11« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»01

    原発問題 -The Truth is Out There-

      : 

    東電福島原発事故の真実 放射能汚染の真実 食物汚染の真実 正しい情報を求めて

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    IWJ特報 第134号 日米原子力協定に迫る 元外務省審議官 遠藤哲也氏インタビュー(その1) 

    第134号
    ─────────────────────────────────
    岩上安身のIWJ特報!
    日米原子力協定、その交渉の舞台裏に迫る
    元外務省科学審議官・遠藤哲也氏インタビュー(その1)
    ─────────────────────────────────
    (IWJより転載許可済)


     3月24日、53ヶ国34機関が参加し、核テロ対策について議論する核安全保障
    サミットに参加するため、安倍総理はオランダのハーグを訪問した。サミット
    の初日、安倍総理は、日本政府が米国から提供されていた高濃縮ウランとプル
    トニウムを米国に返還すると表明。同日、ホワイトハウスが、オバマ大統領と
    安倍総理の共同声明というかたちでこれを発表した。

     返還が決まったのは、茨城県東海村の日本原子力研究開発機構が、高速炉臨
    界実験装置(FCA)用に保管していた、すべての高濃縮ウランと331キロのプル
    トニウムである。

    ※日本、高濃縮ウランとプルトニウム返還で米と合意(ロイター、3月24日【
    URL】http://bit.ly/1hpDpCD)

     IWJは、この核安全保障サミットの様子を、3月25日、26日の2日間にわた
    り、現地ハーグから中継した。

    ※2014/03/25【ハーグ】核安全保障サミット(1日目)
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/131092

    ※2014/03/26【ハーグ】核安全保障サミット(2日目)
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/131478

     核安全保障サミットで安倍総理は、各国の首脳に対し、次のように演説した。

     「日本は核廃絶に向けた世界的な核不拡散・核軍縮の推進のため、核セキュ
    リティー強化に国内的にも国際的にも引き続き尽力する。これは世界の平和と
    安定にこれまで以上に貢献する『積極的平和主義』の実践でもある。

     東京電力福島第1原発事故を経験した日本は原子力安全と核テロ対策に役立
    つ教訓を各国と共有している。日本には核セキュリティー強化を主導する責任
    がある。私自身が先頭に立って進める。

     このたび日本は米国の協力の下、(日本原子力研究開発機構の)高速炉臨界
    実験装置で使用してきた高濃縮ウランと分離プルトニウムを全量撤去すること
    を決定し、日米首脳による共同声明を発出した。これらの燃料を用いる予定だ
    った最先端研究は代替燃料を使って行うことにも合意した。今後も核物質の最
    小化に取り組む」

    ※安倍首相演説要旨(時事通信、3月25日【URL】http://bit.ly/1jG41Gq)

     このように安倍総理は、今回の米国に対するプルトニウム返還の意義につい
    て、「原子力安全と核テロ対策に役立つため」だと強調したのである。

     3月24日付けのニューヨークタイムズは、このプルトニウム返還について、
    ” The announcement is the biggest single success in President Obama’
    s five-year-long push to secure the world’s most dangerous materials
    ”(オバマ大統領の5年間にわたる非核化政策で最も大きな成功だ)と報じた。
    これに対し、安倍総理も一緒になって、「今回のサミットにおける最大の成果
    だという話があった」と語った。

    ※Japan to Let U.S. Assume Control of Nuclear Cache(New York Times、
    03.24【URL】http://nyti.ms/1f8ZUP5)

     だが安倍総理の「サミットの最大の成果だ」というコメントは、実にトンチ
    ンカンなものであると言わざるをえない。というのも、国際的な監視の対象に
    なっているのは日本であり、日本への不信の高まりがあるからこそ、プルトニ
    ウムの返還が求められたのだということを、当事国のトップでありながら、ま
    るで理解していない様子だからだ。

     忘れてはいけないのは、今回のプルトニウム返還は、日本側が自主的に申し
    出たものではなく、米国側からの要求に従ったものだ、ということである。1
    月27日、共同通信が、「オバマ米政権が日本政府に対し、冷戦時代に米国など
    が研究用として日本に提供した核物質プルトニウムの返還を求めていることが
    26日、分かった」と報道。IWJが外務省に問い合わせると、対応した軍縮不拡
    散・科学部、不拡散・科学原子力課の首席事務官は、はぐらかすような言い方
    をしつつも、共同通信の報道を否定はしなかった。

    ※【米、プルトニウム返還を要求】オバマ政権が日本に  300キロ、核兵
    器50発分/背景に核テロ阻止戦略(共同通信、1月27日【URL】http://bit.
    ly/1j5GRIn)

    ※【IWJブログ】米国から日本政府への研究用プルトニウム「返還」要求につ
    いて、外務省「ノーコメント」
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/122289

     今回、日本が返還に合意したのは、茨城県東海村に保管されている331キロ
    のプルトニウムだが、実は日本には、全体で44トンのプルトニウムが既に蓄積
    されている。これは、長崎型原爆であれば、じつに4000発分に相当する量であ
    る。

     日本がこれほどまでのプルトニウムを蓄積することになったのは、日本政府
    がこれまで、原発で出た使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを抽出し、
    それを再び原発で燃料として使用する「核燃料サイクル」をエネルギー政策の
    柱として採用してきたからである。この核燃料サイクルは、原子力に関する技
    術を日本側が包括的に運用することを認めた、1988年の日米原子力協定によっ
    て可能となったものだ。

     現在、高速増殖炉「もんじゅ」の運転停止により、この核燃料サイクルの実
    現見通しは立っていない。にもかかわらず、今回の核安全保障サミットにおい
    て安部総理は、核燃料サイクルの維持を閣議決定すら経ることなく国際社会に
    言明してしまった。

    首相 了承なく「推進」 核燃サイクル 与党協議の中(東京新聞、3月21日【
    URL】http://bit.ly/OH8tXy )

