆のコースのものです。

    第二次大戦が終わって、すぐ冷戦が始まりました。その時、日本を『反共の砦』にしようということで、アメリカにとって都合のいい日本、つまり、軍事的に使える日本にしていくという動きが始まったのです。47年から51年までと51年以降、そこですっぱり方向性が分かれていますね」


    纐纈「それが実態に近いと思います。47年から51年は、GHQ連合国最高司令部の司令官ダグラス・マッカーサーによる対日政策は、中国やソ連などの連合諸国と一体にならなければ、なかなかうまくできなかった。けれども、51年にアメリカは、民主化コースから全く真逆のコース設定をしてしまったわけです。

     本来、アメリカ、中国、イギリス、ソ連は、日本を二度と連合国軍に立ち向かうことのできないような軽軍備、むしろ無軍備にしてしまおうと考えていました。場合によっては、国家の体裁すらなくしてしまえ、という過激な論もありました。

     しかし、アメリカとしては、最終的に、日本を『反共防波堤国家』にしていくという方向に舵を切りました。それに対して、イギリスもソ連も正面切って反対することはできずじまいでした。

     それによってアメリカは日米安保を締結し、再軍備を強要しました。

     ところで、戦前の帝国陸海軍も解体されたことになっていますけども、これはまったく違います。晩声社から出版された『切腹した参謀たちは生きている』(※11)という本があります。その内容を見て、私は驚きました。帝国陸海軍の主たる軍人は、確かに永久追放になった人もいるけれども、実はほとんどが生き残って、1951年、警察予備隊の幹部になっていきました。

     そして、吉田茂(※12)のもとで再軍備が始まり、彼のもとで、Y委員会(※13)というものが設置されました。

     そこで、中心軸になったのは、辰巳英五郎などの戦前の海軍の将軍です。そういう人が吉田茂の軍事ブレーンになって、そしてアメリカの意向を受ける形で再軍備をはじめていきました」

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    (※9)特定秘密保護法第9条の文面は次の通り:第九条 特定秘密を保有する行政機関の長は、その所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために必要があると認めたときは、外国(本邦の域外にある国又は地域をいう。以下同じ。)の政府又は国際機関であって、この法律の規定により行政機関が当該特定秘密を保護するために講ずることとされる措置に相当する措置を講じているものに当該特定秘密を提供することができる。ただし、当該特定秘密を保有する行政機関以外の行政機関の長が当該特定秘密について指定をしているとき(当該特定秘密が、第六条第一項の規定により当該保有する行政機関の長から提供されたものである場合を除く。)は、当該指定をしている行政機関の長の同意を得なければならない (【URL】http://bit.ly/1gGhE36)

    (※10)警察予備隊は、朝鮮戦争開始直後の1950年(昭和25年)に、日本の警察力の増強のために、ポツダム政令によって設置された。装備・訓練を米軍に依存しており、事実上は再軍備の第一歩となった。警察予備隊は1952年(昭和27年)に改編され、保安隊となった。保安庁に設けられた。さらに1954年(昭和29年)には国防を主務とし警察を副務とする自衛隊に改編された。(百科事典マイペディア、デジタル大辞泉より【URL】http://bit.ly/1buiWKm、http://bit.ly/1liY7vj)

    (※11)ロマン・キム著『切腹した参謀たちは生きている』(晩声社、1976.12)【URL】http://amzn.to/1hHOGQw

    (※12) 吉田茂(1878-1967)外務大臣などを歴任し、5次に渡って内閣総理大臣を務めた。戦後復興の指針として軽軍備・経済重視の「吉田ドクトリン」を掲げ、戦後日本復興の枠組みを作った。 日米安保条約を締結。(デジタル大辞泉より【URL】http://bit.ly/1glSiev)

    (※13)Y委員会とは、昭和26年に設置された、米海軍から貸与を受ける艦船、兵器、需品の受領、保管及びこれらを運用するための制度についての委員会。海上自衛隊の生みの親となった。(参照【URL】http://bit.ly/1iFHOHb)

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    ◆日米安保の遍歴◆
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    纐纈「60年にアメリカの要請によって、あの例の安保改定(※14)がなされました」

