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    原発問題 -The Truth is Out There-

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    役人の権力の使い方  

    「枝野批判」オフレコ発言をすっぱ抜かれ、今度は東京新聞記者を「出入り禁止」にした経産省の「醜態」
    2011年05月20日(金) 長谷川 幸洋 現代ビジネス

    私は18日付けの東京新聞でも『私説』という署名入りコラムで細野長官の発言内容を紹介した。

    「経済産業省・資源エネルギー庁は歴代幹部の天下りが象徴するように、かねて東電と癒着し、原発を推進してきた。それが安全監視の甘さを招き、ひいては事故の遠因になった」と指摘しつつ、細野発言について「自分たちがどちらの側に立っているか、率直に述べている。まあ正直な官僚である」と書いた。

     すると、経産省はまたもや思いもよらない方法で「反撃」に出た。

     東京新聞の経産省クラブ詰め記者に対して、事務次官など幹部との懇談に出席するのを禁止したのだ。いわゆる懇談への「出入り禁止処分」である。

     当事者である私自身に対しては、これを書いている19日午後7時現在に至るまで、経産省はいっさい接触しようとしてこない。私との接触を避ける一方、先のコラムで紹介したように「上司」に抗議電話をかけ、それでも効き目がないとみるや、今度は取材現場で働く記者に懇談出席禁止の制裁を加えたのである。

    これには本当に驚いた。

     こうした展開は霞が関のマスコミ対応、そして「記者クラブ」という制度の本質を物語っている。日常の取材活動をしていると、なかなか見えてこないが、いったん役所をはっきり敵に回すと何が起きるか。「権力の本性」をかいま見る思いがする。今回はその点を書く。

     「出入り禁止処分」について確認しようと思って、私は19日午後、事前のアポイントなしで経産省広報室を訪ね、成田を直撃した。アポなしで訪ねたのは、前回コラムで紹介したように、成田はまず「それは『上司』に聞いてください」と逃げようとしたからだ。事実を確認しないことには、話が始まらない。

    直撃に沈黙する広報室長

     成田は室長席に座っていた。私を見ると一瞬、驚いた様子を見せながらも「あちらへ」と部屋の隅の椅子に案内してくれた。以下は、やりとりである。

    「どうも突然、時間をいただいて、すみません。いくつか聞きたいことがあって来たんですが・・・」と話し始めると、成田は途中で言葉をさえぎって「これはどうなるんですか?」と聞いた。

    「どうなるって」


    「いや、つまりこれは記事になるんですか」


    「まだ何も決めていません」

    「きょうお話を聞きたいと思ったのは、私のコラムがサイトに出た。そして昨日の東京新聞にも記事が出た。すると、経産省は東京新聞記者に対して幹部との懇談に出席するのを遠慮するよう求めたという。まず、それは本当なのか。私の記事に関連して、東京新聞記者の取材活動を制限するような措置をしたとすれば、それはどういう判断か?」

     成田は沈黙している。

    「つまり、事務次官や官房長との懇談への出席を遠慮してくれ、と言った件です」

     成田はしばらく下を向いていたが、ようやく口を開くと「お話しできないですね」と言った。

    「どうしてか」

    「こないだのようなことがあったので・・・」

    「こないだのようなこと、というのはどういうことか」

     沈黙が続く。

    「つまり、私があなたと電話で話をして、それを記事にしたということか。それでお話しできないということか」

    さらにたたみ掛けた。

    「私は先ほど言った理解で正しいかどうか、を聞きに来ただけだ」

     すると沈黙した後、成田は「これからミーティングがあるので、あらためてアポイントをとってください」と言った。

    「返事がいつになるかはわからない」

    「アポをとればいいんですね。今日中に再び会うのは可能か」

    「分かりません」

    「私は私の記事の件で経産省が弊社の記者に幹部との懇談を遠慮するように求めたと理解しているが・・・」

    「知らない」

    「え、知らないんですか?」。これには驚いた。

    「時間がないので勘弁してほしい」

    「では、いまここで面談を申し込む。それで、あらためて時間をいただけるか。ご返事を待っていればいいんですね」

    「返事がいつになるかは分からない」

    「いつか分からない。そういうことですか。分かりました。結構です。ありがとうございました」

    私は「これ以上、粘ってもしょうがない」と判断して席を立って歩き出すと、成田は「ちょっと・・・」と後ろから引き留めた。

     だが、立っているだけで相変わらず何も言わない。そこで私は言った。

    「お時間を差し上げるから、ゆっくり考えてください」

    「そうしましょう」

     以上である。

     記者への懇談禁止処分について、私はそれなりに事実関係を確認している。だが、成田は認めないばかりか「知らない」と言った。クラブ記者の懇談禁止処分について、成田が「知らない」というのが本当なら、広報室長の職責を果たしているとは言えない。広報失格である。