    しかし、プルトニウムを生み出す核燃料サイクルの技術を維持することは、
    「兵器級プルトニウム」を蓄積し、核兵器を潜在的に保有することに、ほぼ等
    しいと言うことができる。

     そして、日本に核燃料サイクルの運用を認め、日本が潜在的に核兵器を保有
    することを可能とさせてきた日米原子力協定が、2020年の東京オリンピックを
    目前に控えた2018年に、満期を迎えるのである。仮に2018年、この日米原子力
    協定が更新されなければ、日本は原発の稼働はもちろん、これまで蓄積してき
    たプルトニウムの保有も含め、原子力に関するあらゆる政策と技術を放棄しな
    ければならなくなる。

     私が2月3日にインタビューした、京都大学原子炉実験所の小出裕章氏は、
    今回の米国からのプルトニウム返還要求を、「明らかな政治的メッセージだ」
    と断言した。

     小出氏は、靖国神社への参拝や集団的自衛権の行使容認といった、安倍政権
    の暴走に眉をひそめる米国は、中国との間で政治的緊張を高める日本に対して、
    強い警告を発する政治的メッセージと受け取れる、と語った。

    ※2014/02/03 米国からのプルトニウム返還要求「明らかな政治的メッセー
    ジ」〜岩上安身による京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏インタビュー
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/123411

    ※【IWJ特報!127+128号】原発と核兵器技術の保有はコインの裏表〜京都大
    学原子炉実験所助教・小出裕章氏インタビュー
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/127790

     さらに、私が、2月4日にインタビューした、文芸評論家で早稲田大学教授の
    加藤典洋氏は、米国からのプルトニウム返還要求の政治的意味について、「日
    本から中庸が消えるのでは」と指摘した。

     日本は戦後、「原子力の平和利用」の名の下、原発を導入した。しかしそれ
    は、「平和利用」という大義名分を盾に、原発から出るプルトニウムによって
    核技術抑止能力を持つための手段であった、というのである。加藤氏は、戦後
    の日本は、「原子力の平和利用」「非核三原則」という側面、核技術抑止とい
    う側面、そのどちらが日本の本音なのかを明らかにはしないという「あいまい
    路線」、すなわち「中庸」を取ってきた、と指摘。しかし、その「中庸」が今、
    消えつつあると言うのである。

    ※2014/02/04 日本から「中庸」は消えるのか 米国からのプルトニウム返還要
    求について考える 〜岩上安身による文芸評論家・加藤典洋氏インタビュー
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/123524

     「脱原発」と言った場合、原発から再生可能エネルギーへの転換など、日本
    国内のエネルギー需給の問題として議論されることがほとんどである。しかし、
    今回の米国によるプルトニウム返還要求から見えてくるのは、原発の稼働や核
    燃料サイクルの是非といった政策課題は、外交・安全保障上の問題と、極めて
    密接にリンクしているという厳然たる事実である。

     したがって、日本の原子力政策について考えるためには、外交の当事者から
    生の証言を得なければならない。私は2月12日、1988年に締結された日米原子
    力協定(包括協定)で、交渉の実務を外務省で担当した、遠藤哲也氏にインタ
    ビューを行った。遠藤氏の口からは、実務担当者にしか知り得ない交渉の生々
    しい舞台裏から、「核燃料サイクル」の今後の展望、そして日本の核武装の可
    能性まで、貴重な証言が次々と飛び出した。

     注意しなければならないのは、331キロのプルトニウム返還に応じたからと
    いって、日本はいまだ核燃料サイクルの実現とそのコインの裏表の関係にある
    潜在的核保有を諦めたわけではない。3月24日、自民党と公明党は、近く閣議
    決定される見通しのエネルギー基本計画案に関するワーキングチームで、核燃
    料サイクルの柱である「もんじゅ」を存続させる方向で合意したのである。

    ※もんじゅ:自公が存続を条件付き容認で一致(毎日新聞、3月24日【URL】
    http://bit.ly/1mqcBcp)

     安倍総理は、核安全保障サミット後の記者会見で、海外の記者から、「なぜ
    日本は大量の核物質を保有し続けるのか? 危険ではないか?」と問われ、
    「我が国の取り組みは、核セキュリティサミットの目的と完全に合致してい
    る」と、答えにもなっていない答えを披露した。安倍総理のこのはぐらかすよ
    うな答弁からは、日本におけるプルトニウムの蓄積が、本心では、潜在的核保
    有のためであるということがうかがわれる。

    ※安倍総理、プルトニウム大量保有に関し弁明(テレビ朝日、3月26日【URL】
    http://bit.ly/1l32kjM)

     「原発を重要なベースロード電源と位置づける」との文言が盛り込まれたエ
    ネルギー基本計画が近く閣議決定されるとみられる他、原子力規制委員会が九
    州電力川内原発1.2号機の再稼働に向けた新規制基準適合審査を優先的に行う
    と発表するなど、安倍政権は、原発の再稼働に向けて突き進んでいる。

     安倍政権における、原発の再稼働や核燃料サイクルへの固執といったエネル
    ギー政策と、靖国神社参拝や集団的自衛権の行使容認、武器輸出三原則の事実
    上の緩和といったタカ派的傾向は、核兵器の潜在的保有への欲望という点で、
    一直線につながっているのである。米国との交渉の実務を担当した遠藤氏の証
    言からは、そのことがありありと浮かび上がってくる。今、私たちに必要なの
    は、原発の問題を国内の問題から、外交・安全保障の問題へと、位置づけ直す
    ことではないだろうか。

     今号では、遠藤氏へのインタビューに詳細な注釈を付した他、付録として、
    遠藤氏が2012年10月4日に行った日本記者クラブでの講演の文字おこしと、遠
    藤氏が2007年発表した論文「日本核武装論の問題点〜日本にとって現実的な政
    策オプションたりうるのか」を添付した。ぜひ、インタビューとあわせてお読
    みいただきたい。

