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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    東電福島原発事故の真実 放射能汚染の真実 食物汚染の真実 正しい情報を求めて

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    IWJ特報 第142号「歴史修正主義者の詭弁を徹底論破!能川元一氏インタビュー 第1部~南京大虐殺編(後編) 

    第142号
    ----------------------------------------------------------------------
    岩上安身のIWJ特報
    歴史修正主義者の詭弁を徹底論破!
    能川元一氏インタビュー 第1部~南京大虐殺編(後編)
    ----------------------------------------------------------------------
    (IWJより転載許可済み)

    (中編より)


    ===================================
    ◆捕虜虐殺の実態を示す兵隊日記の数々◆
    ===================================

    能川「これは今度、別の部隊ですね。これは、先ほどの鈴木明氏の『南京大虐
    殺のまぼろし』のなかでも扱われている出来事の一つです。

     『◇十二月十四日 晴
      他師団に砲台をとらるるを恐れ午前四時半出発、幕府山砲台に向う、明け
    て砲台の附近に到れば投降兵莫大にして仕末に困る
                (中略)
      捕虜の仕末に困り、恰も発見せし上元門外の学校に収容せし所、一四、七
    七七名を得たり、斯く多くては殺すも生かすも困ったものなり、上元門外の三
    軒家に泊す
     ◇十二月十五日 晴
     捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す
     皆殺せとのことなり
     各隊食料なく困却す』

     これは、歩兵第103旅団長の山田栴二少将という人の日記です。彼が率いる
    部隊は、この12月14日、約1万5千人の捕虜を捕まえていました。

     これは当時、新聞報道もされたので非常に有名な話です。問題は、その約1
    万5千名の捕虜がいったいどこに消えたのかということです。それが鈴木明氏
    の本のひとつの題材にもなっています。日記にも約『一四、七七七名を得たり
    』とあり、捕虜を取ったということがしっかりと書かれています。

     問題は、その下です。翌日の南京市街のほうに本間騎兵少尉というのを派遣
    して、要するに捕虜をどうしようかと連絡に行ったのですね。そうすると、『
    皆殺せとのことなり』と、こういう返事をもらったんですね」

    岩上「なるほど。『捕虜の始末に困り』とありますね。始末に困ると言ったっ
    て、捕虜は、本当はちゃんと扱わなきゃいけないはずです。

     『恰も発見せし上元門外の学校に収容せし所』とありますね。収容してから
    、数を数えたんでしょう。そうしたら、『一四、七七七名』、つまり1万5千名
    近くいたと。そこで、『多くては殺すも生かすも困ったものなり』となるわけ
    ですね。

     どう扱ってやろうかといって、じゃあどうしますかとなったとき、『始末』
    と言っていること自体がクレイジーです。そこで、連絡をしたと。この本間騎
    兵少尉というのが連絡役になったんですね」

    能川「この場所が南京市の郊外の幕府山というところなんです。だから、その
    上級司令部が南京にあるということです」

    岩上「この『南京に』というのは、もうすでに、南京攻略が終わって、という
    ことですか?」

    能川「この『南京に』というのが誰を指しているのかということについては、
    多少議論はあるのですが。ただ、山田栴二少将の名誉のために言っておけば、
    問合わせたということは、自分では殺すという決断はしなかったということで
    す」

    岩上「そうですね。だから、さきほどいくつかの事例にあった、殺すのが当た
    り前なり、というような発想ではなかったと」

    能川「では、翌日の日記を見てみましょう。

     『◇十二月十六日 晴
     相田中佐を軍に派遣し、捕虜の仕末其他にて打合せをなさしむ、捕虜の監視
    、誠に田山大隊大役なり、砲台の兵器は別として小銃五千重機軽機其他多数を
    得たり
                (中略)
     ◇十二月十八日 晴
     捕虜の仕末にて隊は精一杯なり、江岸に之を視察す
     ◇十二月十九日 晴
     捕虜仕末の為出発延期、午前総出にて努力せしむ』

     今度は相田中佐という人を派遣して、打ち合わせをしたということが書いて
    あります。18日の日記には、『捕虜の仕末にて隊は精一杯なり』『江岸に之を
    視察す』と。で、19日に『捕虜仕末の為出発延期』とあり、『午前総出にて努
    力せしむ』ということですね」

    岩上「16、18、19日と、ここで打ち合わせをしているわけですね。そして、『
    仕末にて隊は一杯なり』と。つまり、今やっている最中だと。そして、19日に
    『仕末の為出発延期』、つまり、仕末がすごくたいへんなんですよということ
    を言っているんですね」