    岩上「岸内閣のときですね」

    纐纈「第二条は経済条項となっていて、それにのっとって確かに日本は高度経済成長をした。安保による経済繁栄、経済発展をしたのです。そういう意味で、安保繁栄論、安保効果論という言い方をされますね。日本の戦後の高度成長に、日米安保(軽武装、民需への特化)が大きな役割を果たしたということは、ある意味では否定はできません。

     1964(昭和39)年の東京オリンピックのときに、東海道新幹線建設に約3千500億円かかりました。そんなお金は日本にはありませんでした。アメリカの100%近い出資、アジア開発銀行、世界銀行の出資によってできたのです。その出資で、首都高速やオリンピック施設が作られました。

     そして、日本は、オリンピック景気でさらに高度経済成長の道に走っていきました。それは、アメリカが日本を押して、アメリカの、『反共防波堤国家』として位置づけたからですよね。そういう意味で、安保は『経済安保』という側面を持っていたのです」


    岩上「つまり、アメリカは冷戦時代に、日本を西側陣営に留めおくために繁栄させたということですね」

    纐纈「そういうことですね」

    岩上「繁栄させ、経済的に自立させることによって、『反共防波堤』という役割を果たさせた。西側陣営から離れていかないようにしていたというわけですね」

    纐纈「そういうことですね。ただ、東西冷戦構造が終わった時に、非常に大きな大転換を迎えます。

     日米安保がなぜ結ばれたか。ひとことで言えば、米ソ冷戦という世界的な背景があったからですね。

     自衛隊も、東西冷戦という構造の落とし子のようなものです。ところが、東西冷戦構造が、ベルリンの壁崩壊以降になくなってしまいました。そのあと、自衛隊の存在の理由や日米安保の存在の理由が非常に希薄化してしまいます。

     日米安保再定義、日米防衛協力の指針、ガイドラインの設定という形になっていきました。もともと日米安保が冷戦時の対ソ戦略の一環として位置づけられたものが、ソ連の崩壊後、どこに正当性を求めるのかが大きな問題になってきます」


    ----------------------------------------------------------------------
    (※14)1951年に日米間で締結された日米安全保障条約は、1960年に改定された。新たに加えられたのは、軍事行動に関する両国の事前協議、相互協力義務など。この改定に反対する運動、安保闘争が展開され、1960年に自民党が安保
    条約の強行採決を行ったときには全国的な運動に発展した。その後、岸内閣は混乱の責任を取り、総辞職に追い込まれた。
    (デジタル大辞泉より【URL】http://bit.ly/L5wIMI、http://bit.ly/1eunQIh)

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    ◆90年代の分岐点~細川・非自民政権誕生の歴史的意義とその挫折◆
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    岩上「ひとつの大きな曲がり角が90年代の初頭にあったと思います。まず、1993年に、非自民政権の細川政権が生まれました。そしてそのときに、日米関係を軍事的にも見直そうということで、樋口レポート(※15)がまとめられました。それは、外交安全保障上でアメリカに完全に依存している状態をやめて、多極的な外交をしていこうと目指すものでした。ところが、この計画は潰されたと言われています」

    纐纈「そのとおりです。1993年に、細川連立政権ができたこと、これが、多極的な外交という選択肢を日本が取れるかもしれないチャンスでした。

     けれども、同時期に、一方ではウシオ電機の牛尾治朗(※16)さんが言ったような、自衛隊活用論が出てきます。多極的な外交スタンスを持ちうることは、合理的な経済発展のためには大変よろしいという議論があります。

     一方で、牛尾治朗さんは、『自衛隊はこれだけ大きくなって、かなり投資をしている。しかし投資に見合う役割を果たしてないのではないか』と言いました。

     例えば、アメリカの軍事力について見てみると、インドネシアで政変が起き、スハルト退陣という大きな事件が起きたとき、アメリカ第七機動部隊はすぐ横須賀から出撃をして、反米政権ができることを抑止するために軍事プレゼンスを展開したのです。そういう恫喝をかけ、結局は、インドネシアも政変になると親米政権ができました。

     それと同じような役割を自衛隊の軍事力に期待するという声が、実は財界人の中にあります。だから財界人のなかにも、樋口レポートのような非常に合理的な判断をされる方もいれば、牛尾さんのような、どちらかと言えば自衛隊活
    用論的な形で、強面(こわもて)の国家を作ることによって、恫喝をかける力としての軍事力の活用という議論をされる方もいます。