    ===================================
    ◆軍事利用と平和利用〜原子力の両面性◆
    ===================================



    岩上安身(以下、岩上)「ジャーナリストの岩上安身です。都知事選も終わり、
    次はどういうテーマで脱原発の問題を語っていこうかというときに、今日は大
    変重要なゲストをお迎えすることができました。

     本日話をおうかがいするのは、遠藤哲也さんです。遠藤さんは原子力委員会
    の委員長代理を務めた方です。つまり、原発を推進してこられた、その政策の
    中枢におられた方なのですね。

     遠藤さんは、1958年に東京大学法学部在学中に外交官試験に合格されて、外
    務省に入省後、在ウィーン国際機関政府代表部初代大使、国際原子力機関IAEA
    理事会議長、外務省科学審議官、それから日朝国交正常化交渉の日本政府代表
    を歴任されました。

     対北朝鮮問題、朝鮮半島の非核化についてもお詳しく、朝鮮エネルギー開発
    機構の担当大使、そして、ニュージーランド大使、原子力委員会の委員長代理
    を歴任されたということです。

     2011年3月11日の福島第一原発事故後は、独立検証委員会、いわゆる民間事
    故調(※1)の委員もお務めになりました。原子力の開発史に精通されている
    一方で、外務省の方ですから、日本の原子力政策がどのような国際関係の中に
    位置づけられているのか、対米関係の中ではどうか、対東アジア関係の中では
    どうか、といったことも、今日はおうかがいしたいと思います。

     ここのところ、京都大学の小出裕章さん(※2)、それから早稲田大学の加
    藤典洋さん(※3)、さらには元内閣官房副長官補の柳澤協二さん(※4)と、
    ずっと連続してインタビューをしてきました。米国からプルトニウムの返還要
    求が来た(※5)という、この小さなニュースを入り口にして、米国が今の日
    本の政治の状態に対して大変な懸念を抱いているのではないか、日本はこのま
    ま今までと同じような原子力政策を続けられるのだろうか、ということをテー
    マにしたインタビューシリーズをお送りしてきました。

     今日は、本当に当事者中の当事者にお話をうかがいます。遠藤さん、よろし
    くお願いいたします」

    遠藤哲也氏(以下遠藤、敬称略)「はい、よろしくお願いします」

    岩上「遠藤さんは外交官でありながら、ずっと原子力政策の中枢を歩いて来ら
    れたんですね。これは特異なキャリアの積み方ではないかと思われるのです
    が」

    遠藤「これは、原子力の持つ性格そのものに由来しているところがあると思い
    ます。原子力というのはご承知のとおり、生まれた時から、マンハッタン計画
    (※6)に示されるように、軍事利用だったわけです。

     しかし、それと同時に、原子力発電などの平和利用としても使い得るわけで
    すね。原子力発電については、いろんな影響があるのでしょうが、例えば、放
    射線利用という点では、医療ですとか、工業その他に使われています。

     つまり、原子力の場合、平和利用と軍事利用が背中合わせになっているとい
    うことです。こういうところから、本来ですと科学技術庁の人とか、技術関係
    の人だけが扱ってもいいような原子力について、その原子力の持つ両面性とい
    うことから、私がいた外務省も関係するようになってきているのです」

    岩上「なるほど。原発というのは、導入の経緯というのがなんといっても大き
    いと思います。というのは、日本が自前で平和利用のために、核開発あるいは
    原子力の開発を行ったわけではないからです。

     第二次大戦中、日本は核兵器の開発を行おうとしていました。米国もドイツ
    もやるそうだということで、戦時中は朝日新聞や毎日新聞が、『夢の動力』
    『決戦の新兵器』等と言って、あからさまに報道していました(※7)。

     仁科芳雄博士(※8)が、『二号計画』というもので、東條英機の肝入りで、
    核兵器、核爆弾の製造研究に着手していました。しかし間に合わず、広島、長
    崎に先に投下されることになりました。

     日本も、核兵器という悪魔のような兵器の、悪魔のようなパワーを得ようと
    していたんですね。もし、日本が先に開発していたら、よその国に投下してい
    たかもしれません。たいへん恐ろしいことです。そういうものが、戦後いった
    ん、GHQによって研究がストップされたと聞いています。

     この時代は、遠藤さんが直接関わった時代ではありませんが、外交安全保障、
    そして原子力の歴史ということでは、ご自身が関わりになる以前の歴史も当然
    ながらお勉強されたでしょうから、お話願えればと思います。

     GHQの締め付けがあり、しかしその後、『逆コース』ということが言われる
    ようになりますね。日本を徹底的に民主化するということから、冷戦が深まり
    を見せ、米国は日本を『反共の砦』にしようということで、再武装させていき
    ました。

     その中で、核政策の扱いも変化していったのではないでしょうか。初期の米
    ソ間で、国際原子力管理ということをやろうとしたけれど、両者の言い分が違
    って失敗をする、ということがあったと聞いています。核の冷戦の始まりです
    よね。その中で日本は、どのような位置に置かれることになったのでしょうか。
    こういった、1950年代の話をお聞きできればと思います」

    ----------------------------------------------------------------------
    (※1)民間事故調:財団法人日本再建イニシアティブによる、福島第一原発
    事故の原因究明を目指して立ち上げられたプロジェクト。委員長は東京都市大
    学学長の北澤宏一氏。菅直人元総理の他、枝野幸男元官房長官、海江田万里元
    経産相、細野豪志元環境相、班目春樹前原子力安全委員会委員長など、原発事
    故当時、対応の中心にあった政府関係者からヒアリングを行い、2012年 3月、
    『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』を出版した。(一般財団
    法人日本再建イニシアティブ 福島原発事故調査委員会(民間事故調)HP【URL
    】http://bit.ly/1f8tbGb)