    能川「ここで出発延期ということが書いてあるのは、実は山田旅団長は、本隊
    から離れて、自分だけ一時的に編成した部隊を率いて戦っていたんです。だか
    ら、本隊に合流しないといけない。その期日が迫っていたのだけれども、それ
    を延長せざるをえないくらいに時間がかかったということです。

     当初、ここでの殺人とはどれぐらいの数だったのかということについて、い
    ろいろと論争があったんですけども、この日記を見れば、歩兵一個連隊と、あ
    と山砲兵一個大隊の規模の部隊とで、2日かかったということになりますね。

     だとすれば、例えば数十人とか数百人とかであるはずがない。数千人なのか
    、それとも1万4千人すべてだったのかということになります。実は、その後、
    この部隊の将兵や下士官、下級将校たちの日記や証言が現れることになりまし
    た。その一つが、この『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(※25)という
    本に載っています。これは、福島県いわき市の小野賢二さんという方が、地元
    出身の元兵隊たちのところを訪ね歩いて、日記や証言を集めたものなんですね


     この本に収録されている日記をご紹介します。見てみると、ふたつほど明ら
    かになることがあります。

     『荒海上等兵日記 16日「二千五百名殺す」、17日「俺等は今日も捕虜の始
    末だ。一万五千名」
    伊藤上等兵日記 17日「その夜は敵のほりょ二万人ばかり揚子江にて銃殺した

    宮本少尉日記 16日「捕慮(虜)兵約三千を揚子江岸に引率し之を射殺す」、
    17日「夕方漸く帰り直ちに捕虜兵の処分に加はり出発す、二万以上の事」
    大寺上等兵日記 18日「昨夜までに殺した捕リョは約二万、揚子江岸に二ヶ所
    に山の様に重なって居るそうだ」
    遠藤少尉日記 16日「夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を江岸に引出しI
    〔第1大隊〕に於て射殺す」、17日「夜捕虜残余一万余処刑の為兵五名差出す

    本間二等兵日誌 16日「捕慮三大隊で三千名揚子江岸にて銃殺す」、17日「中
    隊の半数は入場式へ半分は銃殺に行く、今日一万五千名」
    高橋上等兵日記 18日「午後には連隊の捕虜二万五千近くの殺したものをかた
    づけた」
    目黒伍長日記 16日「午後四時山田部隊にて捕いたる敵兵約七千人を銃殺す」
    、17日「午後五時敵兵約一万三千名を銃殺の使役に行く、二日間にて山田部隊
    二万人近く銃殺す」』

     『栗原伍長スケッチ 17日「我部隊は13,500であった」』

     約1万5千人と言っていましたが、どうも増えたみたいだと。そして、殺した
    のも1回ではなくて、2回だったんじゃないかということなんですね。これは、
    下級の兵隊さんが忙しいなかで書いているものなので、全体像を知らなかった
    りとか、勘違いがあったりということも考えないといけないので、資料評価は
    難しいのですが。ただ、ここに2万という数字を挙げている人が2人いるわけで
    す。こういうものが、まだほかにもあるんですけども」

    岩上「ちょっと待ってください。今のところは非常に大事なところなので、も
    う一回丁寧に見ていきたいと思います。

     まず、荒海上等兵の16日の日記に、『二千五百名殺す』とあります。そして
    17日は、『俺等は今日も捕虜の始末だ。一万五千名』とあります。この記述を
    そのまま見ると、16日に2,500人を殺し、17日は1万5千人を殺している。『俺
    らは』って言っていますから、自分ひとりじゃないんでしょうね。そして、『
    今日も』と言っていますから、やはり連日という意味でしょうね。2,500と1万
    5千を足して、1万7千5百人ということになります。

     さらに、17日の伊藤上等兵の日記には、『その夜は敵の捕虜二万人ばかり揚
    子江にて銃殺した』とあります。16日の宮本少尉の日記には、『捕虜兵約三千
    を揚子江岸に引率し之を射殺す』とありますから、3千人」

    能川「これは一番上の2500とかなり符合するわけですよね」

    岩上「そうですね。16日ということを考えると、だいたい同じような数になっ
    ています。17日に『夕方漸く帰り直ちに捕虜兵の処分に加わり出発す』とあり
    ます。『夕方漸く帰り』ということは、昼間は別の作戦に従事するなどして、
    帰ってきて残業として、捕虜の処分というか、虐殺をやったと。17日『二万以
    上の事』というのは、自分で全体像がわからないから、周りに聞いたら2万人
    らしいよ、ということでしょうね」