    都合の悪い記者を排除するための制度

     もしも懇談禁止処分が本当であるとしたら、とんでもないことだ。

     まず、新聞社の編集取材部門と論説部門は相互に独立している。それは論説の主張内容が編集取材部門に影響を及ぼしてしまうと、取材報道の客観性、中立性が損なわれる恐れがあるからだ。

     社によって多少のニュアンスの違いはあるが、少なくとも東京新聞は完全に相互の独立を保ち、尊重している。責任者も組織も違うし、編集の人間が論説の討論会議に出ることも、その逆もない。論説は担当役員を通じて事実上、社長直轄でもある。

     だから、論説委員の主張内容が原因で編集取材部門の活動に影響を及ぼすような事態、あるいはその逆も、少なくとも東京新聞の側にはありえない。

     役所の広報責任者ともなれば、それくらいは常識である。

     ところが、経産省は私の記事内容を理由に現場の取材記者に懇談禁止処分を課した。「編集と論説が独立している事情」は百も分かっていて、あえて断行したのである。それはなぜか。

    簡単に言えば、同じ会社の人間を処分することによって、私に圧力をかけようとしたのである。サラリーマンなら分かるだろう。「お前のせいで、とんだとばっちりだ。どうしてくれるんだ」というさざ波を誘発し、黙らせるという戦法である。

     上司に文句を言っても効かなかったから、今度は仲間たちから文句を言わせようという話だ。分かりやすいが、卑劣である。誤解のないように明言しておく。私は社内でいっさい、そうした苦情や文句は受けていない。ただ、こういう展開になって私に忸怩たる思いがあるだけだ。

     同じ会社の縦と横から記者に圧力をかけ、黙らせるという手法はたいていの場合、きわめて有効である。なぜなら記者もサラリーマンだからだ。

     役所の側から言うと、こうした手口を有効にするためにも、マスコミ対応というのは「役所vs新聞・テレビ」というように組織同士の枠組みにしておくのが絶対原則になる。相手が組織の人間でなければ、縦横の圧力は効かせようがないからだ。

     だからこそ「記者クラブ」という制度は、なによりも役所側の事情で本質的にフリーランス記者を排除する。それでは、なにかあったときに記者を干し上げようにも干し上げようがないからだ。

     記者クラブという制度は記者の側が取材を便利にする仕組みである以上に、実は役所が政策宣伝をする仕組みでもある。記者に都合のいい記事を書かせ、都合の悪い記者は排除する。そのための制度なのだ。

     論説委員懇談会という体裁は違っても、役所にとっては初めから政策宣伝の場に変わりはない。だから論説委員がオフレコ破りに出れば、記者クラブから記者を締め出す。どちらにせよ「オレたちに都合のいい記事を書け」という話なのだ。

    ジャーナリストの原点

     かつて小沢一郎元民主党代表が土地疑惑事件で結局、不起訴処分になったとき、検察には説明責任があると考えて、私は小沢不起訴を発表する記者会見への出席許可を求めた。すると検察は「記者クラブ向けの会見なので、クラブの同意をとってほしい」と言ってきた。

     それで別途、検察の責任者にインタビューを申し込むと「質問があれば、東京新聞の記者を通じて質問してほしい」と逃げた。

     これも同じである。

     役所は個々のジャーナリスト、論説委員を相手にせず、記者クラブという枠組みを通過させることで、いざといういうとき、組織に縦横から圧力をかける余地を残すのである。これでは言論に「会社の枠」がかかってしまい、本当に自由な言論が成立しない。

    オフレコ破りかどうか、という話も「ルールを破ったかどうか」が本質ではない。それでは、まったく表面的にすぎる。「そのルールがだれのために運用されているのか」という根本から考えるべきなのだ。先のコラムで書いたように「官僚のオフレコ」は官僚が姿を隠して、世論誘導する手口である。役所の利害優先であって、国民の利害優先ではない。

     私は「オフレコ話の内容が国民の側に立っている」ならルールを守る。役所の利益を守るためなら、初めから無視する。「これを出所不明にして書けば、官僚が喜ぶだろうな」という話を喜々として書くような記者は「ルールを守った記者」ではあるだろう。だが、それではジャーナリストの原点はどこに行ってしまうのか。

     それにしても、あらためて思うのはネットの威力だ。

     新聞やテレビというマスコミは言うまでもなく組織のメディアである。ところがネットは、ごく少人数で情報発信できてしまう。こういうメディアで発信するジャーナリストには社内の縦も横もない。したがって役所が陰湿な圧力をかけようにもかけられないのだ。

     フリーランス・ジャーナリストたちの努力には頭が下がる。組織メディアの一員として、せめて戦うチャンスが来たときくらいは精一杯、戦っていきたい。

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