     だから、財界も分かれていました。もちろん政界も分かれていました。政党も分かれていたと思います。ある意味で、分岐点です。その分岐点に対して、アメリカは非常に反発します。そして、1997年のガイドライン(※17)が出て
    きます」

    岩上「ここで大きな巻き返しがあったのですね。このことの意味が一般の人達に十分に伝わっていません。日本は少なくとも一度は、対米従属から離れようとしたのです。

     ところが、それに対する反発があった。そして、いつの間にかうやむやにされながら、細川政権が倒れ『小沢一郎の豪腕の度が過ぎた』などという形で総括されています」


    纐纈「非常に矮小化された総括だと思います」

    岩上「それ以後も、小沢一郎さんの政治力はまだ続いていましたが、ずっと叩かれ続けました。今日では、ほぼ冤罪のような嫌疑までかけられた挙げ句、政治力を奪われていった。あの頃から、ついこの間にまで至るストーリーは繋がっていますね」

    纐纈「もちろん、繋がっていますね。小沢一郎、それから鳩山由紀夫。いろんな評価があっていいと思います。しかし、ここで汲み取っておくべきは、小沢さんの有事駐留論、つまり限定駐留、これはある意味では、過剰な取り方かもしれませんけれども、対米自立論、あるいはアメリカ相対化論なのです。

     60年代以降、日本は、ジンベイザメのアメリカが行くところに、いつもくっついて歩くコバンザメのような存在でした。対米従属論というのがあるなかで、小沢さん、鳩山さんは、それを相対化したいと考えていました。しかし、それに対して、アメリカはものすごい勢いでバッシングを始めます。

     以後、日米ガイドラインがあり、それからそのガイドラインがさらに改定され、来年また改定されます。その勢いが止まった途端、アメリカはさらに締め付けをはじめていくわけです。

     その間に有事法制をがんがん作っていって、日本とアメリカの軍事共同体制の実質化が企画されます。実質化というのは、ただ絵に描いた餅ではなくて、実際、共同戦闘行為ができるように、ということです。その日米同盟の実質化のための法整備が、いわゆる有事法制(※18)、軍事法制なのです」


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    (※15)樋口レポート:細川政権下でアサヒビール会長の樋口廣太郎氏を座長とする防衛問題懇談会が作成した『日本の安全保障と防衛力のあり方─21世紀へ向けての展望』(通称:樋口レポート)。冷戦下の日米安保体制を見直し『多角的安全保障協力』の構築を提言した。(全文【URL】http://bit.ly/i3J6z8)

    (※16)牛尾治朗:ウシオ電機株式会社の創業者で、同社代表取締役会長済同友会特別顧問。1975年の東京都知事選では、立候補した石原慎太郎の参謀4人衆の一人(他は浅利慶太、塩路一郎、飯島清)として選挙運動を指揮した。娘の幸子氏は、安倍総理の兄で三菱パッケージング社長である安倍寛信氏の妻である。(Wikipedia【URL】http://bit.ly/1fsxgGe)

    (※17)1996年に、冷戦終結後の安全保障の変化に対応しようとする「日米安全保障条約共同宣言」が発表された。これを受けて、翌1997年に「新しい日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)が合意され、1999年には周辺事態法・改正自衛隊法・改正日米物品役務相互提供協定からなる新ガイドライン関連法が成立した(知恵蔵2014より【URL】http://kotobank.jp/word/日米安保共同宣言)。

     ガイドラインの見直しについては、外務省のホームページに「平素からの及び緊急事態における日米両国の役割並びに協力及び調整の在り方について、一般的な大枠及び方向性を示すことを目的としたものである。見直しは、特定の地域における事態を議論して行ったものではない」と書かれている。
    (【URL】http://bit.ly/1lpeqH2)

    (※18)有事法制とは、有事(武力衝突や侵略を受けた場合など)の際に、自衛隊の行動に法的根拠を与え、国や地方公共団体や指定公共機関に必要な措置を講ずる責務を与え、国民に協力の努力を行うよう規定した法制(百科事典マイペディアより【URL】http://bit.ly/L5zhhQ)。有事法制関連法には、「武力攻撃事態対処法」「国民保護法」などがある(首相官邸ホームページに「有事法制関連法」一覧がある【URL】http://bit.ly/1aZTbou)。

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    ◆有事法制の成立◆
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    岩上「ガイドライン、周辺事態法、そして90年代から準備されてきた一連の有事法制。これについてご解説いただけますか」