    能川「こういう兵隊さんとか下士官とか、下級将校の日記を読むとき、ちょっ
    と注意しなければならないのは、彼らは必ずしも全体像を知らないので、伝聞
    だったり、自分の目分量だったりすることもあって、この数字の評価というの
    は、慎重にはしないといけないということがあります」

    岩上「次に、17日の栗原伍長のスケッチというのがありますね。17日『我部隊
    は13,500であった』。これは、我が部隊の兵士の数ではなく、我が部隊が殺し
    た数が13,500であったと答えている。それが17日。ここに重なっていますから
    、2万人じゃないのか、と言っているのと、15,000と、それよりもすこし少な
    い数であったりもするわけですね」

    能川「栗原さんは、自分はきっちり数えたというふうにおっしゃっていたんで
    すよね。ただ、目分量でもう少し違う数字を言っている人がいるという可能性
    もあります」

    岩上「『大寺上等兵日記 18日「昨夜までに殺した捕虜は約二万、揚子江岸に
    二ヶ所に山のように重なって居るそうだ』とあります」

    能川「これも『昨夜までに』、ですから、一回じゃなかった可能性を示唆して
    います。しかも、二ヶ所に山になっているというわけですから。別々のところ
    の可能性があるというわけですね」

    岩上「『遠藤少尉日記 16日「夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を江岸に
    引出し1(第一大隊)に於いて射殺す」、17日「夜捕虜残余一万余処刑の為兵
    五名差出す」』。17日という日付は、さきほど繰り返し出てきました。1万を
    超えますよということですね。少なくて1万3500人、多くて2万ぐらいと言うこ
    とでしたので、だから1万数千名というところで、だいたい重なりあっている
    、ということですよね」

    能川「数としては、それほど大きな食い違いはないわけですね」

    岩上「みんな昼は従軍し、そして夜、残業のようにやらされていると」

    能川「部隊総出で、2日がかりでやっているわけですね。しかもこの後、死体
    の処理があるんですね。死体をぜんぶ揚子江に流すというのですが、その処理
    に時間がかかっているということなんですね」

    岩上「南京といっても、これは市街地でではなくて、郊外の一部隊の動きとし
    て、きりもなくこんなことをやっているということですね」

    能川「鈴木明氏などは、実はそんなにたくさんは殺されてないんだと主張して
    いるわけですが、その後に明らかになったこうした資料に照らせば、ひょっと
    したら2万ぐらいの規模で捕虜が殺されているというふうに考えるのが、蓋然
    的だろうということになってくるわけです」

    岩上「これは何度も言いますけども、戦闘によって相手を殺しているというこ
    とではないんですよね」

    能川「そうです。捕まえて、武装解除させて、収容して、そしてそれをまた引
    っ張り出して、殺しているというケースです」

    岩上「これは、虐殺以外のなにものでもない。1000、2000、あるいは1万とい
    う単位で、これだけ人を殺していたら、もう十二分に虐殺ですよ。松原仁さん
    はロットという言葉を使っていましたが、虐殺はあったと言わざるを得ないで
    すよね」

    能川「これはさきほどの続きですね」

    岩上「16日、これは『捕虜三大隊で三千名』。さっきは二千名ぐらい書いてあ
    りましたね。だから、ほぼ数は合っていると。そして、17日『中隊の半数は入
    場式へ半分は銃殺に行く』と。たいへんですね。『一万五千名』ですよ。

     これも17日、さきほどのものとだいたい数が合っていますよね。高橋上等兵
    の『午後には連隊の捕虜二万五千近くの殺したものをかたづけた』。かたづけ
    たということは、17日までの殺した捕虜の死体処理をしたとも読み取れますね


     『第19連隊第3大隊 目黒伍長日記』。16日に『午後4時山田部隊にて捕いた
    る敵兵約七千人を銃殺す』。そして17日に『午後五時敵兵約一万三千名を銃殺
    の使役に行く』と。なるほど、やっぱり戦闘ではないですからね。なんという
    か、労働でやらされているという表現ですよね」

    能川「結局、これについては公文書が残っていないんですね。実際には戦闘が
    終わったあとに戦闘詳報という報告書を書くのですが、それが残っていないの
    で、こうした兵隊さんたちの日記に照らし合わせれば、少なくともかなりくっ
    きりと浮き上がってくるのが、二回に渡って、合わせて2万に近い殺害が行わ
    れたのではないかという事ですね」