    (※2)小出裕章:京都大学原子炉実験所助教。2月3日、米国からのプルト
    ニウム返還要求の意味について小出氏は、岩上安身のインタビューに応え、
    「靖国神社参拝など、安倍政権が暴走しているので、米国は日本の動向を危惧
    しているのではないか」と分析。「2018年に日米原子力協定の見直しがされる
    が、米国は日本に対する締め付けを強めるのではないか」と語った。(2014/
    02/03 岩上安身による京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏インタビュー【
    URL】http://iwj.co.jp/wj/open/archives/123411)

    (※3)加藤典洋:文芸評論家、早稲田大学国際教養学部元教授。著書に『ア
    メリカの影』(河出書房新社、1985年)、『敗戦後論』(講談社、1997年)、
    『3.11 死に神に突き飛ばされる』(岩波書店、2012年)など。1月27日、共同
    通信が米国によるプルトニウム返還要求のニュースを伝えると、いち早く
    Twitterで独自の分析を連投ツイートした(【URL】http://togetter.com/li/
    621667)。加藤氏は2月4日、岩上安身のインタビューに応じ、「平和利用」
    と「核技術抑止」とを両立させる戦後日本の「中庸」路線が、安倍政権の暴走
    によって不可能になりつつあるのではないか、と懸念を表明。そのうえで、今
    後の「ありうべき中庸」路線として、「平和立国・核燃料サイクルの即廃棄・
    段階を踏んだ脱原発」という選択肢を提案した。(2014/02/04 岩上安身によ
    る加藤典洋氏インタビュー【URL】http://iwj.co.jp/wj/member/archives/
    17783)

    (※4)柳澤協二:元内閣官房副長官補、元防衛研究所所長、国際地政学研究
    所理事長。2月5日、柳澤氏は岩上安身のインタビューに応じ、現在の安倍政権
    の安全保障政策について、「国民の熱狂を戦争に向けて焚きつけているように
    見える。こういうナショナリズムの使い方は、国内的には心地よいかもしれな
    いが、外交的には非常にまずい」と語り、中国や韓国だけでなく、米国も日本
    のナショナリズムの高揚に懸念を示していると語った。(2014/02/04 岩上安
    身による柳澤協二氏インタビュー【URL】
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/123724)

    (※5)1月27日、共同通信が「オバマ米政権が日本政府に対し、冷戦時代に
    米国などが研究用として日本に提供した核物質プルトニウムの返還を求めてい
    ることが26日、分かった」と報道した。IWJがこの報道の真偽について外務省
    の軍縮不拡散・科学部、不拡散・科学原子力課の首席事務官に問い合わせると、
    「核セキュリティ強化の中で、アメリカだけではなく、世界的に核テロの脅威
    となる物質をどんどん減らしていこうという大きな方向性があり、そのような
    中で出てきた話であると承知しておりまして、具体的な中身についてはコメン
    トを差し控えたいと思います」と回答した。(【IWJブログ】米国から日本政
    府への研究用プルトニウム「返還」要求について、外務省「ノーコメント」【
    URL】http://iwj.co.jp/wj/open/archives/122289)

    (※6)マンハッタン計画:第2次世界大戦中、米国と英国が中心となり、科
    学者と技術者を総動員して原子爆弾の開発・製造を行った計画。科学部門の
    リーダーはロバート・オッペンハイマー。研究所はニューメキシコ州のロスア
    ラモスに置かれた。1945年7月16日、米国は人類史上初の核実験に成功。それ
    から1ヶ月も経たない8月6日には広島に、8月9日には長崎に原爆が投下され
    た。(参照:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1mpwLmV)

    (※7)杉田弘毅著『検証 非核の選択〜核の現場を追う』(岩波書店、2005
    年)に、原子力に関する当時の報道について、次のような記述がある。

     「ウラン235の巨大なエネルギーを『夢の動力』として初めて毎日新聞が紹
    介したのが40年7月。『マッチ箱一つのウラニウムでロンドン市全体を壊滅さ
    せる』とウラニウム爆弾を紹介する記事が朝日新聞に掲載されたのは44年3月
    だ。さらに朝日は44年7月2日には『決戦の新兵器』特集で『10グラムで都市爆
    砕』との見出しでウラニウム爆弾を詳細に取り上げ、『10グラムか15グラム
    もあれば、大都市の一つや二つ住民もろとも爆砕するのは朝飯前』と煽った。
    この頃、東大の研究室で爆発事故があり、新聞は『原子爆弾完成近し』との見
    出しで『原爆研究中の事故』と報じている」[10ページ]

     「44年7月号の大衆雑誌『新青年』(博文館)は日本から原子力航空機で太
    平洋を横断し原爆を投下する小説『桑港(サンフランシスコ)吹き飛ぶ』(立
    川賢)を載せた。この小説は台湾で産出したウランを使って台北大付属『理化
    学研究所』の年配の博士と若手研究員がウラン235の連鎖反応によるエネル
    ギー利用に成功し、航空燃料と原爆を製造する物語だ。理研の正式名である
    『理化学研究所』を舞台となる台湾の研究所の名称に使い、仁科研の二号研究
    をほうふつさせる。小説のハイライトは原爆の投下シーン。若手研究員が乗っ
    た原子力航空機は太平洋を横断し、金門橋に到達、上昇しながら高度八千メー
    トル以上の上空からサンフランシスコに原爆を投下、『電気花火のような青白
    い閃光が、市外の中央でパッと起こったかと思うと、驚天動地の一大轟音が起
    こり…。それっきり、朦々たる砂塵の中に桑港は見えなくなってしまった』と
    描いている。この辺は原爆がもたらす巨大な破壊力を予言している」[10-11
    ページ]

    (※8)仁科芳雄:物理学者。1943年5月、仁科がウランの分離によって原子
    爆弾が作れる可能性があるとの報告書を陸軍に提出。東條英機首相の肝いりで、
    「二号研究」と呼ばれる原爆の研究が開始された。日本の原爆研究は戦後、
    GHQにより解散させられるが、仁科は1946年に理化学研究所の所長に就任。同
    年、文化勲章を授与されている。(参照:Wikipedia【URL】http://bit.ly/
    1lfxCXa)

