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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    【日本が戦場になったその事実】沖縄戦を学ぶ12」失われた青春時代 16歳で野戦病院配属  手足切断恐ろしかった 中山きくさん(83)上 

    <未来に伝える沖縄戦>12
    中山きくさん(83)上
    失われた青春時代
    16歳で野戦病院配属 
    手足切断恐ろしかった
    2011.12.10 琉球新報


    那覇市に住む中山きくさん(83)は、県立第二高等女学校4年生(16歳)の時、日本軍の従軍補助看護婦として野戦病院に配属され、沖縄戦を体験しました。県立真和志高校(まわしこうこう)1年の金城麻子(きんじょうまこ)さん(16)、普久原絢香(ふくはらあやか)さん(15)が話を聞きました。

       ◇   ◇

     私たちの世代は子どものころから、お国のために命を懸けて尽くすという軍国主義教育を受けて育ちました。1935年に日中戦争が、41年には太平洋戦争が始まります。当時は「お国のために」「欲しがりません勝つまでは」というのが魔法の言葉でした。国は言論も、新聞も、出版も規制し、国民にいいことばかりを伝え、私たちは戦争のことを何も知らなかったのです。

     那覇市松山(まつやま)にあった県立第二高等女学校に41年に入学しました。3年生の時に全国学徒動員令が下され、4年生になると日本軍が続々と沖縄に入って来ました。私たちは陣地構築や壕掘(ごうほ)りなどに明け暮れました。

     そして44年10月10日、「10・10空襲」がありました。初めて私たちの上に爆弾が落ち、機銃の雨が降りました。その朝は砲台を造りに行く予定でしたが、いきなり大きな爆発音がしました。小禄飛行場(おろくひこうじょう)に爆弾が落ちた音でした。大音響と黒煙が上がりました。那覇は9割が焼け、県立二高女の校舎も下宿も全部焼けてしまいました。

     《45年2月初め、学校から連絡が入り、県立第二高女同期生の56人が日本軍の看護教育隊に入ることになりました。3月6日、当時の軽便鉄道(けいびんてつどう)国場駅(こくばえき)に集まり、東風平(こちんだ)国民学校に向かいます。内務班というところに編制されました》

     そのころは沖縄本島に敵の軍艦が押し寄せており、3月23日から艦砲射撃が始まっていました。でも、私たちは分かりませんでした。24日に八重瀬岳(やえせだけ)の山第一(やまだいいち)野戦病院(人工(じんこう)壕)に行かされました。壕の中は赤痢やチフス、結核などの伝染病がまん延していました。

     まずやったのは、けがをした兵隊にご飯を食べさせる、おしっこや便(べん)を取ることでした。まさかそんなことをするとは思わなかった。食糧も少なかったです。1週間ぐらいすると、重傷の人が入ってきた。けがをして何日も倒れている間に雨などに打たれ傷が化膿し、生きながらうじにむしばまれていく。包帯もガーゼも次第になくなりました。

     野戦病院にいた同窓生は46人。そのうち私も含めた5人が手術場勤務(しゅじゅつばきんむ)になりました。足を切ったり、手を切ったり、恐ろしさにしょっちゅう泣いていました。ガマの入り口のブリキ缶に切った手や足を入れ、夜になると捨てに行くのです。

     6月4日、本部の壕に集まれという指令がありました。病院が機能を果たさなくなったので閉めるというのです。日本の救援が来ると信じていたのに、本島に上陸した米軍があと2~3日で病院の近くまで来るという。空も海も陸も敵だらけの中に出て行けというのか、とびっくりしました。

    動画

    <メモ>白梅学徒隊

     那覇市松山にあった県立第二高等女学校4年生56人は、1945年3月6日から日本軍第24師団衛生看護隊で従軍補助看護婦としての集中教育を受けました。同24日から東風平村富盛(こちんだそんともり)の八重瀬岳(やえせだけ)にあった山第一野戦病院(やまだいいちやせんびょういん)や同病院東風平分院(ぶんいん)、具志頭村(ぐしちゃんそん)の新城分院(あらぐすくぶんいん)(ヌヌマチガマ)に46人が配属され、傷病兵の看護(食事の世話、排せつ物の処理、包帯交換)や手術補助(ロウソク持ち、切断した手足の処理)などに当たりました。戦況悪化で6月4日に解散命令が出ますが、その前夜、新城分院では500人とも言われる重症の兵隊らが青酸カリなどで自決。病院解散後、学徒ら22人は戦場で命を落としました。

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