    ----------------------------------------------------------------------
    (※25)小野賢二・本多勝一・藤原彰編『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち
    ~第十三師団山田支隊兵士の陣中日記』(大月書店、1996年)出版社による紹
    介文:南京で何があったのか。1万数千にのぼる捕虜の「処理」に直接かかわ
    った兵士たちが書きつづった日記には、どんな事実が記されていたか─1軒、
    また1軒と旧日本兵とその遺族を訪ね歩く粘り強い探索によって発掘された資
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    ===================================
    ◆陸軍大将や参謀も虐殺を認識していた◆
    ===================================

    能川「今度は、一番下にありますけども、岡村寧次という陸軍大将が残した記
    録です。彼は東條英機より一期士官学校で上の人で、三羽烏と言われたエリー
    ト軍人です。

     『上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀
    、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したとこ
    ろを総合すれば次のとおりであった。
     一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事
    実である。
     一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
     註 後には荷物運搬のため俘虜を同行せしめる弊も生じた』

     敗戦時には、中国大陸、満州を除く中国大陸全体の日本軍の総司令官だった
    人物ですが、これは、彼の部下だった人が、岡村大将が書いた回想記などをも
    とにして作った資料集です。岡村寧次は、この南京戦の終わった後、6月ぐら
    いに、第11軍の司令官になるんですね。中国大陸の第11軍の司令官になるんで
    すが、自分の配下に南京攻略戦に参加した第六師団などの部隊が入ることにな
    った、と記しています。

     実は国内にいるときから、悪い噂を彼は耳にしていたんですね。評判が伝わ
    っていたと。今後もそういうことがあっては困るので調べさせた、というんで
    す。

     まず上海に上陸して、1、2日の間に、このことに関して、先遣の宮崎周一参
    謀、中支派遣軍特務部長原田少将、杭州特務機関長荻原中佐のほうから聴取し
    たと。そうすると、一つには、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の
    大暴行があったことは事実である、ということだったのです。それから、第一
    線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊があったとしています。当
    時は『俘虜』と言っていますが、今でいう捕虜ですね。捕虜を殺してしまう癖
    があると」

    岩上「弊って言われてもね。つまりは癖ということじゃないですか」

    能川「一応、彼は問題だという認識はここではあったということですけど。要
    するに、これは、日本軍の軍人の目から見ても問題があったという事です。そ
    して、それを調べた結果、こういうことがあったらしいということを確認した
    という資料です」

    岩上「ふたつ、気になることがあります。まず、『南京攻略時、数万、掠奪強
    姦等の大暴行があった』と言う点ですが、ここには殺人とは書かれていないで
    すけど、おそらくこれには、殺人も含まれていますよね」

    能川「まあ、これはそもそも、どういう調査をしたかということが分かりませ
    んので、細かいところまで信憑性があるかどうかを問題にしてもあまり意味が
    ないと思います。陸軍大将が、そういう大問題があったということを認識して
    いたということです」

    岩上「もう一つは『給養困難』というところです。要するに、これ、養う、ご
    飯を食べさせることができない、ということですね。自分たちもロジスティッ
    クスが非常に悪いということで、日本軍の兵士自体が至るとところで飢えてい
    た。だから、捕虜には食べさせないわけで、殺してしまう癖があるということ
    ですね。

     軍規としてどうするかというのが決まっていなくて、殺すことを癖程度に認
    識していたということじゃないですか。問題ですね。後に、荷物運搬のために
    俘虜をどうこうせしめる癖も生じた、と。このあたりは、上でどう決めていた
    かというよりは、部隊ごとでやっていたというような感じですね」

    能川「これ、『後には』となっていますが、実は上海から南京に行く過程で実
    際にそういうことがあったんですね。それも、日記に残っていたりします。そ
    れはもう兵隊が歩いているのか、中国人が歩いているのか分からないぐらい、
    百鬼夜行みたいだというような、そんなことを書いている人がいますけれども


    ===================================
    ◆従軍慰安婦創設者を自認していた岡村寧次◆
    ===================================

    能川「実は岡村寧次という人は、慰安婦関係でもよく名前が出てくる人で、自
    分が慰安婦案の創設者であるというふうに言っている資料があります。

     『(二)慰安婦問題を考える。昔の戦役時代には慰安婦などは無かったもの
    である。斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。昭和七年の上海
    事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同
    地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止
    んだので喜んだものである。
     現在の各兵団は、殆どみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有
    様である。第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない
    有様である』

     この資料は、慰安婦問題が国際問題化するずっと前のものですから、当然そ
    んなことは意識していないわけです。そこで、彼が『恥ずかしながら』という
    認識を持っているということは、皆さんに覚えておいていただきたいと思いま
    す。当事者にとっても、自慢できるようなことじゃなかったというのが、ここ
    で分かるわけです。