    ===================================
    ◆日本が原発を導入した背景◆
    ===================================

    遠藤「今、おっしゃられたように、占領中、つまり日本が独立するまでは、日
    本は軍事利用はもちろんのこと、平和利用であっても、原子力は研究してはい
    けない、ということだったのですが、独立した後は、そういった制約が取れた
    わけですね。

     そのとき、日本は原子力の軍事利用ということについて、広島、長崎の被爆
    体験、敗戦の体験等から、まず考えなかったと思うんです。それと同時に、米
    国も、日本が原子力の軍事利用を考えるなどということは、到底許しませんで
    した。したがって1950年代は、軍事利用ということは、日本からも米国のほう
    からも、全くありませんでした。

     しかし、核エネルギーは、資源のない日本にとってみれば、夢のような動力
    と言われていました。そこで、日本もなんとかして平和利用をしていこうとい
    うことが、少しずつ出始めたわけですね。

     ただそれも、学会と、いわゆる実業界の態度は若干違っていました。学会は、
    被爆体験から、『軍事利用に走るようなことは絶対しちゃいかん。完全に平和
    に徹しなきゃいかん』ということを、日本学術会議などで議論したわけですね。

     しかし同時に、動力源である原子力についてはやはり、やっていかなくては
    ならないという声が、政界、あるいは実業界において非常に強くありました」

    岩上「導入時に、社会の表面では、夢のエネルギーということが喧伝されたの
    だと思います。とりわけ読売新聞は、積極的にキャンペーンをしましたね。正
    力松太郎(※9)さんが出獄してきてから、一生懸命、平和利用のキャンペー
    ンをやりました。

     しかしその一方で、政界の一部とか、官界の一部で、将来のことを考えたと
    きに、日本はいつでも核武装できる準備というのを、コツコツとしておかなけ
    ればならない、という考えがあったのではないでしょうか。疑われないように
    頭を低くしながら、核技術というものを蓄積していこう、と。こういう底意と
    いうものがあったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?」

    遠藤「私は、それはその当時はなかったと思うんですよ。つまり、50年代、原
    子力のいわゆる黎明期においては、軍事利用を可能性として持っておきたいと
    いう感じは、なかったのではないかと思います。

     ただ、原子力というものには、軍事利用と平和利用が背中合わせになってい
    るという、両面性があります。だから、結果論としてはあり得るのだと思うん
    です。しかし、50年代当時、はじめから原子力を軍事利用しようという意図は、
    なかったと私は思います」

    岩上「しかし岸信介さんや、佐藤栄作さんも、非常に婉曲な言い方ですが、
    『日本は憲法上、核武装することは禁じられていない』と発言しています(※
    10)。要するに、核兵器保有の手足を縛られないよう、その都度発言していた
    のだと思います。

     あまり叩かれないようにしながら、水面下で核武装の可能性を保存しておこ
    うというのは、あったのではないかと私は思うのですが」

    遠藤「先ほどの繰り返しになりますが、原子力というのは、両面性があるもの
    ですからね。ですから、原子力利用では常に、軍事利用を抑え、平和利用に徹
    していくという方向を出さない限り、続けていけないのではないかと思いま
    す」

    ----------------------------------------------------------------------
    (※9)正力松太郎:元読売新聞社社主、日本テレビ初代社長、第4代科学技術
    庁長官。正力は巣鴨プリズン出獄後、「原子力の平和利用」の名目のもとに原
    発の導入を推進し、読売新聞と日本テレビで大々的なキャンペーンを行った。
    米国のCIAが正力に「Podam」というコードネームを与えていたことが、米国立
    公文書記録管理局の文書から明らかになっている。(参照:Wikipedia【URL】
    http://bit.ly/1hdRGCm)

    (※10)1957年5月7日、当時の岸信介総理は、参議院内閣委員会で、次のよ
    うな核武装論を展開した。「核兵器という言葉で用いられている核の兵器を、
    名前が核兵器であればそれが憲法違反だ、そういう性質のものじゃないのじゃ
    ないか。やはり憲法の精神は自衛ということであり、その自衛権の内容を持つ
    一つの力を備えていくというのが、今のわれわれの憲法解釈上それが当然でき
    ることである」。佐藤栄作総理は1967年、内閣調査室の外郭団体「財団法人・
    民主主義研究会」で日本の核武装の可能性について検討を行っていた。(参照
    :Wikipedia【URL】http://bit.ly/1gskVGm)

    ===================================
    ◆米国が「箸の上げ下ろし」まで管理◆
    ===================================

    岩上「先ほどちらっとお話が出ましたが、日米原子力協定というものがありま
    すね。日本の核開発は、戦後、研究開発が徹底的に解体されましたが、ビキニ
    岩礁の水爆実験によって、日本では本当に大規模な反核運動が起きました。こ
    の反核運動が、反米運動に転化するということを、米国は非常に恐れたと聞い
    ています。

     当時のアリソン駐日大使(※11)、それからダレス国務長官(※12)といっ
    た人たちが、反米の機運を抑えるために、日本にいわばアメ玉を渡そうとしま
    した。それが、原子力の平和利用、つまり日米原子力協定だったのではないで
    しょうか。この点はいかがでしょうか? 当時はまだ、外務省に入省されてい
    ませんよね」

    遠藤「まだしていません。ビキニ環礁での第五福竜丸事件が起こった1954年は、
    私がちょうど大学に入学した年です」

    岩上「では、ご記憶ははっきりありますよね。どのような印象をお持ちでした
    か?」

    遠藤「有名な、アイゼンハワー大統領の国連での『Atoms For Peace』(平和
    のための原子力)という演説に示されるように、米国としては、原子力はもは
    や軍事利用だけではダメだ、平和利用もやらなくてはならない、という考えだ
    ったと思います。