    纐纈「1978年、栗栖弘臣さん(※19)という統幕議長(統合幕僚会議議長)が超法規的発言をされました。『今の自衛隊法、今の憲法があるかぎり、自衛隊がこれだけ大きくなっても動けない。張子の虎にすぎない。年間非常に多くの国民のお金を使いながら、張子の虎では申し訳ない。だから、もし有事になった場合には、自由に動ける、そういう権限を与えてほしい』という発言です。福田赳夫内閣は、栗栖さんを解任しました。

     しかし、福田さんは栗栖さんを解任する一方で、当時の三原朝雄防衛庁長官に、『水面下で有事法制研究をしなさい』と命じました。それは1978年のことです。以来、有事法制研究が水面下でさらに強力に進められて、その後、だんだん表面化していきます。

    それまで有事法制研究は、自衛隊ができたときから、自衛隊がやっていました。

     特に1963年(昭和38年)、有名な三矢事件(※20)というのがありました。
    あれも有事法制で、国家総動員法(※21)の焼き直しです。

     第二次朝鮮戦争が始まるという想定で、それに対応すべく、いわゆる国家総動員法、つまり戦後バージョンの国家総動員法を作ろうとしたのです。すべての資源を戦争に投入するための法です。

     1938年4月1日施行の国家総動員法の焼き直しをやろうとしていたんですね。それを佐藤内閣のときに暴露されました。 北海道選挙区の岡田春夫さんが国会で暴露して、大きな問題になったのです。『やっぱり自衛隊も有事法制、軍事法制をやっていたのか』ということで、大変衝撃を与えました。

    それで、しばらく鳴りを潜めるのです。ところが栗栖発言でまた大きな問題になりました。1978年のことですけれども、以降、80年代、90年代と着々と有事法制が進められて行ったのです。

     有事法制は、日本政府が自律的主体的にやったわけでは決してありません。アメリカの強い要請があったのです。

     アメリカとしては、日本国憲法は否定できない。しかし、有事法制をしっかり作ってもらって、いつでも日本の自衛隊がアメリカと共同して動けるような国内法整備をしてほしいという要請が、がんがんと来るんですね。それに応えるかたちでできたのが、一連の有事法制です。2000年の周辺事態法(※22)。これはすごい法律ですね


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    (※19)栗栖弘臣(1920-2004)自衛官、軍事評論家。陸上自衛隊の第十三師団長、陸上幕僚長を経て、統合幕僚会議議長となる。有事の際は自衛隊の独断で超法規的行動をとることができると発言した(デジタル版日本人名大辞典+Plusより【URL】http://bit.ly/M8BnOA)。著書『日本国防軍を創設せよ』には、自衛隊の「任務」とは、国民を守ることではなく「天皇制を中心とする一

    体感を亨有する民族、家族意識」を守ることであると記されている。つまり、国防軍が守るべき「国」とは、「国体」であって、「国民」は守らない、と堂々と宣言しているのである。

    <今でも自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解している人が多い。政治家やマスコミも往々この言葉を使う。しかし、国民の生命、身体、財産をるのは警察の使命(警察法)であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない。自衛隊は『の独立と平和を守る(自衛隊法)』のである。この場合『国』とは、わが国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国柄、天皇制を中心とする一体感を亨有する民族、家族意識である。決して国民を意味しない。もし個々の国民を指すとすると自衛官も守られるべき国民であるから、命を犠牲にすることは大きな矛盾である>(栗栖弘臣『日本国防軍を創設せよ』小学館文庫・2000年より引用)

    (※20)1963年に自衛隊統合幕僚会議が、「三矢研究」という、紛争発生を想定した机上作戦演習を行っていた。研究の概要は、まず朝鮮半島で武力紛争
    (第二次朝鮮戦争)が発生し、これが日本に波及する場合を想定し、これを例題として非常事態に対する日本防衛のための自衛隊の運用並びにこれに関連する諸般の措置及び手続きを統合の立場から研究することを目的とした。
    (Wikipediaより【URL】http://bit.ly/1eurMZC)

    (※21)国家総動員法は、日中戦争時の1938年に制定された戦時体制下の統制法。戦争の長期化に対応するために、人的・物的資源を統制・運用する権限が政府に与えられた。1946年に廃止。(大辞林第三版より【URL】http://bit.ly
    /1mR9XIP)