     よく、日本軍が慰安所を作った目的のひとつが強姦の防止だということで、
    これを正当化する人がいます。強姦が減ったのだからいいじゃないかと、そう
    いう言い方をする人がいるのです。しかし、実際どうだったのかということで
    すが、それが二段落目ですね。『現在の各兵団は』というところです」

    岩上「殆どみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である』と
    。『第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様で
    ある』とありますね。第六師団というのはどこですか」

    能川「これは、熊本ですね。さきほどの南京大虐殺にも関わった部隊のひとつ
    で、ここの師団長が、戦後にやはり中国の戦犯裁判で死刑になっています」

    岩上「慰安婦団を同行しても強姦罪は跡を絶たないと。別に防止にはならなか
    ったということですね。一応、前段には、『上海事変のとき二、三の強姦罪が
    発生した』とありますね」

    能川「こちらでは、戦闘期間が短くて、撤兵も早かったんですね。だから、そ
    んなに人心が荒むほど長期間、戦闘もしていないということで、やはり、1937
    年以降とは比較にならないのだと思います」

    岩上「やはり、1937年以降、戦闘が長期化していくと、やはり兵も荒廃してき
    て、強姦とか、そういうことも多発するようになるということなんですか」

    能川「そういうことですね」

    岩上「なるほど。『長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪
    が止んだので喜んだものである』ということを言っていますね」

    能川「これは要するに、軍と県知事が絡んでいるということですね」

    岩上「よく、軍は一切関与しなかった、国家は一切関与しなかった、それを証
    明する文書はない、などと言う人がいますが、やはり文書はあるだろというこ
    とですよね。慰安婦の創設者であるということを自分で言っているし、そして
    県知事に要請して、県知事が連れてきたわけでしょう。だから、行政が絡んで
    いるわけですよね。

     この資料は、そういうことについて、はっきり軍が関与してやったんだとい
    うことを言っています。これは戦争の初期だから、日本から呼んだわけで、ま
    だこの時点では、現地調達のような形で、朝鮮の人、中国の人を調達していく
    ような形ではなかったということなんですね」

    能川「これは上海派遣軍の参謀長の日記に載っているのですが、南京を占領し
    たあと、慰安所を作るという話になって、長勇という、後に沖縄戦の、第三十
    二軍の参謀長となった有名な軍人がいます。彼が上海に出張して、青幇という
    ヤクザ組織の親分と会って話をつけて、場所ですとか、どういうふうに女性の
    手配をしたのかということが日記に書かれています。

     次は、先ほどもお話した『南京戦史資料集』に収録された兵隊さんの日記か
    ら、捕虜を殺したという証言があるものを、いくつかピックアップしておきま
    した。

     『十二月十六日 木曜日 晴天 於南京通済門内
     (……)
     (二)藤田部隊会報追加
      1 戦闘一段落し警備に移らんとするに方り各部隊は軍紀風紀を厳ならし
    め兵をして過誤なからしむることに努むること
      2 警備を厳にし特に敗残兵等に対する警戒を怠らざること
      3 爾後捕虜兵は一応調査の上各隊に於いて厳重処分すること
      4 良民労力に対する取扱いに就ては兵に至るまて注意すること』

     これは、ポイントになるのは、特に3のところですね。『厳重処分』という
    のは、懲役とかではなくて、殺すという隠語ですね」

    岩上「なるほど。捕虜兵になにか問題があった場合は、そういう人間を例えば
    営倉に入れるとか、そういうような意味ではなくて、殺してしまうのだと。処
    分とか処理という言葉は、人間に対して使う言葉じゃないですね。牛馬に対す
    る言い方ですね。まるで」

    ===================================
    ◆公文書に残されていた「捕虜は全部殺すべし」という命令◆
    ===================================

    能川「今度は公文書ですね。先ほども申し上げましたが、『戦闘詳報』という
    のは、戦闘が終わった後に書く報告書のことです。

     『八、午後二時零分聯隊長より左の命令を受く
        左 記
      イ、旅団命令により捕虜は全部殺すべし
        其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何
      ロ、兵器は集積の上別に指示する迄監視を附し置くべし
      ハ、連隊は旅団命令に依り主力を以て城内を掃蕩中なり
     貴大隊の任務は前の通り』