     しかし、平和利用のためであっても、IAEAのような国際機関を作って、これ
    を監視していく必要がある、という方向に切り替わってきたわけです。なぜか
    というと、当時、ソ連が米国に先駆けて原子力の平和利用を始めていたんです
    ね。ですから、平和利用であっても、これは放っておいてはダメだ、というこ
    とになったのです。

     平和利用と言うけれども、原子力というのは、裏には軍事になりうる技術が
    あり、それが拡散していくわけです。それならば、ある程度は開放しつつも、
    国際機関を作ってそれを取り締まっていこう、と。これが、IAEAが生まれた経
    緯なんですね」

    岩上「なるほど。つまり、当時は冷戦というかたちで米ソの熾烈な競争があり、
    そういった中で、どちらにつくか分からない国々がたくさんありました。そこ
    で米国としては、日本に原子力の技術を提供することによって、いろいろがん
    じがらめにする、という思惑があったのですね」

    遠藤「そうなんです」

    岩上「それが、日米原子力協定というかたちになるのですね。この日米原子力
    協定については、遠藤さんは本当に専門家中の専門家ということでいらっしゃ
    るわけですが、最初の原子力協定というのは、いつ締結されたのでしょう
    か?」

    遠藤「1955年ですね」

    岩上「1955年。この日米原子力協定、初期のものは、包括的なものではなく、
    個別で交渉しなければならないものだったと聞いていますが」

    遠藤「これは、今の原子力協定と違って、米国が日本に許可を出したのは、原
    子炉であっても、実験炉と研究炉でした。

     しかし、たとえ研究炉であっても、これを軍事利用に転換されてはかなわな
    いということで、グッと抑えなければならないと、米国は考えていたのだと思
    います。とにかく、1955年の日米原子力協定というのは、研究炉のための協定
    なんです。だから、今の協定とは、ちょっと質が違うんですね。

     その時、さっき冒頭でおっしゃった、高濃縮ウランとかプルトニウムを、米
    国が日本に対して、研究用として供与しました」

    岩上「これらは、やはり米国の監視下にあったのでしょうか。箸の上げ下ろし
    まで指図されるというか、全部書類を出して、決済を取らないとできなかった、
    と。遠藤さんは、そのあたりの実務をおやりになっていたと思いますけど」

    遠藤「その頃は、まだIAEAがないですし、NPT(核拡散防止条約)もないです
    から、米国が直接に目を光らせていたわけですね」

    岩上「占領は終わったけれども、原子力の政策に関しては非常に神経を尖らせ
    ながら、管理していたわけですよね」

    遠藤「そうですね」

    ----------------------------------------------------------------------
    (※11)アリソン:米国の外交官。1953年から1957年まで駐日大使を務め、第
    五福竜丸事件の対応などにあたった。1951年のダレス訪日の際に主席随行員を
    務めた他、サンフランシスコ講和条約の草案作成に関わるなど、米国の戦後の
    対日政策における重要な局面を担った。(参照:Wikipedia【URL】http://bit.
    ly/1hjqimk)

    (※12)ダレス:日米安保条約の「生みの親」と言われる、米国の政治家。ト
    ルーマン政権の国務長官顧問として、1951年9月に署名された旧日米安保条約
    の米国側交渉官を務めた。米ソ冷戦が激しさを増す中、米国は日本を「反共の
    砦」とすることを企図しており、そのためダレスは安保条約の条文に「(米国
    は)望む数の兵力を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を確保」するとの
    文言を入れた。(参照:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1gUcA8M)

    ===================================
    ◆中国の核保有とその影響◆
    ===================================

    岩上「米国が核を持ち、そして、日本の広島と長崎に投下した。このショック
    は、日本にとって大変大きなものだったと思います。その次に、ソ連が持った
    ということも、やはり日本にとっては大変な衝撃をもたらしただろうと思いま
    す。

     そして60年代、中国が核を持ちました(※13)。その時代は、遠藤さんはも
    う現役の官僚になられていますから、ソ連と中国が核を持ったということは、
    安全保障上、大変不安なことだったと思います。ところで、私は父親が戦争に
    行っている世代なのですが、その戦争世代の言い分を聞くと、『日ソ不可侵条
    約を破って攻め込んできたソ連は本当に頭にくる。いっぺん、ぎゅうっと言わ
    してやりたい』と、よく言っていたんですよ。

     しかし、中国や朝鮮半島に対しては、実際に戦争を体験した世代は、実際に
    自分たちがそういうところへ行って、弱いものいじめに近いこと、要するに侵
    略をやったということについて、本当に心の痛む思い、かつ恨まれてもしょう
    がないという思いがあったようです。謝らなければいけない、しかし、素直に
    は謝れない、という具合ですね。

     加えて、中国などがどんどん成長して、原爆まで持ったことで、報復される
    のではないかという不安を抱いた、と。そういう話をしていました。これは、
    私の世代の感情と少し違っています。60年代当時、外務省におられた時、中国
    が原爆を持ったということは、どのように受け止められたのでしょうか?」

    遠藤「中国が核実験をやったのは、1964年です。これは、実は東京オリンピッ
    クの最中なんですね。ですから、日本に対して大変な衝撃を与えたのです。

     というのは、一つは中国というのは、発展途上国だろうという考えが当時の
    日本人にはありました。米国とかソ連とかイギリスとかフランスと違って、中
    国はまだまだ発展途上国なんだ、と。それから、中国は地理的に非常に近いと
    ころに位置していて、かつ、戦争をした相手国でした。

     64年の当時、日本人は中国のことを、中共(中国共産党)と言っていました。
    共産主義国ですから、仮想敵国だと考えていたんですね。その国が核実験をや
    り、核保有国になったということは、日本にとって、これは大変な衝撃でした。