    (※22)周辺事態法は正式名称「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」。日本の平和と安全に重要な影響を与える武力紛争などの事態(周辺事態)に対して、自衛隊が実施できる活動内容を定めた法律。朝鮮半島有事などを想定して、1999年に制定された。周辺事態と認定されると、国会の承認を経て、自衛隊は武器や弾薬の輸送など米軍への後方地域支援が可能になる。( 2006/10/17 朝日新聞 朝刊 1社会 より
    【URL】http://bit.ly/1dKBzd9)

     本法律の目的は以下のように書かれている。「この法律は、そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態(以下「周辺事態」という)に対応して我が国が実施する措置、その実施の手続その他の必要な事項を定め、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(以下「日米安保条約」という)の効果的な運用に寄与し、我が国の平和及び安全の確保に資することを目的とする」(【URL】http://bit.ly/1k0xCXJ)

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    ◆周辺事態法はどういう法律か◆
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    岩上「周辺事態法のどういうところがすごいのでしょうか」

    纐纈「当時の首相だった小泉純一郎さんが国会の答弁で、『周辺というのはどこを指すんですか?』という問いに対し、『事態が起きた場所が周辺です』と答えました。『事態』というのは有事、戦争のことです。つまり、『戦争が起きたところを周辺』という言葉で包んだのです。そこに日本とアメリカが一緒に出かけて行くという話なのですね。それが2000年にできた周辺事態法です」

    岩上「そうすると、日米安保でもともと想定していた極東という範囲、つまり日本が戦争に巻き込まれたり侵略されたりする範囲というような話とは、ぜんぜん違うのですね」

    纐纈「従来の日米安保は極東条項、つまり、極東方面における有事にアメリカが日本と協力して対応するというものでした。それが日米安保の役割だったのです。ところが、ソ連崩壊後は、安保のアジア化、安保のグロバール化が起こります。90年代にそれがグーッと全面的に出てくるわけです。

     それに呼応するために周辺事態法が作られたのです。だから、周辺というのはひょっとしたら、地球の裏側になるかもしれません。オリンピックが開かれるブラジルあたりも、そこで事態が起きれば、周辺になってしまうということです」


    岩上「安倍内閣には、ブレーンとされる安保法制懇(※23)というものがあります。その安保法制懇の座長代理である北岡伸一(※24)さんは、地球の裏側どころか、宇宙までアメリカにくっついていくと言っています。こうした考えは、周辺事態法成立のときからスタートしているのですね」

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    (※23)安保法制懇:安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会:我が国を巡る安全保障環境が大きく変化する中、時代状況に適合した実効性のある安全保障の法的基盤を再構築する必要があるとの問題意識の下、個別具体的な類型に即し、集団的自衛権の問題を含めた、憲法との関係の整理につき研究を行うため、内閣総理大臣の下に開催するもの。(首相官邸 会議一覧より【URL】http://bit.ly/LjfMTu)

    (※24)北岡伸一:日本の政治学者・歴史学者。国際大学学長、政策研究大学院大学教授(東京大学博士)、東京大学名誉教授。2004年4月から2006年8月まで日本政府国連代表部次席大使を歴任。専門は、日本政治外交史。

     北岡氏は以下のように発言している。「第9条では、国際紛争を解決する手段として日本は武力を行使できないと規定しています。しかし、この条項をよく見てみると、国際紛争というのは、日本と他国の間の紛争を意味しているのです。日本が関与する紛争ということです。これが自然に拡張できる再解釈です。第9条で規定された国際紛争というのは、日本と他国の紛争と解釈されるべきなのです。よって、南スーダンの紛争に適用すべきではありません。これは日本と他国の紛争ではないからです。国連の枠組みの中で解決すべき紛争です。ですから、これに第9条第1項を適用して、その結果武力を使えないとする理由がないのです」

    「憲法第9条2項では、陸海空軍その他の戦力を持たないと規定しています。しかし、50年以上前に内閣法制局は解釈を変更して、日本は最低限の自衛権を持つことができるとしています。なぜなら、それはどの国にも与えられた自然の権利だからです」
    (「【IWJブログ】明らかとなった集団的自衛権行使容認論者の「腹の中」~安倍総理の最側近・北岡伸一氏の詭弁」参照
    【URL】http://iwj.co.jp/wj/open/archives/112364)

    (その2に続く)

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