    岩上「出ているじゃないですか。これ。『命令を受く』って書いてあるじゃな
    いですか。『旅団命令により捕虜は全部殺すべし』と」

    能川「その方法についてまで連絡がきたということですね」

    岩上「『其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何』『兵器は集積の上別
    に指示する迄監視を附し置くべし』。はあ…。公文書に『殺せ』とあるわけで
    すね」

    能川「今度は、日本国内に目を移して、当時の外務省、当時の言葉でいうと、
    東亜局長の1938年の日記です。すでに外務省は、その情報をつかんでいたとい
    うことですね」

     『一月六日 木
     ○上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目もあ
    てられぬ惨状とある。嗚呼之が皇軍か。日本国民民心の廃頽の発露であろう。
    大きな社会問題だ。
                (後略)
    一月十七日 月
                (中略)
     ○南京、杭州では引続き日本軍が米国人の家屋へ侵入して掠奪暴行をやると
    て米大使より厳重抗議して来る。出先きは正に腐って居る。人道のさばきは来
    ねばならぬ』」

    岩上「『上海から来信』ということは、電信があったということ。情報が入っ
    てきた、と。『南京に於ける我軍の暴状』とあります。『暴状』ってすごい言
    葉ですけれど、『暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目もあてられぬ惨状』、と。
    目もあてられないというわけですね。『惨状とある』『嗚呼之が皇軍か』と嘆
    いていますよ。『之が皇軍か』と。『日本国民民心の頽廃の発露であろう。大
    きな社会問題だ』と。『南京、杭州では引き続き日本軍が米国人の家屋へ侵入
    して掠奪暴行をやるとて米大使より厳重抗議して来る』というのも、すごいで
    すね」

    能川「そうなんですよ」

    岩上「米国人の家屋に侵入しているとありますが、まだ対米戦は始まっていま
    せん。この段階では、米国は第三国のはずです」

    能川「そうです。中立、第三国です」

    岩上「『出先きは正に腐って居る。人道のさばきは来ねばならぬ』と。」

    能川「国内でも一部の人は、すでに知っていたということですね」

    ===================================
    ◆強姦の証拠となる軍法務官の日記◆
    ===================================

    能川「もう一つ、小川関治郎という人が書いた、『ある軍法務官の日記』(※
    26)という本があります。この人は第十軍の法務部長だったんですね。法務官
    というのは要するに、軍法会議を主催し、執り行う役職です。だから、部隊の
    遵法性について、それに責任のある立場の人でした。その人の日記にも、残虐
    行為の証拠が色々と出てきます。

     『午後憲兵隊長上砂中佐の金山衛城視察の談によれば同城附近掠奪相甚しく
    又無益の殺傷その惨を極め到底此の侭にては非常の問題を起こす恐れありと』

     一つは、これはまだ杭州に上陸した直後の11月9日、上砂憲兵中佐がやって
    きて、『同城付近掠奪相甚しく又』の次に、『無益の殺傷その惨を極め到底此
    の侭にては非常の問題を起こす恐れありと』とあります。

     つまり、戦闘行為とは関係ない殺害、ということですね。それをその憲兵が
    非常に憂慮しているということです。それを、この法務官が書き留めているん
    ですね」

    岩上「これだけを読むと、そこに部隊が駐屯しているわけですから、戦闘行為
    の直後に捕虜を捕まえてという、さきほどの捕虜処分の話とも違いますね。ど
    うもこれは、市街地に入って略奪をしながら、戦闘と関係ない殺傷をその場で
    行っている、ということでしょうね。これは捕虜の計画的殺害というのともち
    ょっと違うニュアンスなのかなという」

    能川「ここでは12月25日に、憲兵が、“我々がせっかく強姦犯を捕まえてもき
    ちんと処分してくれないじゃないか”と、“努力の甲斐なし”というふうに文
    句を言いにきたというものです。

     『○上砂中佐事務打合せに来部
     中佐曰く近頃強姦事件不起訴に付せらるるもの多く 憲兵が折角検挙せしも
    のに斯く致さるることとなると努力の甲斐なしと 自分答う 或は然らん 併
    し自分は戦争中に於ける情状、犯人のその当時に於ける心理、支那婦人に対す
    る貞操観念、是迄の犯行数(その実際の数を挙ぐれば莫大ならん)非検挙に終
    りし者と偶々検挙せられたる者との数の比較等、その他純理論よりすれば姦淫
    は当時の情勢上刑法一七八に所謂抗拒不能に乗ずるものと認むべきも中には斯
    かる者全部なりと断ずるを得ざるべく 容易に要求に応じたる者も之あること
    を考えざるべからず 斯く観じ来りたるときは姦淫したる事実あれば直ちに強
    姦なりと断ずるは早計たるを免れざるにあらずや その他周囲に於ける犯行当
    時の事情を深く参酌して決定処理し居るべし 故に直に中佐の要求に応ずるを
    得ざるべし』