     それからもう一つ、中国は空中実験をやったものですから、放射能が日本に
    来ているのではないか、国民の生活そのものに影響するのではないか、という
    ことで、これも大変な衝撃でした」

    岩上「当時の中国は、かつての敵国であり、かつ、まだ国交を樹立していない
    国でした。だから、まだ、休戦状態といってもいいような状態だったと思いま
    す。日本がサンフランシスコ講和条約で主として受け入れたのは、米国を中心
    としてという話であって、中国とは国交を樹立しませんでした。そもそも、中
    共というものを、中国として認めるか認めないか、というテーマもありました。

     こんな国が、しかもずっと見下してきたのに、核技術はずいぶん進歩して、
    なんと自力で核実験に成功してしまった。そして、関係が安定していませんか
    ら、その国と戦争を再開するなどということになったら、大変なことになると
    いう危機感があったのではないかと思います。

     それから、その少し前に、朝鮮戦争があるわけですよね。朝鮮戦争は、北朝
    鮮と韓国が戦っているところに米軍が入り、さらに中国人民解放軍が入っての
    大戦争でした。これはまだ休戦状態でしたから、もし再開ということになった
    ら、今度は日本が巻き込まれることになるかもしれない。そうなったら、もの
    すごく危ないという感情が、盛り上がったのではないかなと思うんです。

     今の若い世代は分からなくなっているかもしれないですけれども、しかし、
    当時の政官財の人たちは、この衝撃をどう受け止め、どう対応しようとしたん
    でしょうか?」

    遠藤「この時は、日本の核武装など考えられない時期ですし、日米の安保体制
    を強化する以外に、直接の方法はなかったのではないかと思います」

    岩上「なるほど。60年には入っていますから、岸信介さんが安保改定をして、
    そしてそれ以前の第一次安保のときには、米軍が日本を守る義務が書き込まれ、
    安保体制がより深まり、拍車がかかっていくという時代ですね」

    遠藤「そうですね」

    岩上「もう一つ大きいのは、佐藤栄作さんの存在ではないかと思います。佐藤
    さんは、ちょっと時代がずれますけれども、沖縄返還とともに、核の密約(※
    14)というものをやるわけですよね。

     日本は対外的には、憲法の絶対平和主義ですとか、『持たず、作らず、持ち
    込ませず』という非核三原則を打ち出しながら、他方で、米国の核兵器を搭載
    した艦船の入港等を認めなど、核の持ち込みを認めて、核の傘に依存するとい
    う状態が続くようになったわけですよね。

     この当時、こういった安全保障上の原子力政策があり、それと並行するよう
    なかたちで、着々と原発が作られていこうとしつつあったのだと思うのです
    が」

    遠藤「着々とまではいかなかったですけれども。60年代は、まだ黎明期です
    ね」

    ----------------------------------------------------------------------
    (※13)1964年10月16日、中国は新疆ウイグル自治区のロプノール湖で初の核
    実験を行った。中国政府はこれまで46回におよぶ核実験を行ったと公式発表し
    ているが、実際は、小規模の実験も含め、同地における核実験は50回以上に及
    ぶと推定されている。 1980年10月16日に最後の大気圏内核実験が行われ、
    1996年7月29日に最後の地下核実験が行われた。(参照:Wikipedia【URL】
    http://bit.ly/1jzSnsg)

    (※14)沖縄核密約:佐藤元総理の密使を務めたとされる若泉敬が、1969年11
    月の佐藤・ニクソン会談後の共同声明の背後に、有事の場合は沖縄への核持ち
    込みを日本が事実上認めるという秘密協定に署名した、と1994年に発表した著
    書で証言した。2007年には、信夫隆司・日本大学教授によるアメリカ国立公文
    書記録管理局での機密解除公文書調査で、交渉当事者であった大統領補佐官ヘ
    ンリー・キッシンジャーが1969年11月19日から21日にかけての日米首脳会談の
    ためにニクソンに宛て作成した、核密約締結手順を記載したメモが発見され、
    メモには核持ち込みについての秘密合意に沿って両首脳の会談交渉の進め方に
    ついて明記され、11月13日付メモでは「昨日午後、私とヨシダ氏が最終的な協
    議で行動計画は合意に至った」と記されていた。(参照:Wikipedia【URL】
    http://bit.ly/OUoQzO)

    ===================================
    ◆NPTの標的はドイツと日本だった◆
    ===================================

    岩上「黎明期は、苦労がいっぱいありましたか? 60年代から70年代にかけて
    のことだと思いますが」

    遠藤「一つは、『作らず、持たず、持ち込ませず』という、核の非核三原則の
    存在ですね。これは、米国の政策でもありました。日本には、作らせず、持た
    せない。それから、持ち込ませずという点で、米国にとってみれば、密約問題
    というのが、関連してくるんでしょうね」

    岩上「なるほど。日本には作らせず、持たせないのだと」

    遠藤「なんといったって、日本は米国と戦った国なんですね。その国に、核を
    持たせてはいけないということ。これが、米国の大方針だったわけです。

     NPT(核拡散防止条約)が、70年に発効するのですが、すでにNPTの話という
    のは、60年代からありました。その目的は、核を持つ国は、英米仏ソの戦勝国
    ですね。それから、今、話に出た中国です。この5つでいいのだということに
    なりました。

     では、この5カ国に加えて、どこの国が核を持つ可能性があるのかというと、
    技術があり、金もあり、かつ、戦争に負けた国、つまりドイツと日本です。だ
    から、NPTというのは、当初はドイツと日本をターゲットにしたものでした。
    ドイツと日本には、核は持たさない、作らせないのだ、と。

     そして、このNPTを牛耳っていたのが、米国とソ連でした」

    岩上「米ソ冷戦時代というのは、鉄のカーテンで遮られて、軍事上も、経済上
    も、まったく別の体制が敷かれていました。今では想像できませんが、まった
    く行き来がなかったと言われています。しかし、核の話に関して言うと、両者
    は非常に緊密だったということですね」