     この人は、結構真面目に職務に務めていたわけですが、それに対して、法務
    官がどう答えたかというと、『或は然らん』です。現代訳語で言うと、『ある
    いはそうかもしれない』となります。

     しかし、戦争中だという情状であるとか、犯人の心理であるとか、中国婦人
    に対して抱いていた貞操観念とか、それまでの犯行とか、その実際の数を挙ぐ
    れば莫大ならん、と。そして、あまりにも数が大きすぎるから検挙されていな
    い者と、たまたま検挙された者とがでては不公平だ、と。その他、“純理論よ
    りすればうんぬん”とありますが、要するに、そういう理由で仕方ないじゃな
    いか、と言っているわけですね。

     それから、ここでいかにも法務官らしい言い訳をしていますが、『純理論よ
    りすれば姦淫は当時の情勢上刑法一七八に所謂抗拒不能に乗ずるものと認むべ
    きも』と。要するに、抵抗できないようにして姦淫しないと強姦じゃないとい
    うことになるはずだ、ということです」

    岩上「まあ、和姦もあるじゃないか、というようなことですね」

    能川「そういうことを言うんですね。『中には斯かる者全部なりと断ずるを得
    ざるべく。容易に要求に応じたる者も之あることを考えざるべからず』と。今
    、こんな判決が出たら大変な問題になると思います。要するに、しっかり抵抗
    しなかった奴もいるだろうから仕方ないじゃないか、ということです」

    岩上「抵抗したら、殺されたり暴行されるからと、無抵抗で強姦に応じていた
    女性もいただろうに、それはもう強姦じゃないだろうと言っているわけですね


    能川「しかもこれ、憶測なんですよ。実際に調べてそうだった、ということで
    すらない。そういう者もいるだろうから、そうそう取り締まれないのだという
    ように、言い訳をしています」

    岩上「『その実際の数を挙ぐれば、莫大ならん』と。ものすごい数だと。だか
    ら、検挙していったら軍が成り立たなくなるかもしれない、という話です。そ
    れから、『非検挙に終りし者と偶々検挙されたる者との数の比較等』と言って
    いますが、検挙された兵士がごく少数だったというのでなければ、こんなこと
    は言わないのではないかと思います。

     ということは、莫大な数の、検挙されなかった、憲兵にチェックされなかっ
    た者がいるんだということを、現場の人間でなくても知っているくらいに、強
    姦が常識化していたということですよね。これ大事ですね。もうめちゃめちゃ
    。暗数がとてつもなく多いということですよね。いま出てきているものの背後
    にも、とてつもない暗数があると」

    能川「もうひとつ、今度は翌26日の日記に書かれている殺人事件なんですが、
    これは名前は伏字になっていますけれども、この『金山』というのは杭州の近
    くの場所です」

     『吉×××事件は十二月十七日金山に於て支那人間に稍々不穏の挙動ある如
    きことを聞き直ちに部下数十名を引率し支那人部落に至り射殺斬殺を為したる
    事実にして その間上官に十分連絡せざるのみならず一つの好奇心より支那人
    を殺害せんとの念に基くとも認めらる 同隊は前線の戦闘に加わらず従って支
    那人を殺さんとの一種独特の観念に駆られたるとも認むべく戦場にては斯かる
    念を生ずるもの少なからず又支那人に対する人格尊重薄きによるものの如し』


    岩上「この吉×××と伏字になっているのは」

    能川「人の名前ですね」

    岩上「これは被害者の名前ですか?」

    能川「いえ、部隊の指揮官の名前です。かなりの最前線というのではなくて、
    後方の部隊です。『支那人間に悄々不穏ある如きことを聞き直ちに部下数十名
    を引率し支那人部落に至り射殺惨殺を為したる事実にして』とあります。そし
    て、『その間上官に十分連絡せざるのみならず』、つまり独断でやったと。で
    、『一つの好奇心より支那人を殺害せんとの念に基くとも認めらる』と。『同
    隊は前線の戦闘に加わらず従って支那人を殺さんとの一種独特の観念に駆られ
    たるとも認むべく』『戦場にては斯かる念を生ずるもの少なからず又支那人に
    対する人格尊重薄きによるものの如し』と続きます」

    岩上「これはある法務官の日誌ですから、犯行に至る動機について、冷静に分
    析されているというわけですね」

    能川「これは検挙されているわけですから、取り調べも行われています」

    岩上「上司に連絡することなく、とにかくある中国人の部落に行って、人殺し
    をし、斬り、撃ちということを行なったと。これはつまり、とにかく殺しをし
    たかったと。『支那人を殺害せんとの念に基くものと認められる』と。これは
    つまり、法務官が、前線に加わっていない部隊が、前線で人殺しをやったとい
    う話を聞いて、俺もやってみたい、俺も中国人を殺してみたいという観念に駆
    られたのだろうと思っていると、そういうことですね。

     戦場においては、こんなふうに殺してやりたいと思う者も少なくなく、これ
    は中国人に対する人格尊重の気持ちが薄いからではないかという趣旨の、法務
    官の言葉。重いですね。報告としては」

    能川「この日記が貴重なのは、これに関わった関連資料があるからです。一つ
    は、先に名前がでてきた上砂という憲兵のものなのですが、彼が戦後10年ほど
    経ってから、回想記(※27)を書いています。

     そのなかで、実は、南京攻略戦に参加した時の思い出も書いているんですね
    。例えば、『何分数個師団二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足ら
    ずでは、如何とも方法が無い』とか『僅かに現行犯で目に余る者を取り押さえ
    る程度で』うんぬんと。つまり、実際に取り締まったのは氷山の一角だという
    のを、この憲兵も裏付けている」

    岩上「認めてるいわけですね」

    能川「法務官の日記と憲兵の回想とが、共通して同じことを言っているという
    わけです」

    岩上「なるほど。しかもこの上砂さん、さきほどの話のなかでは、自分たちは
    せっかく捕まえたのに、起訴しないのは何事かと怒っているわけですね。

     その、起訴しないとは何事かというのは、捕まえたあとに起訴されないので
    怒っているわけで、それに対して法務官が、本当に数が多すぎるから不公平に
    なってしまうのではないのか、と答えていると。

     この捕まえてきた人は、ほんのわずかしか捕まえてこなかったよと、そう言
    っている。だれの言い分を聞いても、本当にわずかしか捕まえられず、たくさ
    んの人間が同じようなことをやり、そしてそれがしかも、不起訴になってしま
    ったということですよ」

    能川「そうですね」

    岩上「ひどい話ですね」

    能川「さきほどの、上砂さんの回想録の続きを見てみましょう。

     『この状態が東京の中央部に伝わったので、時の参謀総長閑院官殿下から「
    軍紀粛正に問する訓示」が出された。
     戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分
    な新募又は召集の将兵を以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益
    々無雑作に行われるようになる。これには、指揮統率者の責任は固よりのこと
    だが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた』」

    岩上「東京の中央部に伝わったので、参謀総長から、軍規粛正に関する訓示が
    出された、ということなんですね。非行が無雑作に行われるようになっている
    と。これは指揮統率者の責任があると。国民の一般教養が如何に低いかを痛感
    させられている、と」

    能川「さっきは、人格尊重の念が薄きうんぬんという言い方をしていましたけ
    れども。

     さらにもうひとつ、実はこの第十軍に関しては、その法務部の陣中日誌(※
    28)がたまたま残っていて、そこに、先ほどの法務官の、殺してみたかったん
    じゃないかという意見に相当すると思われる殺人事件が収録されていて、それ
    をみると、その事件が実際にお咎めなしになったという事実が分かります」

    岩上「なるほど」

    能川「それが法務部の陣中日記で残っているんです」

    岩上「ということは、客観的に裏付けられる話であるということですね」

    能川「そうです。では、ここでちょっといっぺん止めますね。この後、慰安婦
    のほうに話題を移すという感じにしていきたいと思います」

    岩上「では、ここでちょっと一回、一息入れましょうか」

    ※第2部 従軍慰安婦編に続く

    ----------------------------------------------------------------------

    (※26)小川関治郎著『ある軍法務官の日記』(みすず書房、1990年)出版社
    の紹介文:昭和史の転換点ともいえる、甘粕事件、相沢事件、二・二六事件。
    それらを起こした人々を裁く軍法会議に裁判官として臨んだ、陸軍法務官・小
    川関治郎。彼が中国を侵攻する軍と行を共にした時に、個人的観察と印象を綴
    った日記。
    (【URL】 http://amzn.to/1jBxkGU )

    (※27)上砂勝七著『憲兵三十一年』(東京ライフ社、1955年)
    (【URL】 http://amzn.to/1n3LJ2r )

    (※28)『続・現代史資料 6 軍事警察』(みすず書房、1982年)
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