    遠藤「これは、私が個人的に経験したことなのですが、IAEA代表部の大使をや
    っていた時、ウィーンのIAEAでは、米国とソ連は、一番仲良くやっていました。
    他で対立をしていても、核、原子力の分野になると、両者が世界を取り仕切っ
    ていこうという雰囲気がありました。完全に、米ソでツーツーの関係でしたね、
    ウィーンでは」

    岩上「他でどんな対立があっても、核に関しては、米ソでトップ同士の談合が
    あるということでしょうか」

    遠藤「そう、談合なんです。これは、完全に独占ですね。米ソの独占でいこう
    という。だから、日本に核を持たせない、作らせないということは、米国の大
    方針だったと思います。ただ、持ち込ませずは、日本の国内問題と米国の利害
    関係が重なったんでしょうね」

    岩上「米国というのは、一方で日本を反共の砦にする。『俺たちは同盟国だ』
    と言いながら、実は他方でソ連と一番手を結び合って、自分たちがトップに立
    って世界を取り仕切ろうとする。だから、冷戦時は東西で分かれているけど、
    『米ソで独占しあっていこうぜ』という確認をする。米国は、こういうことを、
    同時にできるんですね」

    遠藤「核については、米国はそれをやったわけですね。つまり、核をいろんな
    国に持たせると、危なくてしょうがない。例えると、暴力団の親分が抗争をや
    りながら、手を握るということですね」

    ===================================
    ◆インドとパキスタンの核保有◆
    ===================================

    岩上「なるほど。しかしこういう現実を、当時、現場でご覧になって、それを
    外務省と、政府あるいは政治家といったような人たちにも報告されたと思うの
    ですが、皆さんはどのような理解の仕方だったんでしょうか?

     『ソ連憎し』で凝り固まっている人もいて、『アメリカ頼もし』と思ってい
    る人もいたと思います。非常に単純な思考をしている人もいたと思うのです
    が」

    遠藤「どのぐらいご理解いただいたか私は分かりませんが、国際政治の現実と
    いうことで、お考えになられたのではないでしょうか」

    岩上「なるほど。我々はそういうところを理解しなければいけませんね。今日
    も、当時と同じような構造が生まれつつあるような気がします。中国をかつて
    のソ連のように見立てて、中国包囲網を敷こうなどという声が挙がっていて、
    それをあろうことか安倍総理が、英文で発表をするなんてことがありました
    (※15)。

     でも、笛吹けど踊らずで、日本がそんなタクト振っても、誰もついてこない
    と思います。米中は米ソの時よりも、もっとあからさまに手を握っているとい
    うふうに思います。この点はまた後でお聞きしたいと思いますが、いずれにせ
    よ、NPTというのは、日本やドイツを標的にしたもので、核拡散を防ごうとい
    うものだったのですね。

     ただ、中国までは良かった、という考えもあったのではないでしょうか。中
    国は戦勝国ですし、大国で、国連常任理事国ですから、まあ、しょうがないだ
    ろうと。

     しかしそのすぐ後に、インドとパキスタンが、核実験に成功しますね(※
    16)。これは、時代を画する大変な衝撃だったというふうに聞いています。イ
    ンドが核実験を行ったというのは、70年代初頭ですよね」

    遠藤「74年ですね」

    岩上「なんといいますか、10年刻みに大変なことが起きますね。この時も、大
    変な衝撃だったというふうに聞いております。これは、どういう衝撃だったの
    でしょうか」

    遠藤「核の保有というのは、5カ国で終わりだと思っていたわけですね。とこ
    ろが、インドが核を持つということになりました。インドは、当時は少なくと
    も、大国であることは事実だけれども、国力としては中国以下で、最貧国とま
    では言わないけど、貧困に悩んでいた国であると、一般的には認識されていま
    した」

    岩上「イギリスの植民地だったりした国ですもんね」

    遠藤「それが、カナダから輸入してきた原子炉で作ったプルトニウムを使って、
    核実験をやったということで、大変な衝撃でした。そして、インドからどんど
    ん他に広がっていくのではないか、つまり、核拡散していくのではないか、と
    いう危惧がありました。インドが核実験をする数年前にNPTはできているわけ
    ですが、インドはNPTには入りませんでした」

    ----------------------------------------------------------------------
    (※15)安倍総理は、総理就任間もない2012年12月27日付けで、プラハに本拠
    を置く国際言論機関「プロジェクト・シンジケート」に、「アジアの民主主義
    セキュリティ・ダイヤモンド」という論文を英文で発表した。この「セキュリ
    ティ・ダイヤモンド構想」は、対中強硬姿勢を強く打ち出す内容となっている。
    「南シナ海は『北京の湖』となっていくかのように見える」と、中国の脅威を
    強調し、「オーストラリア、インド、日本、米国ハワイによって、インド洋地
    域から西太平洋に広がる海洋権益を保護するダイヤモンドを形成」して、中国
    を南シナ海から排除すべきだ、と主張している。この論文については、メルマ
    ガ「IWJ特報」第95号「“ワイマール時代”の終幕? 孤立を深める日本〜幻の
    安倍論文『セキュリティ・ダイヤモンド構想』のすべて」で詳細に論じた。
    (【URL】http://iwj.co.jp/wj/open/archives/93824)

    (※16)1974年5月18日、インドが初めての核実験に成功。その24年後の1998
    年5月、インドが計5回の核実験を実施し、それに対抗するかたちで、隣国のパ
    キスタンも計6回の核実験を行った。パキスタンは1971年の第3次印パ戦争で破
    れて以降、インドに対抗するかたちで核実験を進めてきたとされる。インド、
    パキスタン両国とも、NPT(核拡散防止条約)とCTBT(包括的核実験禁止条
    約)に加盟していない。(印パ核実験 コトバンク【URL】http://bit.ly/
    1cgHBGe)

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